ショパン:バラード

Frederic Chopin : Ballades
バラードは元来、歌曲の1ジャンルです。物語性のある詩を吟遊詩人が竪琴などで弾き語りをするのが中世の伝統的なバラードのスタイルでした。しかしショパンといえばピアノの詩人です。そこで、ショパンはバラードを歌詞のないドラマティックなピアノ音楽として独り立ちさせました。そう、ショパンが器楽におけるバラードの創始者なのです。
それでは、ショパンのバラードとはどんな曲なのでしょう?
実際に聴いてもらうのが手っ取り早いのですが(笑)、歌詞のないピアノ曲といっても、ポーランド人の友人が作った詩からインスピレーション受けて作曲したと伝えられており、いずれも起承転結のあるドラマティックな曲想が印象的な傑作です。演奏時間は10分前後とソナタ作品に次いで規模が大きく、ショパンの魅力や才能が存分に発揮された作品ということができます。
なお、ショパンの他の作品とバラードの相違点は、以下のようになります。
 ・マズルカやポロネーズのようなポーランド民謡が由来ではない
 ・ワルツやノクターンのようにサロンで演奏される小曲を目指してはいない
 ・複数楽章や組曲でなく、単一の曲である
すなわち、ピアノによる1曲の独立した純粋な絶対音楽を目指しているということになります。ショパンは生涯で4曲のバラードを作曲しましたが、これらには関連性はなく全く別個に作られたものとされています。また、舞曲由来ではないバラードですが、すべての曲が3拍子系になっており、旋律そのものに微妙な舞踊性を残しているのがポイントとなります。この辺りのショパンのバランス感覚は驚くべき物があります。
なお、リストやブラームスも、おそらくはショパンに影響されてピアノ曲としてのバラードを作りました。しかし彼らの曲は演奏される機会が少なく、バラードと言えばショパンということになっています。もっとも、これはバラードに限った話ではなく、ポロネーズと言えばショパン、マズルカといえばショパン、スケルツォと言えばショパン、ノクターンと言えばショパン・・・といった具合です(笑)。あらゆるジャンルで傑作を生みつづけたショパンの才能には敬服するしかありません。
ショパンは「別れの曲」「革命のエチュード」「英雄ポロネーズ」など通称名の付いたポピュラーな曲が有名ですが、これらは作曲者本人の命名ではありません。これらの曲に感銘を受けた人たちが命名しているわけですが、ショパン自身はむしろ標題音楽には否定的でした。音楽はあくまでも音楽であり、曲の成立した背景や包含される内容については演奏者や聴き手にすべてを委ねるべきである・・・というのがショパンの考え方だったのです。そういったショパンの考える「絶対音楽」に対する意識が最も反映されたのが、このバラードです。4曲にはタイトルは付いていませんが、これらの傑作を聴いて何の感情も呼び起こされない人などいません。安易にタイトルを付けるのではなく、言いたいことを音符に託して表現する。バラードは音楽に対して厳しい姿勢を貫いたショパンの想いが込められた作品なのです。 

第1番 作品23
いきなり低音がドーンと鳴り響き、オクターブで謎めいた旋律を奏でるという、たいへん印象的な始まり方をします。ショパンの大きな曲には大抵序奏が付いているのですが、その典型とも言えるものです。次に主題が入ってきます。物憂げで寂寥感の漂う、いかにもショパンらしいメロディです。バラード1番はソナタ形式に近いのでこれを第一主題と呼びますが、ショパンのソナタ2番では第一主題は比較的短い小節数ですぐ第二主題に入ってしまいます。ところがこの曲は、第一主題のまま思い切り長く焦らされます。これがショパン一流のためらいなのです。高揚しかける感情、しかしすぐ憂鬱さが戻ってしまう。再び高まるけれども、またしても物憂げに沈んでいく。しかしオクターブの動機をきっかけに徐々に感情の高まりを見せ、爆発するアルペジオとなって第一主題を締めくくります。
ショパンのお好きな人は、たいてい第一主題の段階でこの曲の虜になってしまうと思いますが、曲が進むにしたがって甘美な第二主題、充実した展開、激情のコーダといったまさにドラマティックな展開が待っています。ぜひ聴いてみてください。 

第2番 作品38
ソナタ形式に近かった第1番とはだいぶ違い、ABAB+コーダのシンプルな構成となっています。夢想的なA部と嵐のようなB部の対比が際立ち、聴く人に強い印象を与える曲になっています。
ヘ長調のドミナントであるハ音に導かれて第一主題が始まり、コラール調に進みます。とても平穏な曲調で、リズムも延々同じものが続きますので一見すると冗長に見えますが、実際にはヘ長調→イ短調→ハ長調→ヘ長調という具合に属調や平行短調を渡り歩く転調が含まれている点が重要です。この部分を意識した演奏を聴けば、単に静かな雰囲気だけで終わってしまうA部には微妙な表情の変化が潜んでいることに気付くでしょう。A部の最後最後はイ音の連打で停滞するのですが、これは最初に出てくるハ音に呼応しています。すなわちこの部分は、B部で主要な調性となるニ短調のドミナントを鳴らしているのです。ショパンの導入部は大きく2パターンあって、一つはドミナント等から主題を開始しすぐ主調を確立させるシンプルもの、もう一つはナポリ6度などから前奏を開始し主調を確立させずファンタジックな雰囲気を強調するものです。この曲は前者に該当します。
さて、続いて入る第二主題はさながら吹き荒れる暴風雨の様相となります。しばらくすると暴風が収まって、第一主題が再現します。最初に登場したときよりも和声的には複雑な展開がされ、徐々に不穏な空気が見えてくると再び嵐の第二主題が現れます。ここでの第二主題は短縮されており、低音部で鳴らされる雷鳴のようなトリラーをきっかけに怒涛のようなコーダになだれ込みます。トリラーの凄まじさに耳を奪われがちですが、ここでニ短調→イ短調への転調している点も見事です。あとは延々と続く嵐なのですが、感情が最高潮に達したところで急に悪夢から覚めたように第一主題が回想され、曲を閉じます。ショパンの繊細な幻想性と、それとは対照的な激しい気性が見事に対比された一曲です。また、長調で始まり短調で終わる構成も珍しいです(短調開始−長調終止はよくあるのですが)。

第3番 作品47
4曲あるバラードの中でこの曲だけがサロン的な気品と華やかさが全体を支配します。深刻な曲の多いショパンの大作の中では珍しく開放的な明るさが感じられ、そのため気軽に楽しめる1曲という見方をされてきました。しかし対位法的手法が全面的に取り入られるなど、1番・2番と比較して作曲技法は高度になっており、円熟期のショパンの充実した書法を堪能できる曲となっています。
第一主題はいかにもサロン的な雰囲気の小粋なメロディですが、リズム的な変化や音域の跳躍などがアクセントとなって、諧謔性も感じさせるものになっています。ショパンのメロディは息の長いものが多いのですが、バラード3番は短いフレーズが1小節ごとに対話しているような雰囲気になっています。これが対位法の効果です。第一主題が静かに終わると、今度は第二主題が始まります。そのまま展開部に入っていきますが、この部分の作曲技法はまさに秀逸です。リズムのパターンは第二主題のまま第一主題が短調に変奏されて出てきたり、手の込んだ展開がなされます。そのまま第二主題を展開して曲が盛り上がっていきます。最後は第一主題が華麗に演奏され、華やかな雰囲気のまま曲を閉めます。

第4番 作品52
名曲揃いのバラードですがその中でも特に優れており、さらにショパンの全作品中でもとびきりの傑作とされるのがこの第4番です。構成的には第1番とほとんど同じで、よりソナタ形式に近いものになっています。すぐには主調をはっきりさせない導入、そして第一主題をじっくりと展開し感情の山を作った後で入ってくる長調の第二主題などが第1番との類似点ですが、作曲上は比べ物にならないほど充実していています。第1番も傑作には違いないのですが、第4番で聴かれるような深さはそれほど感じられず、むしろ情熱や若さの方が前面に出ているように思います。
この曲の特徴は第一主題の変容です。実はショパンは変奏の名人なのですが、「変奏曲 Valiation」というタイトルの付く曲はごくわずかで、それも20歳前後の時期にしか作っていません。そのかわり、いろいろな曲で変奏の手法を用いて、繰り返し出てくるメロディに絶妙な変化を与えています。有名なノクターン2番(Op.9-2)でその片鱗が伺えますが、彼の変奏手法はこのバラード4番でピークを迎えます。
第一主題は最初に右手の単音旋律+左手和音伴奏という、大変シンプルな形で提示されます。二度目に登場するときは、下降音型を中心とする内声部が加わり、シンプルな雰囲気から一転して幻想性が拡大します。合わせて伴奏部も厚みを増し、提示時とは比較にならないほど音数が増えますが、これに先立つ51小節からの推移で既にポリフォニックな展開が行われており、準備万端でこの展開に入っていく構成が見事です。三度目に登場した第一主題は、なんとカノンになっています。二声で始まり、静謐な緊張感を演出してから、声部が増えて充実感のある小終止を迎えます。この変奏は短く、すぐに次の変奏に入ります。四度目に登場した主題は、ノクターンでおなじみの幅広い分散和音にのって、メロディを半音的に分解しつつ流麗な進み方となります。
この雰囲気がそのまま最後の第二主題へ引き継がれ感情の高まりを見せ、「大洋のエチュード」の音型の両手アルペジオで激情が頂点に達するとfffの和音でぶっつりと曲は中断します。一瞬の静寂ののちに入るピアニッシモの和音は、その後の素晴らしいコーダを一層効果的なものにします。コーダの作曲技巧については真に絶賛に値するところで、ショパンの天分が最大限に発揮されたものでしょう。最後はまるで舞台の幕を閉じるかのように長大なアルペジオが鍵盤を駆け下り、曲をしめくくります。


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