● ◆ 生命 40億年はるかな旅 (10) ◆

最終集「地球と共に歩んで」が 3/19 に放映されました。 いままでの9回の放映を振り返り、地球と生命の壮大な歴史 についてまとめ、将来についても示唆する、という内容でした。 ____ 司会役の毛利さんは繰り返します。 「地球は生きている、と感じた。」 そして、地球の映像と細胞の映像が重ねられます。 なんと感動的な比喩でしょう。 それは感傷的で、インパクトのあるシーンですが、正しくありません。 まちがった比喩はまちがった解釈を生みます。 地球は生きてはいません。 そこには複雑に絡み合った、人知を超えたシステムがあることは確かです。 しかし。 例えば、寄せ鍋を思い浮かべましょう。鍋にダシ汁と肉やら野菜やらの 材料をいれて、しばらく煮込みます。フタを開けるとそこには、 複雑に絡み合った(おいしい)システムが出来上がっています。 でも、これは生きてはいません。 地球が生きている、というのは寄せ鍋が生きている、というのに似ています。 地球は、子供を産みません。 地球上から全ての人間、全ての生物がいなくなったとしても、地球には また新しいシステムができて地球であり続けます。 問題となっているのは、人間の活動が人間の首を締めている、 ということであって、「地球という生命体を守れ」というのは 的が外れています。 結局、人間が求めているのは、人間という種が安定して楽に生き続ける ことのできるシステムです。 紫外線が降って来るからオゾン層を守れ、温室効果が強くなるから森林を残せ。 そういうのは、寄せ鍋がまずくなるから丁寧にアクを取れ、というのに 似ています。 やがて寄せ鍋が食い尽くされて食事の時間が終ることはみんな知っています。 それなら、できるだけおいしく、楽しく食事をしたいでしょう?

1995/03/26 T.Minewaki
1999/09/09 last modified T.Minewaki

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