ショパン:即興曲

Frederic Chopin : Impromptus
1.即興曲の概要
即興曲とはいわゆる即興演奏を書き留めたものではなく、即興的に浮かんだ楽想をもとに作られた器楽作品です。ただしロマン派の時代においてその定義は曖昧で、舞曲のリズムを用いていなかったり、形式的に分類不能な小曲を全部ひっくるめて即興曲呼ばわりするという風潮もあったようです。このあたりの流動性は作曲家によってさまざまです。
音楽史上、最初に有名なピアノ独奏の即興曲が出てくるのはシューベルトです。シューベルトは、Op.90-3のように歌曲にできそうな旋律を持った曲もある一方で、Op.90-2のような純粋に器楽的な曲もあり、分類不能な小曲(4曲セットで出版したので「小曲集」)という意味合いが強いと思います。同様の作品はメンデルスゾーンでは「無言歌」になりますし、またリストでは表題音楽の小曲になります。シューマンやブラームスのように動機の展開を重視する人は作曲課程において即興的な要素が少ないので、即興曲を作っていません。もっとも、シューマンは即興的な楽想からファンタジーを広げて、連作にしたり大きな作品を作り上げるのが好きでした。

2.ショパンの即興曲
ショパンは4曲の即興曲を残していますが、生前に出版されたのは1番から3番までで、4番(幻想即興曲)は没後に出版されています。なお作曲順は4番→1番→2番→3番です。メンデルスゾーンの無言歌にあたる作品はショパンではノクターンになりますので、ショパンの即興曲は分類不能な小曲という意味合いが大きくなります。しかし主題や経過部のフレーズには即興的な雰囲気が色濃く残っており、即興曲らしい即興曲になっていると言えます。ショパンはこの4曲をそれぞれ別個に1曲ずつ作っているのですが、フレーズの作り方に共通点が見られます(三連符系のアルペジョ伴奏など)。このようなことから、ショパンの手癖がそのまま反映している箇所も多いと思われ、ピアノに向かって気分のままに浮かんだ楽想を書き留めたらなんとなく曲になってしまった…というような感じでできた曲もあったと思われます(幻想即興曲はたぶんこれです)。バラードやスケルツォほど規模が大きくなく、ノクターンほど歌が重視されるわけでもなく、ワルツなどの舞曲小品でもなく、思想性や民族性など曲のキャラクターを盛り立てる要素もほとんどありません。ということで、実際に演奏される頻度は高くなく、アンコールピースとして1番や4番が弾かれるくらいになっています。完成度の高さは他の楽曲と同レベルにあるだけに残念なことだと思います。 

3.各曲解説

第1番 Op.29
幻想即興曲に次いで演奏機会が多いと思われる曲です。三部形式で、主部は洒脱で麗しい旋律がサロン的な雰囲気を作っています。トリオは短調の少し感傷的な雰囲気で、ショパンらしい物憂げな表情の旋律に酔うことができます。再現部は主部とほとんど同じですが、コーダに入るとそれまでずっと流れていたフレーズが止まってコラールになります。この演出は非常に効果的です。さらさらと流れる楽想のまま終わらせないことで、曲全体の印象を良くしています。演奏時間にして4〜5分の短い曲ですが過不足なくまとまっており、非常に完成度が高いです。

第2番 Op.36
第1番の流線的な旋律の麗しさとは対照的な、静謐な雰囲気で始まる曲です。主部の静謐さはバラード2番やある種のノクターンにも通ずるもので、どこか瞑想的な要素すら感じさせます。そこから次第に力強い行進曲調の曲想が入ってきますがあまり長続きはしません。そして主部が第1番と同じような3連符系の流麗な形で再現します。これがさらに32分音符でピアニスティックに展開されます。この展開はまさに即興的で、思わず耳を奪われてしまいます。最後はまた静謐な雰囲気に戻って終わります。それほど長くない曲なのですが転調は非常に大胆で、嬰ヘ長調(主部)→ニ長調(行進曲調)→ヘ長調(再現部)→途中で嬰ヘ長調へ(そのまま展開部〜コーダ)と進行します。それほど長くない曲想の中にさまざまな要素が含まれており、充実した1曲といえます。

第3番 Op.51
この曲は演奏機会が少ないようですが、実は大変な名曲で、円熟期の傑作だと思います。変ト長調で書かれていますが調性は流動的になっているのがポイントです。主部の旋律は2声体で書かれており、2小節ごとに転調して常に微妙に色合いを変えていきます。歌謡性の高い旋律と、半音階的に進行する対旋律の会話が素晴らしいと思います。中間部では旋律は低音部に移り、ますます色合いは複雑になりますが長続きはせずに主部が再現し終止します。書法的にピアノソナタ第3番の終楽章に近いものがあるのですが、ストレートな展開のソナタ終楽章と比較すると、こちらの方が音楽的に一段高いレベルにあると思います。

第4番 Op.66 「幻想即興曲」
非常に有名な曲です。作曲時期は第1番より早いのですがショパンの死後に出版されたため4番になりました。複合三部形式で、急速な主部がノクターン的な中間部から成り立ちます。主部で延々同じ伴奏形が続いたり、中間部がababaという単純な繰り返しだったりと構成面での冗長さが弱点として存在するため、ショパンの曲としては価値が低いと見なされることも多いと思います。ただ、三連符と16分音符の織り成す主部の美しさ、中間部のロマンティックな旋律などはさすがで、人気曲になっていることも頷ける1曲でしょう。
この曲は通常演奏されている版(フォンタナによって出版されたので「フォンタナ版」と呼ばれます)と、決定稿とされる版(アルトゥール・ルービンシュタインが所有していたので「ルービンシュタイン版」)があります。フォンタナ版は作曲途中の草稿にフォンタナが強弱記号やスラーなどを追記したものです。音符以外はショパンが書いたものではありません。一方のルービンシュタイン版は強弱やフレージングも記入されているため、現在ではこちらが決定稿であると見なされています。
ショパンがこの曲を出版しななかった理由はいくつか考えられます。
(1)決定稿をデステ夫人に献呈したため
(2)モシェレスの即興曲によく似ていたため
(3)全体的に出来が良くないため
(4)ベートーヴェンの「月光ソナタ」第三楽章と同じフレーズがあるため
下に行くほど信憑性がありません。特に月光ソナタに関しては、1〜2小節しか似ていませんので、理由としては非常に弱いのです。「嬰ハ短調の和声的音階で下るアラベスクを書いたらたまたま似てしまった」としか思えません。これに比べると(1)は有力です。ショパンはお世話になった人へのお礼の気持ちとしてオリジナル曲を献呈することがしばしばありました。そうした曲の中には、未だに陽の目を見ていない作品もあります。この曲も本来はデステ夫人に献呈され、それでおしまいの運命だったのではないでしょうか。たまたま草稿が残っていたので遺作として世の中に出たのです。
なお、ウィーン原典版の楽譜にはフォンタナ版とルービンシュタイン版の両方が収録されていますが、フォンタナ版はフォンタナの追記した指示を抜いてあります。この楽譜を見ると、フォンタナの追記は意外に当を得ていることがわかります。「この楽譜を清書しておいてくれ」とショパンにこき使われていたフォンタナさんですが、そのおかげで「音楽的な」幻想即興曲の譜面を作り上げることができたのでした。


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