ショパン:チェロソナタ 作品65

Frederic Chopin : Sonate fur Klavier und Violoncello Op.65 

ピアノの詩人が残した最後の大作

ショパンと言えばピアノの詩人。彼が生涯に残した曲はほとんどピアノ曲ですが、たった4曲だけ作られた室内楽曲のうち3曲までがチェロとピアノのデュオなのです(序奏と華麗なるポロネーズ、マイアベールの主題によるグラン・デュオ・コンチェルト、そしてチェロソナタ)。オーギュスト・フランショムというチェリストの親友がいたことも大きな要因ですが、ショパンがピアノ以外にチェロを大変愛していたことが伺えます。
さて、ショパンはわずか39歳にして世を去ってしまうのですが、この曲は36〜7歳の時に作られています。ジョルジュ・サンドと別れ、健康面でも結核がどんどん悪化してきていよいよ困った状況の中で、ショパンはパリに戻ります。パリに戻ったショパンを支えたのが友人のドラクロアやフランショムでした。フランショムとは15年ほどつき合いがあったのですが、その間彼はショパンの書いた譜面を清書するようなこともやっていたのです。そのような長年の友情に報いるために、ショパンは自分のピアノとチェロの特性を最大限に生かせるようにこの曲を書き進めていきます。小品が多いショパンですが、もう一度大規模なソナタ形式楽曲を作曲をしたことからも、この曲に対する意欲の高さが窺い知れます。
構成的にピアノソナタ第3番に似通っているところが多く、兄弟関係のような曲になっているのもおもしろい点です。またこのソナタは作曲技法上、全楽章にわたってチェロとピアノを対位法的に扱い、協奏的にフレーズを展開しているのが大きな特色となっています。そのためチェロ独奏+ピアノ伴奏というスタイルにはならず、常にチェロとピアノが対等的かつ相補的な関係になっています。ショパンがピアノもチェロと同等の立場にしたいと思うのは当然なのですが、そのために対位法を利用して音楽的な説得力を発揮させている点はもっと評価されて良いと思います。
ショパンのピアノ曲が好きな人でもあまり知られていないこの曲ですが、チェロをやっている人にとっては「あのショパンがチェロのために作った、いつか弾きたい憧れの曲」として有名です。しかしピアノのパートはもちろん、チェロパートもかなりの演奏技巧が要求されるため、アマチュアにはハードルが高い曲となっています。結果的にこの曲はショパンの最後の大曲となったのですが、もちろん本人はこれで終わりにするつもりなど全くなく、死の直前まで様々なモチーフや曲のスケッチを残していました。それらは残念ながら完成しなかったのですが、ピアノソロ曲以外にもバイオリンソナタなどのスケッチも含まれていて、ピアノ専業から脱皮しつつあったショパンを伺い知ることができます。舟歌、幻想ポロネーズでピアノの可能性を存分に広げた彼は、このチェロソナタを足がかりに室内楽の世界へと足を進めていくつもりだったのかもしれません。

第一楽章
ソナタ形式。第一主題はト短調、第二主題は変ロ長調と古典的規範に従っています。もちろんショパンなので、随所に細やかな転調が使われて主調を曖昧にします(そもそも第一主題の半ばでト短調が怪しくなる)。しかしこの楽章は肝心なところでは徹底してト短調を貫いていて、全体的な調性感の統一に留意したことがわかります。
特筆すべきは展開部です。ショパンのソナタ楽曲は年を追って展開部が充実するのですが、最後のソナタとなったこの曲の展開部は非常に素晴らしく、大きな聴き所になっています。また、再現部で第一主題を省略するはいつものお約束です。随所に長い推移が入る構成はピアノソナタ第3番に類似しています。構成的にやや複雑な上にチェロとピアノの対位法的な絡みが加わってきますので、2〜3回聴いただけでは理解が難しいかもしれません。ショパン自身もこの楽章は難解だという認識を持っていたようで、生前行われた公開演奏でも第一楽章を省略しています。これだけの内容をもった楽章を省略せざるを得なかったのは辛い決断だったと思います。
下の譜例は導入部。ピアノの短い序奏から属7和音の長いアルペジオに導かれてチェロによる第一主題が入ってくる幻想的な雰囲気が印象に残ります。

大きな起伏を持ったロマンティックな第一主題に対し、非常に静謐な空気感を作り出す第二主題の対比が見事です。


第二楽章
スケルツォ形式で、構成・フレーズともに第一楽章より単純化されています。しかしスケルツォ部は調性的に非常に複雑になっています。ニ短調で始まって主題が反復されるうちにどんどん転調していきます。トリオに入っても調性は常に変化しており、シンプルな構成でありながら複雑な要素が含まれる楽章になっています。
チェロとピアノの扱いは第一楽章よりはっきりしていて、スケルツォ部では一貫して対立関係にあり、トリオでは一転して協調関係に変わります。このようなアンサンブル関係の変化を鮮やかにやってのけるところに、それまでピアノ専業だったショパンの作曲家としての進歩を見ることができます。以上のことから、この楽章はピアノソナタ第2番第二楽章の深刻さや第3番第二楽章における流麗さとはまた違ったものであり、スケルツォ形式におけるショパンの新境地を開くものであると言えるのではないでしょうか。
スケルツォ部−動きのあるチェロ旋律と、拍子を強調するピアノ伴奏の鋭い対立です。ざっくりしたピアノのリズムパターンは単純で力強いものがあります。

トリオ−伸びやかなチェロの旋律、美しいピアノのアルペジオ、それを支えるシンプルな低音部。アンサンブルの協調が素晴らしいですね。"cantabile"(唄うように)と書かれたチェロのパートは、ショパンが好きだったというイタリアオペラのアリアを彷彿させる、朗々としたメロディです。


第三楽章
ノクターン的な緩徐楽章。ショパンのノクターンは伴奏+旋律という単純な形式(ホモフォニー)で作られたものが多いのですが、この楽章は全編が3声体になっていて、チェロとピアノがそれぞれの声部を交替に分担しあう構成になっています。また、短い小節数の中で調性が刻々と変化するように書かれており、独特な緊張感をもたらします。普通の作曲家だとチェロのメロディ+ピアノ伴奏による美しい緩徐楽章を書くわけですが、単にそれだけでは済ませないところにショパンの工夫が見て取れます。
この楽章の主題は先の第二楽章トリオのメロディと関連があります。(上段:第二楽章、下段:第三楽章)

このように楽譜で比較するとわかりやすいのですが、雰囲気が違いますので演奏を聴いただけで気づくのは困難だと思います。この旋律はピアノソナタ第2番の葬送行進曲のトリオとの関連も取りざたされていますが、10年以上も前に作られた曲との関連をこじつけるのは問題があります。近接楽章との連携を考慮すべきでしょう。

第四楽章
ソナタ形式。展開部が再現部を兼ねているので、ロンド形式との中間のような雰囲気がします。
ピアノソナタ第3番ではストレートで力強いフィナーレでしたが、こちらはそうはいきません。そもそも第一主題が素直でなく、深刻さと諧謔さを併せ持つ絶妙の旋律になっています。対位法はさらに複雑になり、主題をチェロとピアノでカノン的に展開するなどそれまでのショパンではあまり見られない手法が随所に出てきます。対する第二主題と、そこから展開する新たな主題(最終的にはコーダでの主題につながる)はシンプルな形で提示されます。この楽章大きな目で見ると、第一主題の緊張感ある展開が全体を支配する中で要所を第二主題で締める形になっていて、ここでも複雑さと単純明快さが共存していることがわかります。しかしコーダにも一癖ある展開が用意されていて、最後に華々しいピアノのアルペジオがあり(第一楽章最初のアルペジオに対する肯定的返答)ト長調トニカで力強く終止します。

 ※以上、譜例はすべてヘンレ版より抜粋。2003年10月現在、ナショナル・エディションは未刊行なのです。

2003.10.26 

 


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