ショパン バラード CD聴きくらべ

1.名盤編

クリスティアン・ツィマーマン(Deutsche Grammophon/1987)
透き通った静謐な音色がことのほかショパンに合うツィマーマン。強弱、硬軟、重軽、明暗、・・・無限と思われる音色を実に正確・精巧な打鍵でコントロールしているのがよくわかる演奏で、安易に弾き流す音は一切存在しません。完璧主義という言葉はこの人のためにあるとしか思えない完璧な演奏ぶりです。また音色だけでなくアゴーギク、デュナーミクの幅が広く、随所で劇的な表現が見られるのも印象的。劇的な表現を冷静に作り出しているわけです。また、メロディにしっかりとブレスを入れて、大きな単位で歌っているのも素晴らしい。他のピアニストと大きく違うのがペダルの使い方で、要所要所でダンパーペダルをしっかり離すことによって、必要以上に低音部が響くのを防いでいます。これがあの静謐な表現の秘密の一部かと思います。なお、同時収録されている幻想曲と舟歌は、これらの曲のベスト録音と呼べる大変な名演です。「舟歌」は聴く側にとってもなかなか難しい曲で、私自身その良さがわからなかったのですが、ツィマーマンのCDを聴いて「こんなに素晴らしい曲だったのか!」と大ショックを受けました。なお、このCDと同じプログラムによるDVDが出ており、そちらも必見です。
エフゲニー・キーシン(RCA/1998)
近年のキーシンの充実ぶりを如実に伝えてくれた1枚です。ツィマーマンが非常に繊細に弾いているのと比較すると、男性的で力強い演奏解釈になっています。キーシンは25歳すぎくらいから精神的にぐっと成長したようで、録音からも「私はこう弾きたいと思ったから、そしてこの解釈に自信を持っているから、このように弾いているのです。」というような確固とした信念と自信が伝わってくるようになったのですが、このCDもそういう意志の強さが感じられ、迷いがありません。もともと生真面目なキーシンは、どうかするとニュアンスに乏しい一本調子な演奏をすることがあったのですが、ここでは幅広い音色のパレットを存分に使って、骨太で色彩豊かなショパンを描いたと思います。だからといって細部をなおざりにしていないところもさすが。「この内声は大切にしてくださいね」とショパンが楽譜に記した箇所がアルペジオの海から忽然と浮き上がってくるところなどはぞくぞくします。
ニコライ・ルガンスキー(ERATO/2001)
3番と4番しか録音していないのですが、「24の前奏曲」のCDに収録されていたこの2曲がどうしようもなく素晴らしいのでここに入れてしまいます。
ルガンスキーは「ショパンエチュード聴き比べ」でも出ていますが、ひたすら技巧を追い求めていた当時からは考えられないほど成長を遂げました。実に深い、(あまり使いたくない言葉ですが)精神性を感じさせてくれます。彼の身に何があったのかは知りませんが、ラフマニノフのソナタやショパンエチュードをひたすらバリバリ弾いていた人と同一人物とは思えません。おそらくいろいろな経験をしたのでしょう。ショパンでは重要なキーワードの一つ「絶望」をまざまざと感じさせる演奏をする人は少なく、とても貴重だと思います。ロシア系ということでピアニズムはキーシンによく似ているのですが、キーシンよりももっと繊細で弱音方向の音色が豊かです。ショパンエチュードの頃は音色も強弱も階段状に変化する箇所が多かったのですが、非常に滑らかになり、同時にスケールも大きくなりました。全て音楽のために身を捧げ、表現のために技巧を使う、見事にピアニストとして脱皮したルガンスキーを感じさせてくれました。
アルトゥール・ルービンシュタイン(RCA/1959)
ルービンシュタインのショパン録音は非常に多いのですが、これは1960年前後(なんと70歳すぎ!)にショパン・ピアノ作品のステレオ録音全集を作っていた中での1枚で、日本では「ルービンシュタイン・ショパン全集」としても入手可能です。70歳すぎというと現代の感覚でもおじいさんなのですが、ルービンシュタインの場合は円熟期に入ったばかりと考えて良いでしょう。何しろこの人は、この後も15年以上現役で演奏活動を続けてしまうのですから(笑)。
当然、演奏内容も枯淡の境地どころではなく、瑞々しい感覚に満ちたものになっています。全体としては作為的な仕掛けを作らず、ごく自然に弾いているところに好感が持てます。素朴で大らかなので、様々に手を尽くしている現代の演奏家のCDと比較すると、少々物足りないところがあるかもしれません。しかし、決して手を抜いているわけではなく、楽譜に忠実に弾くことに神経を遣い余計な私情は挟まない、というストイックな態度を貫いているように思います。それで十分に魅力を堪能できるのがショパンの素晴らしさなのですね。その意味でも、お手本的な演奏と言えます。ルービンシュタイン以前のショパンは、過剰なルバートや装飾に満ちていたようです。しかしルービンシュタインは、ショパン本来の魅力はそういった表面的なものを取り去った奥にあると気づき、虚飾を廃した演奏解釈を貫きました。当時そのようなスタイルは「機械的だ」「詩情が感じられない」等と批判されたようですが、いまとなってはルービンシュタインこそ現代的なショパン弾きの元祖と言われるほどのスタンダードとなりました。
ジョナサン・シナール(IMP CLASSICS/1995) <あっぱれ>
バラード全曲+スケルツォ全曲というお買い得盤。音色の美しさ、透明感はツィメルマンに匹敵。また、自然で無理のない歌い回しはルービンシュタイン以上の滑らかさです。ショパンが楽譜に記した内声の強調なども完璧に再現されるなど、ものすごく細かいところまで楽譜に忠実なのですが、決して微視的な演奏になりません。あくまでも流麗に曲が進んでいきます。大きな構成を意識した表現も完璧で、盛り上げるべきところはきちんとフォルテシモで感情の山を作ってきます。第2番の、静と動の対照を大げさに見せつけない節度ある表現に感心します(この人は激しいところも麗しさを忘れない)。またサロン的に演奏されることの多い第3番はかなりシリアスに弾き込まれており、他のピアニストとは一線を画す内容です。第4番はバランスを重視するあまり最初の部分が延々ピアニッシモで続いてしまい、そこだけが惜しいのですが、あとは全く見事な演奏です。とにかく演奏の流れが良いので、ツィメルマンでは歌い回しの呼吸が深すぎて付いていけない、という人にはぜひこのCDを聴いていただきたいと思います。全然知らないピアニストだったのですが、こういう素晴らしいCDに出会えることもあるので聴き比べは面白いです。

.その他

マレイ・ペライア(SONY/1994)
名盤に入れても良いのですが、上に挙がっている人たちほど1音1音に情念が込められていないのがわかるので、こちらに来てしまいます。ただし、早いフレーズの流れは本当に美しい。ペライアの美点ですね。あと、このCDではところどころ左手をオクターブ下げて低音を強調したり(ホロヴィッツの変な影響が残っている)、全体の流れからそこだけ突出してしまうため不自然な違和感を憶えます。ペライアは美音とバランス感覚で聴かせるピアニストだと思うので、それを崩すようなことをされると影響が大きいですね。たぶん、意識的にバランスを崩して予定調和な安定感に変化を持たせようとしていると思うのですが、あまり成功していないと思います。このCDでは他にワルツ、マズルカ、エチュードが入っていますが、そちらの方が肩に力が入っておらず、良い演奏になっていると思います。
シプリアン・カツァリス(TELDEC/1984)
1985年ショパンコンクールにおいて、ディスク大賞に選ばれた1枚。演奏者名を明らかにしないブラインド審査だったそうです。演奏内容は見事なカツァリス流。内声の対旋律を歌わせたら世界一だけあって、他のピアニストでは聴けないフレーズが随所から聞こえてきます。こういうことは、やりすぎるとくどい表現になってしまうのですが、彼の場合はそうなる手前で踏みとどまるバランス感覚が絶妙です。一昨年リサイタルを聴いたときは軽めのタッチが多かったのですが、このCDでは深いタッチを多用していて、充実した演奏になっていると思います。あと、カツァリスは跳躍の名人で、音が飛びまくる箇所になると余計にテンポアップして軽々と弾いているのが印象的。嫌味にならず高度なテクニックを披露してくれる、貴重なピアニストです。
マウリツィオ・ポリーニ(Deutsche Grammophon/1999)
ポリーニの表現したかったことは、曲全体の彫像的構築であったことはわかりますが、それはバラードという曲目には相応しくないと思います。発売当初から賛否両論だったのですが、2001年のリサイタルでもバラード全曲を聴いて、それがこのCDと全く同じ解釈だったので(つまりポリーニはこれで良いと思って弾いている)かなり落胆しました。演奏会の模様を放映していたテレビ番組で、中村紘子さんが明らかに怒りを抑えながら苦々しく解説していたのが印象的でした。
ショパンが神経を遣った内声の流れは全く無視され、和音は単なる和音として縦に鳴り響くだけで横のつながりが見えません。コーダになると猛然としたスピードで弾き飛ばし、微妙なニュアンスは全て無視。まるで木炭で殴り書きした力強くも荒々しい石膏デッサンのような演奏です。確かに、そういう解釈の合う曲もあると思いますが、ショパンのバラードにはそのような表現は合わないと思います。
ダン・タイ・ソン(Victor/1992)
ダン・タイ・ソンはベトナム出身ですが、ロシア人にピアノを習っていたこともあってロシア流のピアニズムです。ビロードのようなレガート奏法がすごくきれいです。緩徐な部分でのテンションが非常に高く、また繊細な感性を伺わせる表現です。全体的にペダルを長く踏む傾向があるようで、フレーズの終わりが間延びしたような印象を受けるのが惜しいと思います。あと、ポリフォニックな部分でどの声部を強調するか、センスの問われるところだと思うのですが、他のピアニストとは違うことをしたり、細かなこだわりを感じることができます。しかし歌い回しは自然そのもの。アジア系では不自然なショパンを弾く人が大勢いるので、自然な演奏ができるのは貴重な資質だと思います。ショパンコンクール優勝後あまりパッとしないと思っていたのですが、たまにヨーロッパでリサイタルをやって「怪しい東洋人が弾くみたいだから聴いてみるか」と集まった聴衆の度肝を抜いたりしているようです。
アダム・ハラシェビッチ(PHILIPS/1962-67)
ルービンシュタインから気品とテクニックを取り去ったような演奏(笑)。6/8拍子の伴奏が「ズンチャッチャ、ズンチャッチャ」になっているのはどうかと思うのですが(拍子に対する重み付けができていない)、そういった細部や完成度は二の次で、旋律を綺麗に歌い自然に曲を展開させることが第一という感じです。しかし基本的テクニックに問題があるようで、難曲のバラード4番ではいかにも苦しそうに弾いている箇所があり、自然な流れを阻害しているのが惜しいと思いました。ただ、バラード4番にしても一番難しいと言われるコーダはやたら上手かったりしますので、具体的にどこに問題があるのはよくわかりません(笑)。ショパンコンクールでアシュケナージに勝って優勝したことでいろいろ言われたようですが、確かにアシュケナージの方が数段上手というのが本当のところだと思います。
ウラディーミル・アシュケナージ(DECCA/1976-84)
ハラシェビッチに負けたアシュケナージですが、やはり実力では勝っていたようで、バラード1番の序奏から段違いの深さを聴かせてくれます。ただアシュケナージ自身が言うように、「指が太くて短いので(細い指をしていた)ショパンの曲はとても弾きにくい」ということを実感させる箇所が多いです。例えばバラード1番の第二主題の展開で、右手で装飾音的に早いオクターブのパッセージが要求されるのですが、すごく苦しそうに弾いています。テンポを維持したまま突っ込んで破綻した演奏になるよりも、多少速度をゆるめて切り抜けた方が良いと思うのですが。あと録音が非常に悪く、フォルテになるとリミッターがかかって音がつぶれます。丸く暖かみのあるフォルテがアシュケナージの良さなのですが、それが感じられないです。
ニキタ・マガロフ(PHILIPS/1974)
バラード1番の第一主題とか、どうしてそんなにベタッと弾いてしまうんだろうと不思議に思っていたのですが、どうも録音のためのようです。残響が多く、微妙なニュアンスがすべてかき消されてしまいました。微妙なニュアンスの変化がマガロフの真価だというのに。緩徐な部分の変化もよくわからないのですが、激しい部分は非常に盛り上げていて、ドラマティックだと思います。うーん、それにしても残響が多すぎて音響がぐちゃぐちゃで、悲しい・・・。
フィリップ・アントルモン(SONY Classical/1970)
フランス系ピアニストとしてはタッチが深く、かなり激しくピアノを鳴らす場面もありますが、演奏表現は静謐や端正さを通り越して、どこか醒めた印象を受けるときすらあります。ちょうど指揮を始めた直後に録音されたもので、曲想に没入するのではなく、一歩退いた位置から全体を眺めつつ冷静に演奏をしているようです。そのため、曲の見通しがたいへんすっきりしているのが特徴です。また、フランソワやコルトーなどの贅を尽くした演奏解釈に対する反動だと思いますが、楽譜に書いてある以上のことはやりませんという感じで、ルバートも控えめでメロディの歌い回しなどもごく自然。しかも全体として非常に丁寧かつ真摯な演奏になっていて、非常に好感が持てます。オンマイクな録音で残響などがほとんどないため、演奏上のちょっとした傷まで拡大されてしまうのが厳しいですが、スケルツォ全曲と一緒のCDで1000円くらいで入手できオトク。入門用としても良いかも知れません。
アラン・ルフレ(KOCH/1996)
ブラームスのバラードOp.10全曲+ショパンのバラード全曲という珍しい取り合わせによるCDです。とにかく異様にテンションが高く、ひたすら濃ゆいコテコテ表現が特徴の演奏で、盛り上げるところは笑ってしまうほど猛烈なクレシェンドがきます。アントルモンが淡い水彩画とすれば、こちらは極彩色の油絵です。ただ、演奏は非常に丁寧で、おそらく大真面目に歌舞伎のようなこの表現に取り組んだものと推測。全体にテンポが遅く、コーダに来ても全然テンポが上がらないし、アルペジオやスケールも一音ずつしっかり弾いてしまうので流麗さには欠けます。テクニックがなくて速く弾けないわけではなさそうで、とにかく常に厚く熱く表現したいために速度を落としている感じ。3番なども最初のうちはサロン風に軽く弾いてるのですが、展開部以降は期待を裏切ることなくドッカンドッカンかましてくれます。全編分厚い奏法というわけでもないのですが、4番のポリフォニックな展開をここまで分厚く弾かれると、げっぷが出そうになりますね(笑)。とにかく、筋肉質で、豪華で、ラテン気質で、フレディ・マーキュリーみたいなショパンです。←そんなショパンはいやだ!というわけで、トンデモ盤認定。まあ、紫色のライトが差し込んだジャケット写真を見れば推して知るべきなのですが、こういうCDがあるから聴き比べは面白いです。
セシル・ウーセ(EMI Classics/1987)
こんなにフランスっぽくないフランス人ピアニストは珍しいと思うのですが(笑)、ロシア人のようにガッチリ弾く印象の強い録音です。ソナタ同様にアゴーギクが極端でコーダになると猛然とした勢いで、ものすごい音量で弾きまくります。確かに迫力はあるのですが、少々説得力に欠けるんですね。この原因は、激しい場面とそうでない場面の表現の密度が違うためだと思います。ショパンがよく使う"con fuoco"(炎のように)とか"agitato"(せきを切って)という切迫した場面の表現は上手いのですが、静謐さや柔和さの表現が希薄なんです。この人は静かな場面において、旋律以外の和音を不用意に弾くことが多く、和声進行や内声のつながりを含めた前後左右の関係性表現が上手くありません。そのため、深みが感じられないんですね。この演奏を聴いていると、ものすごく上手い素人の演奏に聞こえることがあるんです。ピアノを弾く基礎能力はべらぼうに高いと思うので、もっとしっかりと楽譜を読み、表現を詰めていただきたいものです。十分に水準以上の録音だとは思いますが、もっと良い演奏ができると思いますし。ひょっとすると、忙しい中で録音したのかもしれません。
アール・ワイルド(Ivory Classics/1990)
曲ごとのキャラクターの描きわけがはっきりしている演奏解釈です。1番は形式重視、2番は劇的な表現、3番の内に秘められた情熱、4番の幻想性。スケルツォ全曲と同じCDに収録されているのですが、スタイリッシュにまとめたスケルツォと比較すると、オリジナリティが色濃く表現されていて聞き応えがあります。しかし恣意的な解釈ではなく、楽譜を読んだまま素直にドラマを大きく表現していくような演奏になっています。そのため説得力があり、感動をもたらしてくれます。また、75歳とは思えないしっかりしたタッチと指回りに驚きます。
ピオトル・パレチニ(BeArTon/1995)
エキエル編ナショナル・エディションに基づく録音です。強大なフォルテを出せるパレチニらしい、ダイナミックレンジの広い迫力あるドラマティックな演奏になっています。指の独立性が高いため、入り組んだフレーズなどもきちんと1音ずつ分離して聞こえる演奏能力の高さがすごいです。しかしこれが欠点にもなっていて、ふわりと響かせて欲しいアルペジョがジャララ〜と派手に鳴ってしまったりします。ひとつひとつの音を丁寧に弾こうとした結果だと思えるのですが、ちょっと違和感を覚えました。あと低音部を濁らせないペダリング、バラード4番などで複雑なポリフォニーを明確に弾き分ける音色コントロールなど、要求される演奏技術と曲調がしっかり結びついています。鍵盤にかける圧力が全体的に高い人なので、とても重厚なピアニズムになっています。シリアスに重く弾いているため息が詰まりそうに思うこともあり、もう一段階軽く弾いてくれた方が聞きやすかったのではないかという気もします。実演を聞いたことがありますが、このCDよりずっと上手かったので、生演奏向きかもしれません。
シュテファン・ヴラダー(harmonia mundi/2002) <おすすめ>
とてもドラマティックで情熱的な演奏です。ウィーン出身のピアニストと言うこともあり、音楽をシリアスにとらえた解釈で、繊細なところもあれば積極的にヴィルトゥオジティを出す場面もあって、ショパンの音楽の持つ多面性をよく表現しています。またバスの進行を嫌味にならない程度に強調するのが上手く、安定感のある重厚な響きを作っています。ただ全体的にアゴーギクが控えめで、粘って欲しいところをスルッと抜けてしまったり、速いフレーズは全部速いままのインテンポで弾いてしまったりと、もう少し溜めて歌ってくれると聴きやすいように思います(決して弾き飛ばしているわけではないのですが)。あとリズム表現があまり上手くなく、3番などの軽めのニュアンスが感じられません。もっともその3番の展開部のドラマティックな表現などは抜群で、要するに快活さや変にサロン的な雰囲気を出したくなかった模様です。音色に派手さはありませんが十分にロマンティックですし、4番における幻想的な音響作りなども素敵です。やはりharmonia mundiからブラームスの後期ピアノ曲集(Op.116〜119)の録音が出ていて、これも名演です。
ニコライ・デミデンコ(hyperion/1993)
ピアノの部分(特にsotto voce指定されているところ)を弱音で弾くことにこだわりすぎているようで、旋律のアーティキュレーションや和声変化のニュアンス表現がスポイルされてしまっており、デュナーミクの幅が広さが生かされていないように思いました。音色は非常に美しいのですが、同じような弱音で続くために音楽の表情が停滞して感じられます。フォルテ時は迫力を出そうとしてかなり低音を響かせるのですが、轟音のようになってしまうこともあります。旋律の歌い方は控えめ、伴奏の表現も控えめで、楽曲表現における自己主張に乏しいようにも思います。まとまり感を重視しているのかもしれませんが、詩的なファンタジーやロマンティシズムをもっと掘り下げて表現した方が共感度の高い演奏になると思います。
リッカルド・カストロ(ArteNova/1998) <おすすめ>
繊細で丁寧かつ流麗な演奏です。アゴーギクが大げさでなく、常に自然な呼吸の中で弾いています。流れのよさと、しっかりしたディテール表現が両立しているので、ツィメルマンでは重すぎて聞きにくいという人におすすめできます。3拍子系の表現がうまいので(3拍子はショパンのバラードではとても重要な要素です)、常に拍子を感じさせてくれる演奏ができるのだと思います。感情表現にのめり込むあまり、拍子を失ったような演奏をすると、曲としての構成が成立しなくなってしまいます。4曲の性格の描き分けもしっかりしていて、序奏が始まっただけで新たなドラマの幕開けを思わせるのはまったく見事としかいいようがありません。美しい音色で劇的な要素と幻想性を堪能させてくれる名演奏です。
タマーシュ・ヴァーシャリー(DG/1965)
4曲の持つ詩的な要素に重点を置いた演奏です。1番は第一主題における6拍子の表現が不明瞭です(この人は3拍子系の表現が苦手で、ワルツなどもイマイチ)。ただ、それ以外は気になる箇所はなく、ドラマティックにまとめあげています。2番も同様で、6拍子が機械的です。せっかく丁寧に、繊細に弾いているのに惜しいです。3番はしっかり&どっしり系の演奏で、「サロン風に軽くまとめるだろうな」という予想をくつがえす熱演。曲想や調性の変化につれて音色もさまざまに変えており、読みの深さを感じさせてくれる演奏です。4番は瞑想的な雰囲気が支配的ですが、柔らかく強い指をしているようで、重音やポリフォニーを無理なく滑らかに弾いています。
園田高弘(Evica/1990)
恣意的な解釈を排除して、なるべく楽譜に忠実に弾こうという意識が見えます。構築性を重視し、主観的な感情表現が過度にならないように気を付けていると思うのですが、それがあまり良い方向に作用していない面もあると思います。というのは、初期のバラードなどではショパンによる楽想指示が十分に書かれておらず、演奏者の裁量に委ねられている部分も多いのですが、そういう箇所になると文字通り楽譜のまま機械的に音符を並べるだけの演奏になってしまいます(たとえば、1番展開部のワルツ調のパートなどはツェルニーの練習曲を弾いているような手さばきで猛スピードでテキパキと処理してしまう)。あと全体的にアインザッツ(フレーズの開始点)を強調しすぎです。ベートーヴェン風のアーティキュレーションというか、妙に決然とした雰囲気がフレーズを支配します。これはショパンの意図した柔らかな声楽的フレージングと異なりますが、バラード4番のように対位法的な曲ではフレーズの開始点が明瞭になる効果をもたらしています。あとこれは意図的だと思いますが、アゴーギク表現が異様なまでに淡白です。粘って欲しいところもスルスル流します。だらだらルバートしまくる演奏が嫌いだったようで、その反動でしょう。
エウゲニー・ムルスキー(Profil/2004) <おすすめ>
演奏解釈に極端なところがなく、とても聴きやすいです。あっさり目にまとめているようで、細部まで入念に作り上げています。対旋律、ポリフォニーなども嫌味にならない程度に強調されますし、フレージングやアーティキュレーションもきちんとしているので旋律線の見通しが良いです。ペダルの使い方がとても繊細で、絶対に響きを濁らせないようにしています。特に、左手が低域でうごめくようなフレーズの場面のペダルが上手いです。普通のピアニストではぼんやりとしたひとかたまりの音響になってしまうようなところも、フレーズが明瞭に聞こえてきます。このペダリングがすっきりとした雰囲気を生む要因になっていますし、バラード4番のような複雑な曲も整理した音響で聴くことができます。外面的なアピール度が少し不足しているかと思いますが、じっくり聴きたい人にはおすすめの1枚です。
中村紘子(SONY/1987)
盛大な「左手ガツンゴツン奏法」が聞けるCDです。弱音のニュアンスはとても豊かなのに、フォルテ〜フォルティッシモになると。無理して大音量を出そうとするあまり画一的で柔軟性に乏しい表現になってしまいます。また、コーダになると猛然と加速して怒涛のように駆け抜けてしまうのですが、破綻しているようにしか聞こえないです。速く必要のない箇所を速く弾きすぎることが多いので、テンポ設定に問題があるように感じました。さらに、拍子の表現が甘いというか、ほとんど意識されていないのは最大の欠点だと思います。8分の6拍子がとても平板ですので、そのほかの演奏表現をどんなに工夫しても不自然なイメージがぬぐいきれません。また、デュナーミクをピアノ全体の音量でしか捉えていないようで、ポリフォニックなフレーズにおいて各声部を別々の音量で弾くとか、そういった表現がとても稚拙です。おそらく、微視的に表現するところと、わざと荒っぽい表現をするところの差を付けることで、曲に対する視点を近くしたり遠くする効果を狙ったのだと思います。でも成功していません。ホロヴィッツの真似をしない方がよいとわかっていても、真似せずにいられないのが彼女の業の深いところだと思います。
横山幸雄(SONY/1996)
25歳当時の録音なので仕方ない面もありますが、演奏表現がとても未熟です。3拍子や6拍子系の表現が下手というか、ほとんどできていません。ショパンの曲に限らず、ヨーロッパのクラシック音楽は拍子やリズム表現ができていないと成り立たないタイプの音楽です。横山さんの演奏からはほとんど拍子感が伝わってこないので、音楽の足取りそのものが不明瞭で構成などがわかりにくいものになりがちです。指はよく動き、どんなに難しいフレーズもクリアに弾いているのですが、「音楽的にクリアに聞かせる」ことには成功していないと思いました。第1番、出だしや第一主題を含め非常に懇切丁寧に弾いていますが、テンポの遅い部分は全く拍子が感じられず、フレーズの起承転結もよくわかりません。コーダで4拍子になってようやく音楽に流れが生まれます(笑)。第2番、第一主題があまりにも平板すぎます。音色の種類が少ないし、ポリフォニーを掘り下げて表現する技術に乏しい感じ。第3番、6拍子が絶望的に下手でほとんど聞くに堪えない。拍子表現を教えてくれる先生がいなかったのでしょうが、ここまでひどいと可哀想になってくる。コーダになって音楽に勢いがつくと表現が良くなるのは第1番と同じ。第4番もほぼ同じ調子。
仲道郁代(RCA/1990)
4曲を通して伝わってくるのは、音楽への取り組みがとにかく真摯で真面目で、シリアスということ。それはもちろん良いことなのですが、わずかならが息苦しさを感じさせることもあって、ほんの少し肩の力を抜いた瞬間があるといいかなあと思いました。第1番:展開部前半の処理に苦慮したようで、やや機械的にてきぱき弾いてしまうのが惜しいです。それ以外は若々しいパトスを感じさせる演奏解釈になっています。未熟といえば未熟かもしれませんが、瑞々しい瞬間が多々あり、曲調にマッチしていていて良いです。第2番:第一主題がやや平板に思えるが、第二主題やコーダはうねるように弾かれていて情熱的。第3番:サロン的と評されることが多い曲だが、かなりロマンティックに、しっかりと弾きこんでいて交換が持てます。ただ、少しシリアスに攻めすぎのような気もする(どこかに遊びが欲しい)。第4番:シリアスさが良い方向に作用した演奏。しっかりした足取りや構成感を表現しつつ、多彩な音色を使い分けて幻想的な雰囲気作りに成功しています。10度和音はすべてアルペジョになっていますが、それ以外の箇所では手の小ささを全く感じさせないスムーズで流れの良い演奏です。日本人の女性ピアニストは流れの悪い変なショパンを弾く人が多いのですが、仲道さんは「いろいろと小手先の工夫するより自然な歌いまわしで丁寧に弾いたほうがよい」と判断したようで、それが成功しています。
ステファン・ハフ(hyperion/2003)
全体に演奏表現が抑制されているというか、きちんとコントロールされていますが、少しこぢんまりとまとめてしまった感じがします。ペダルの使用も少なめで、すっきりした音響を作っていますが、演奏能力自体がとても高い人なので、もっとスケールの大きな音楽作りをして欲しいと思いました。第1番は、最初の主題から6拍子の流れがギクシャクします。不用意なアゴーギクというか、旋律を歌うときの溜めや先走りによってテンポ自体が変化するような印象を与えるため、全体的に流れの悪い演奏に聞こえます。たぶん、3拍子系の表現が苦手だと思われ、コーダに入って4拍子になるととたんに流れが出てきて見通しの良い演奏になります。指の動き自体には全く問題が無いほどよく弾ける人なので、惜しいと思いました。第2番は、1番とは打って変わってアゴーギクが安定しており、流れの良い演奏になっています。第一主題はほとんどテンポを変えず淡々と進行する中でわずかに音色や強弱に変化を付けています。第二主題との対比効果を計算に入れてのことだとは思いますが、再現部においてはもう少し大げさに変化を付けた方がいいと思いました。第二主題関係はガツガツ弾くのではなく、きちんと抑制された表現になっていてフレーズの上下にあわせたクレシェンド・デクレシェンドの付け方なども適切でしっかり見通しの取れた流れを見せます。コーダ前に入る左手のパッセージなどもしっかり聞かせてくれます。第3番は第2番と同じような方針で淡々と弾く箇所が多く、構成重視で順音楽的なアプローチです。もう少し自由に表現して、ケレン味というか気取った感じや華やかな雰囲気があったほうがいいと思いましたが、このバランス感覚がハフの持ち味なのかなとも思います。第4番は序奏の弾き方がひどく機械的でびっくりするのですが、「あまり幻想的にしすぎないように」という意識が働いていると思います。その後は第3番と同様ですが、コーダを目いっぱい高速で駆け抜けてしまうのは、ちょっとやりすぎ。
坂上博子(REM/1988)
音符の少ないところの表現をいろいろ工夫して、うまく行っているところと失敗しているところがある、ややバランスの悪い演奏だと思いました。どの曲も音符が多いところほど上手いので、ピアノの演奏能力は高いは人だと思います。いろいろ小細工しないで弾いたほうが、本来の持ち味が出て説得力も増すのではないかと思いました。第1番は、第一主題の6拍子がいきなり変。アーティキュレーションの取り方を独特にしたため、3拍子になってしまっています(しばらく進むと直りますが)。また、あまりペダルを使いたくないのか、余韻を短く切りすぎている箇所が多く、音楽の流れがブツ切れになるように思いました。対する第二主題関係は全体にたっぷり歌っていて、特に2度目のゴージャスな変奏の盛り上がりなどは素晴らしいです。変な小細工をせずに弾いたところほど説得力があるように思います。第2番も同様で、第一主題は自然に弾いているのに、第二主題に入ったとたん作為的な表現が増えてしまい、音楽の自然な流れが阻害されてしまいます。第3番は全体的にペダルが少ない上にネチネチ表現を作りすぎで、このピアニストの悪いところがかなり出てしまっているように思います。微視的にディテールを作り込んでいくのはいいのですが、どこかに大きな流れを作る要素が無いと、聴いている側が理解しがたい演奏になりやすいと思います。あと装飾音の弾き方がセンス悪いです(タイミングが速すぎる)。ショパンの装飾音は、ゆっくり目に弾いたほうが綺麗に聞こえると思います。第4番も、やはり音符の少ないところでいろいろやっていますが、第3番に比べると素直に弾いていて、それが全体的な印象のよさにつながっています。ただこの曲もペダルを踏み変えすぎだと思いました。長めに踏んで欲しいところもチョコチョコ踏んで余韻を切ってしまうので、響きが充実せず物足りなさが残ります。特に、弱音時ほど短くしてしまう傾向にあるようで、音響的にさびしい感じがします。クレシェンドしながら盛り上がるところなどは非常にうまいので、惜しいと思います。
アブデル・ラーマン・エル=バシャ(Forlane/1998-2000)
良い意味で優等生的な、楽譜に忠実な演奏になっています。テクニック的な安定感は抜群でしょう。ディテールなどもう少し個性を前面に出した表現をしてもいいように思うのですが、この中庸さがエル・バシャの魅力なのです。第1番は力強いフォルテで若かったショパンのパトスを十分に表現しています。エル=バシャはコントロール優先のピアニストなので全力でフォルテを弾くことがほとんどないのですが、この演奏はコーダを中心にかなり全力で弾いています。第2番は第一主題を微妙な変化を付けながら弾いているようですが、聴いている側にわかりにくく、もう少し大げさに表現を作ってもいいのではないかと思いました。この曲もコーダはかなり激しく弾いていて、ドラマティックな盛り上がりを作っています。第3番は全体的にアーティキュレーションの取り方が生真面目で、堅さの感じられる演奏です。もともと3拍子系のリズムにおける軽さの表現があまりうまくない人なので、予想通りのぎこちなさではあります。他の曲はシリアスに弾いているので気にならないのですが、洒脱な表現も要求されるこの曲では欠点となってしまいます。第4番はシリアスに音楽を解釈してバランスよく表現するこの人の美点が最大限に発揮されたのがこの曲です。まさに完璧といってよい演奏内容で、文句のつけようがありません。
ネルソン・ゲルネル(The Frederic Chopin Institute/2005)
ワルシャワのショパン協会がリリースを開始したショパン全集の第一弾。1848年製プレイエルによる演奏です。古い楽器ですが響きが豊かなことと、音色の幅が非常に広いのが特徴で、ゲルネルはこれらの特性を生かして繊細さとバラードらしい劇的なダイナミックさが同居する演奏を作り上げています。なお、調律は現代楽器より半音近く低いです。演奏上のポイントはペダルとタッチ変化を駆使した音色・音響操作にあります。第1番ではタッチの強さによる音色変化を楽想の変化にうまく当てはめ、激しく熱っぽい感情表現を聞かせてくれます。また第2番の冒頭では、現代ピアノでは絶対に濁ってしまうほど長いペダリングを使って、幻想的な音響効果を作り上げています。まるで大聖堂からかすかに漏れ聞こえてくるコラールのような雰囲気に、びっくりする人も多いのではないでしょうか(私もびっくりしました)。第3番で聞かせる複数の音色によるポリフォニーの描き分けも見事です。第4番も文句なし。たゆたうような幻想的な響きと、繊細な和声が織り成す世界に酔いしれました。これこそがショパンの魅力、といいたくなる素晴らしい演奏です。このシリーズはゲルネルさん一人にまかせてしまってよいとすら思います。そのくらいの名演です。
フランソワ=ルネ・デュシャーブル(Waener/1983)
「バラードはドラマである」と主張するような、ドラマティックな構成表現が印象的な演奏です。第1番は、第一主題の導入は淡々としているのですが徐々に盛り上がっていきます。第二主題も同様で、1回目はさらりと流してしまうのですが2回目は大胆に盛り上げるなど、曲の構成を生かした演奏表現になっています。展開部の細かいパッセージも弾き流さずにしっかり表情をつけるなど、全体としてしっかり弾こうという姿勢に好感が持てる演奏です。第2番は、ぼや〜っと流されやすい最初の第一主題に微妙な起承転結をつけている点が素晴らしいです。第二主題はとても激しく、やはりドラマティック。第3番は、サロン的な第一主題をしっかり弾くなどシリアスな解釈で進行します。展開部の盛り上がる箇所もかなり激しく、典雅な雰囲気に演奏されることが多いこの曲の解釈としては異色なのですが、これもドラマと思えば当然の表現でしょう。第4番は、いかにも得意中の得意といった演奏。このようなポリフォニックなパッセージで構成された曲になるとテクニックの安定性が発揮され、どれだけ激しくドラマティックな演奏表現をしても各声部のバランスがきちんとコントロールされていて、崩れません。さすがです。
アンドレイ・ガヴリーロフ(EMI classics/1985)
毎度のことですが、弱音のニュアンス変化がおざなりで惜しいです。主題提示を繊細に弾こうとするあまり、同じような調子のピアニッシモが延々続きます。これでは演奏表現が平板になってしまいます。楽譜にフォルテ、ピアノとだけ書いてあっても、旋律や楽想にしたがってアーティキュレーションを表現する中でデュナーミク(音量変化)は当然必要なのですが、この人はそれがあまり理解できていないように思います。展開部やコーダはいつも情熱的で、要は音楽をシリアスにとらえドラマティックな表現を目指しているようですが、それならばピアノのフレーズもフォルテのときと同じかそれ以上の表現の密度がほしいところです。メカニック的には文句がつけようないのでとても惜しいと思います。なお、楽譜はパデレフスキ版とヘンレ版を併用した模様です。
 

<改訂履歴>
2003/02/09 初稿掲載。
2003/02/16 アントルモン、ルフレ追加。
2003/11/23 シナール追加。
2003/12/23 ウーセ追加
2006/03/18 ワイルド追加
2006/04/09 パレチニ追加
2006/05/02 ヴラダー追加
2006/06/04 デミデンコ追加
2007/05/04 園田高弘追加
2007/07/21 ムルスキー、中村紘子を追加
2007/12/23 横山幸雄、仲道郁代を追加
2008/03/16 ハフ、坂上博子、エル=バシャを追加
2008/11/23 ゲルネルを追加
2009/02/01 デュシャーブルを追加
2011/09/13 ガヴリーロフを追加

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