簡単にいえば、これは民衆の側からの社会教育・解放教育運動を進める小さな任意団体で、デンマークに約150年前に生まれ、北欧で盛んなフォルケホイスコーレ(Folkehoejskole、民衆のための高等教育学校。わが国では「国民高等学校」と称されてきた)運動に学び、連帯しながら、わが国でフォルケホイスコーレ運動を進めて行こうというものです。現在、会員は130名ほど全国にいます。
主な活動内容は以下の通りです。
(1)年4回程度の合宿セミナー「ホイスコーレ」(二泊三 日から一泊二日)の企画と開催。
(2)デンマークなどへの各種スタディ・ツアーの企画と実行
(3)会報『ハイムダール(Heimdal)』の発行(年4〜5回発行)。
(4)Association for World Education(略称AWE。国連に出席権をもち、ユネスコの諮問機関でもある教育NGO。本部デンマーク)の日本支部としての活動。
主として社会教育の運動ではありますが、資格や教養、あるいは再就職のための既成の社会教育・成人教育のようなものをするのではなく、自分自身を見つめ、必要があれば、社会を変えていく市民運動的な発想に立ちます。「生きた言葉」と「対話」を主な方法論にし、開かれたセミナー「ホイスコーレ」を重ねる中で、人間の輪で成り立ついわば建物のないフォルケホイスコーレを形成します。また学校教育を社会教育の視点から考え、自由な風を送ることをめざしています。
デンマークのホイスコーレ運動と連帯はしていますが、ホイスコーレ運動はその国や地域の文化に根ざすというのが大原則なので、わが国での独自の展開を模索しています。当協会はデンマークの実践や経験に学び、彼らと国際的な協力関係に立ちながらも、日本独自の民衆や地域のアイデンティティーにもとづいて、ワークショップや語り合う共同体、オルタナティヴな学びの場をつくっていこうとするものです。不登校の若者や親たち、脱学校論者、教育の在り方を考える者、エコロジスト、地域自立論者、発展途上国との連帯を模索する人、学生、行政マン、福祉関係者など会員は様々ですし、関わり方もいろいろです。
現在、世界で民衆がイニシャティヴをとり、官製の社会教育、生涯教育に対抗する運動として有名なものに、ブラジルのパウロ・フレイレによる解放教育、アメリカのマイルズ・ホートン率いたハイランダー・フォークスクール(南部の公民権運動の中心となった場所、We shall over come はもともとこの学校の歌です)それにデンマークのフォルケホイスコーレ運動などがあります。ハイランダーもデンマーク系移民が故国のフォルケホイスコーレのアメリカ版としてつくったものですから、後二者は同じルーツで、創始者がグルントヴィです。
N.F.S.グルントヴィ(1783-1872)は日本にはほとんど知られていませんが、アンデルセンやキェルケゴールと同時代人でありライヴァルでもあった人ですが、デンマークではキェルケゴールやアンデルセンよりもはるかに重要な人物として扱われます。詩人、牧師、思想家、歴史家、宗教改革者、政治家など多面的に活躍し、今日の民主的なデンマークのあり方を導いた人で、インドにおけるガンジーのような、デンマークの国父とも呼べる人です。教育者としては、世界で始めて「社会教育」「成人教育」「解放教育」を提唱した人でもあります。
彼は150年も前に、試験も資格も問わない全寮制の農民のためのフリースクール、解放教育の学校を提唱し、それがフォルケホイスコーレとなりました。書物や教科書など、テキストの権威性を排し、みなが心の底から語り合う「生きた言葉」と「対話」と「共同生活」による「相互作用」を教育の根本におきました。実学を避け、歴史、神話、文学など人文的な教育を施し、表現を重視する人間観を啓蒙的・合理主義的な人間観に対立させました。
この学校は北欧全体で400校を超え、オルタナティヴなカウンター・カルチュアの中心勢力として確乎たる位置を占め、また発展途上国には解放教育の一形態として浸透しています。デンマークの進んだ環境政策、教育政策、風車発電などはこの学校群のもたらした成果です。思想がみなで論議され、深みを増し、さまざまに実践されて、現実的な力となり、社会を変えていく一つのよいモデルでもあります。詳しくは、『生のための学校 - デンマークに生まれたフリースクール「フォルケホイスコーレ」の世界』(清水 満編著、新評論、1996年)をご覧下さい。
当会はグルントヴィという人物を神格化し顕彰するために、彼の名前を付けているのではありません。そういうことはグルントヴィの精神にもっとも反することです。ただ活動上、世界の社会教育・解放教育運動団体と交流することが多く、その際にグルントヴィの名前を冠しておくと、行政が進める社会教育ではなく、民衆がイニシャティヴをとる自己解放的な運動ということがたやすく理解されますので、団体の名前として使用している次第です。