ショパン:ノクターン

Frederic Chopin : Nocturne 
ノクターンはラテン語のノクトゥルヌス=「夜の」という形容詞が語源になっています。夜想曲という日本語表記は字面の美しさだけでなく、言葉の意味を反映した訳といえるでしょう。音楽としてのノクターンの歴史は古く、少なくとも中世まで遡ぼることができます。しかしショパンのノクターンと関係があるのは18世紀後半くらいから、すなわち器楽伴奏つきの単一楽章の声楽曲(つまり歌曲)としてのノクターンになります。これをもとに1800年代初頭にジョン・フィールドがピアノ独奏曲を書いたところから、器楽小品としてのノクターンが始まります。19世紀前半にはフィールドのほか、クラーマーやツェルニー、クララ・シューマンといった多くの作曲家がピアノ独奏用ノクターンを書いています。19世紀後半以降ではフォーレとプーランクがかなりの数のノクターンを作曲しました。なお、ドビュッシーは管弦楽のノクターンを残しています。
フィールドが創始したピアノ独奏のノクターンは、歌曲のメロディがアルペジョ(分散和音)の伴奏に乗った単純な曲で、まさに初級〜中級ピアノ愛好家のための小品というおもむきでした。ショパンは歌曲風の表現を得意としていたので、これ幸いとノクターンに飛びついたのは想像に難くありません。サロンで手軽に演奏できる曲として、またピアノレスナーに売るための楽譜として、ワルツやマズルカとともにショパンの得意とするジャンルになりました。しかし純音楽志向の強かったショパンはメロディ+分散和音という単純な構造では満足できず、作風はどんどん進化(深化)していきます。ともに4曲しか作っていないバラードやスケルツォと違い、ショパンは数多くのノクターンを作りましたので、作曲時期による作風の変遷を見て取ることも出来ます。
ショパンの残したノクターンは全部で21曲あります。現在入手できる楽譜として、ウィーン原典版には21曲すべてが、エキエル編ナショナル・エディションには存命中に出版された18曲が掲載されています(遺作は別冊に収録)。またパデレフスキ版は「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」と21番を除く19曲となっています(「レント…」は別冊に収録)。ですので、楽譜の購入時には注意が必要です。CDも「レント…」が入っていない19曲の全集が多いです(パデレフスキ版の楽譜を使っているピアニストが多いため)。なお、今回の解説は、主にウィーン原典版の楽譜を参考にしました。ウィーン原典版はナショナルエディションの校訂を行ったヤン・エキエル氏が校訂していますし、日本語の詳細な解説や演奏ノートも付いていますので、ノクターンを弾くならこれをおすすめします。

ところで、旋律+アルペジョの伴奏という形は、ショパンのピアノ曲において頻繁に登場する基本的な構造といえます。
ピアノ協奏曲の第二楽章は管弦楽伴奏つきのノクターンと考えられますし、「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」のアンダンテ・スピアナートも美しいノクターンです。また、ピアノソナタ3番やチェロソナタの第三楽章もノクターンです。特にチェロソナタの方は簡素な書法ながら、ピアノとチェロが対話する雰囲気がとても素晴らしいと思います。
年月を重ねるに伴ってショパンの作曲技法は充実しましたが、ノクターンの方法論を用いた到達点としてはOp.62のほかに「子守歌」と「舟歌」をあげておきます。「子守歌」は同じ音型のアルペジョが続く上で旋律が次々とピアニスティックな変奏をされる曲で、Op.9-2路線の究極と言えます。「舟歌」は拡大されたノクターンと見なすことができるショパンの最高傑作の1つです。いずれの曲も別の機会に詳しく解説しますが、基本的な書法はノクターンである点に着目していただきたいと思います。
このように、ノクターンとして出版された作品以外にもノクターンの手法を生かした曲は数多く、ショパンとノクターンは切っても切れない関係にあることがお分かりいただけると思います。

<コラム:フィールドとショパン>
フィールドの作風を拝借した形で創作が始まったショパンのノクターンですが、出版されるやすぐにフィールドの作品を超えたという評価を得ます。ショパン自身はフィールドのことを作曲家/ピアニストとして非常に高く評価しており、「フィールドと並び賞されるなんて、僕は嬉しくて走り回りたい気分です」などという手紙を書いています。この言葉にはショパンの音楽観についての重要な示唆が含まれています。すなわち、歌謡性のある旋律をピアノで歌うように弾くことを重視していたショパンだからこそ、フィールドを評価していたのです。
 

Op.9(第1番〜3番)
Op.9には3曲が含まれますが、20歳前後の作曲と言うこともあり、Op.9-3以外は表面的な美しさが主体で音楽の持つ重みなどはあまり感じられません。3曲とも左手の伴奏上にシンプルな旋律が歌われる形が基本になっています。
Op.9-1は、ため息のような儚く繊細な旋律が印象的な曲です。全体的にフィールドの強い影響が出ていて、伴奏のアルペジョの音列はほとんどフィールドそのままです。また旋律の修飾法にはフンメルの影響が見えます。
Op.9-2は大変に有名な曲。しかしロマンティックなメロディが修飾されながら繰り返されるだけで、音楽的にはそれほど深みがありません。ただ基本になるメロディがあまりにも美しいこと、そして様々な修飾が入るにもかわらず演奏難度が低いのがポイントです。ツェルニー30番に入ったばかりの人でも十分に弾けます。ショパンは音楽に芸術性を追い求める傾向が強く、それが演奏難易度に反映してしまうタイプの作曲家ですが、この曲は意識的に難易度を低く設定したのでしょう。なお、上級者向けにさらに華やかな修飾を加えたバージョンも残されています(エキエル版ナショナルエディションやウィーン原典版の楽譜にはオリジナル版と両方掲載されています)。上級者の方はぜひ華麗バージョンのフレーズを取り入れて、ワンランク上の演奏を楽しんでください。
Op.9-3はOp.9では最も大規模で、音楽的な内容も多少異なっています。また6/8拍子ということもあって、他の2曲と比較して旋律に運動性を持たせています。ABAの三部形式で、中間部がかなり激情的で調性的にも複雑な様相を呈します。

Op.15(第4番〜6番)
Op.15になると徐々にフィールドの影響が抜けて、音楽的な密度が高くなってきます。その分だけ演奏難易度が上がってしまいました。
Op.15-1はポリフォニーが音楽的なテーマになっており、アルペジョ伴奏+旋律という単純なスタイルから脱却しています。三部形式の中間部は重音のトレモロが続く非常に激しい音楽で、ドラマティックな盛り上がりを見せます。
Op.15-2は有名な曲。#が7つも付いた嬰ヘ長調です。中間部の書法が前奏曲Op.28-8とよく似ており、同時期の作と考えられます。
Op.15-3はホモフォニックで単純な書法ですが、リズムと調性に捻りが入っています。しかもA-B-Cという珍しい形式で、最初の主題が再現することなく終わってしまいます。この曲は非常に実験的で、一筋縄ではいかないショパンのセンスが凝縮されています。

Op.27(第7番、8番)
ここでまたアルペジョ伴奏+旋律のスタイルに戻ります。Op.15で音楽性を拡大することに自信を持ったのか、「シンプルな歌で主部が始まって、次第に盛り上がる」書法に磨きがかかり、一層の芸術性を帯びてきます。
Op.27-1はまず開始部分の旋律が面白いです。E-Eis-Fと半音階を使っているのはショパンでは珍しいです。中間部はかなり盛り上がりますが、そこから再現部への戻り方も凝ってます。転調したあげく、別の楽想を呼び起こしてさらに転調、そしてレチタティーヴォをはさんでようやく主部が戻ります。これだけ中間部を充実させてしまうと、せっかく戻った主部はコーダのような役割にしかなりません(笑)。
Op.27-2はOp.9-2と同じ単一主題の変奏ですが、変奏手法そのものが大幅に進化しており音楽的な深みが段違いに増しています。曲中ずっと伴奏形が変わらないにもかかわらず、アルペジョの音列選択がたいへん精緻なため飽きさせません。見事なセンスです。

Op.32(第9番、10番)
Op.32-1は次々に転調してほとんど主調に留まるところがない意欲作です。この曲はロ長調で始まって、最終的にはロ短調で終わります。短調開始→長調終止はよくありますが、その逆をやっているのです。ショパンだと、バラード2番など数えるほどしかこのパターンはありません。ただこの曲の転調はやりすぎだと思います。コーダにきてロ短調で終止しそうな雰囲気が濃厚になるのですが、ドミナントのまま延々引っ張るのでバランスが悪くなっています。
Op.32-2はABAの三部形式ですが、最初は静謐な旋律がLentoで始まって中間部で盛り上がり、その後再現するときに最初とほとんど同じ内容のままフォルティッシモで"Appassionato"(情熱的に)という指定が入っているのが問題です。この再現部をどのように弾くか、テンポなどを含め演奏解釈が大きく分かれるところです。なお中間部は調性的にかなり複雑です。

Op.37(第11番、12番)
Op.37-1はOp.48-1を先取りする曲です。装飾の多い物憂げな旋律の主部とコラール的な中間部、短縮された再現部というシンプルな三部構成です。Op.27、32と音楽的に複雑な曲を作ってきた反動か、非常に簡素な書法になっています。
Op.37-2はノクターンでは珍しくABABA形式になっています。三部形式から拡大していて、音楽的にも充実している曲です。艶かしく動く主部と静謐な中間部の対比が素晴らしいです。A部後半に緊張感のある転調があって、そのあと動きの少ないB部が入ってくるのはインパクトの強い構成といえるでしょう。

Op.48(第13番、14番)
Op.48-1はスケールの大きな名曲です。最初の呟きのような旋律が祈りのコラールを経て激しく劇的な再現を見せる曲で、ここまでくるともはやバラードと大差ない作品と呼べます。様式的には三部形式ですが、中間部でリズムが徐々に三連系に変わってそのまま再現部へつながります。旋律&和声的に三部形式、リズム的には二部形式という入り組んだ構造が面白いですね。この曲、最初は弾きやすいのですが、中間部のコラールで非常に大きなアルペジョが出てきたり、再現部でいきなり音符が増えたりしますので演奏難度はかなり高いです。なおピアノソナタ第3番の第三楽章曲も三部形式でありながら前半と後半でリズム形が変わるノクターンです。
Op.48-2はシンプルな書法で凝った調性を使うタイプの曲です。歌唱的な主部とコラール的な中間部という構成はOp.48-1と同じで、2曲セットで出版した意義も感じられます。ただ調性的には本当に複雑で、しばしば主調(嬰へ短調)が何だったのかわからなくなってしまいます。

Op.55(第15番、16番)
Op.55-1もOp.48-1とそっくりの始まり方をしますが、それほど激しい展開はせず静謐な空気感が支配します。
Op.55-2は対照的に伸びやかなメロディが歌われる曲です。旋律には非常に長いスラーがかかっており、息の長いフレージングを要求していることを伝えます。なお伴奏形は最初から最後までほとんど変わりません。そのかわり転調はかなり複雑です。主題のポリフォニックな変奏手法なども充実しており、ショパンの円熟ぶりをよくあらわしています。

Op.62(第17番、18番)
Op.62はショパン存命中の最後の出版作となったノクターンです。Op.62を重視しない人もいるようですが、これは疑いなくノクターンの最高傑作であり、ショパンの全作品中でも高い評価をしたいと思います。
Op.62-1は旋律そのものの出来が非常に良いことに加え、転調の連続で緊張感を高めた中間部から主部がトリルで再現するという素晴らしい発想に耳を奪われます。また、その後のコーダに至る書法は、バラード4番にも通じる深い幻想性を感じさせてくれます。素晴らしい名曲といえるでしょう。全体に流麗な雰囲気が支配しますが、決してだらだら流すのではなく1つ1つのフレーズが精緻に組み立てられており、ショパンのピアノ技法の到達点を余すところなく示していると思います。ただ、そのため演奏には大変なデリカシーを要求される難曲ともいえます。
Op.62-2はOp.48-1方式でホモフォニックに始まりつつ、中間部はバラード3番の展開部に似た左手のうねるような動きが切迫感を持ってポリフォニックに展開していきます。あとは対位法を用いて非常に濃厚に書かれており、これもショパンのピアニズムの一つの到達点を示しています。

第19番 遺作
10代終わりに作曲されたとされる遺作ノクターンです。アルペジョの旋律に乗ってセンチメンタルな旋律が歌われますが、ちょっと安っぽいというか大仰なところがあり、音楽的にはあまり重視されない曲です。

第20番 遺作「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」
大変有名な曲。「遅く、とても情感豊かに」という楽想指示がそのまま通称名として使われています。ノクターンというタイトルは付いていないのですが、アルペジョの伴奏+旋律という曲調はどうみてもノクターンの王道ですね。20歳前後の時期にショパンの姉ルドヴィカのために作られたようで、ピアノ協奏曲第2番の旋律を引用する仕掛けもあって、ノクターンの方法論を用いて気軽に小品を書いてみたというところでしょう。演奏難度は低めですが、音域の広いパッセージが出てくるので初心者には難しいと思います(ツェルニー30番終了程度)。

第21番 遺作
これは20世紀になってから発見された曲です。作曲年代は諸説ありますが、ヤン・エキエル氏の調査によると結核がかなり悪化した晩年(1847-48年)とされています。一応は完結しているのですが曲と言うよりスケッチに近い内容で、正直なところこのまま演奏できるとは言いがたい面もあり、音楽的な質はかなり落ちます。


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