ホイスコーレ清和セミナーの報告
20日(月)
 デンマーク人一行の乗った飛行機が遅れ、予定よりも40分違ったので、ちと慌てました。彼らは今風の日本人と違って携帯電話をもっているわけでもないし、連絡がとれずに困りました。一応幹線は第2ターミナルとなっていますが、変更もあるし、福岡空港は3つターミナルがあって、距離も離れているので、違うとたいへんなんです。

 でも無事ついて、無事清和に向かいました。このMLでも書いたように、送金ミスで先立つ経費がなくて弱っていたのですが、それも綱渡り的に貯金局と交渉して、いち早く入手できました。
 
 清和に着くと、福田、菅原(水俣の型破り牧師)、レナさん(菅原さんのパートナー)の3人が到着していて、一同さっそくビールで酒盛り。地元緑川地区の住民も夜の11時だというのに10人ほど出迎えに出ていて、暖かい歓迎の始まりです。
講義の様子
21日(火)
 朝起きるとさっそく一同緑川の奇岩と渓谷と清流に驚きの声。ただ天気が悪く、雨と霧でせっかくの絶景も興趣が半分です。
 
 最初は地元清和村役場の川口さんの講義。スライドやビデオで清和の文化、自然、文化財などの解説をしました。
 
 お昼は今回のセミナーの仕掛け第1号「ソウメン流し」です。渓流の側で、水を流した竹筒にソウメンを流すのですが、雨の止んだときを狙って移動し、さあ始めるぞ!というときにものすごいどしゃ降り。彼らに「ランニング・ヌードル」と宣伝し、食べるときは走って食べなくてはと冗談めかしていっていたので、彼らも楽しみにしていたのですが、少しばかり流して、後は食堂に移動して、ふつうに食べました。この仕掛けその1は残念ながら、天候に恵まれず、今一つでした。
 
 その後村長、村議会議長らによる歓迎式のあと、エクスカージョン。
 まず、分水嶺に行き、次に真宗本願寺派の延隆寺でお茶とお勤め。ここではいっしょにお勤めと鐘つきができたのが好評で、また延隆寺もいたれり尽くせりの応対ぶりでした。
 
 次は有名な通潤橋。ここで仕掛け第2号です。一見ただの美しいアーチ橋から、水が滝のように流れます(添付ファイル参照)。これはもともと田の水流調節のしかけですが、今は頼めば有料で放水してくれます。もちろん田植えの頃はダメで、この季節なら水が不要なので却って歓迎されます。デンマーク人一行には内緒にしていて、ただamazingなことがあるとだけいってましたが、さすがにその美しさにいたく感動したようでした。このときはちょうど雨もなく、タイミングもばっちり。

通潤橋の放水

  

 最後は鮎の瀬大橋。ここは現在水面から橋まで日本最長の長さの高いつり橋ですが、ロケーションが素晴らしく、雄大な山々に囲まれ神秘的な霧が立ちます。まるで神々の誕生のシーンのようで、この橋を歩いて渡るとき、デンマーク人一行は「ビューティフル」を連発していました。ノルウェーには似たような山々はあるけれど、みな針葉樹林で、このように多様な植生と神秘的な風景は日本の方がはるかに上と引率教員のレーネがいってました。
 
 夜は食事の後ちょっと休んで、天文台へ。
 雨なので星が見れないということで中止にしようという意見も出ましたが、結局行きました。ちょうど雨は止み、曇りで、星のビデオを見た後、実際に雲でかすむ月を50センチ反射望遠鏡で見たのですが、屋根のひらく様子などがSF映画みたいで、予想よりは好評の企画でした。でも晴れてさえいれば、美しい秋の星座が楽しめたのですが。
 
 夜は夜で、コーヒー紅茶にビールでわいわい。ホイスコーレ風にアレンジしてますので、こうなります。彼らは一様に「今日のツアーはとても素晴らしかった」といってくれます。
 デンマーク人たちは自己管理はちゃんとしていて12時が来るときちんと寝ますが、われわれ日本人スタッフはその後も飲んで騒いでみな寝不足になるのでした。
 
22日(水)
 この日は熊本市へのエクスカージョン。
 
 最初に見学に行ったNECでは、さすがに外国からのゲストが多いので手慣れたもので、コーヒーやジュースつきで手厚く歓迎してくれました。リッチな日本企業らしく、部屋やプレゼンテーション、間取りは最新鋭の立派で余裕のあるもので、デンマークの企業のゆったりした感じと近いものがありました。日本企業も国際化して、世界のリーダー的企業となると、労働環境は国際標準になるようです。
 
 ここで無人ロボットが動くコンピュータチップとメモリ製造工場を見学。ホコリ一つでも入ってはいけないミクロの世界の様子に、「管理や技術が進むと汚いものは排除される構造の最先端だね。オレはここでは排除される悪だな〜」と例の菅原牧師がつぶやいておりました。一行には3人ほど技術者が交じっているのですが、彼はさすがにいたく感激した様子でした。
 
 その後熊本城で清流館手製の竹の皮に包んだおにぎり弁当を食べ、城と水前寺公園の見学。そして熊本県庁での解説講義を受けました。
 
 県庁は多分味気なく官僚的に対応するかな〜と思っていたのですが、意外や意外、行政にしてはアットホームな感じで応対してくれて、予想以上でした。講義自体は行政ですので、総花的で退屈ですが、絵はがきや英語版の観光案内などをプレゼントしてくれて、ポストカードを求めていたデンマーク人一行は大喜び。
 
 最後は仕掛け第3号の、ディナー付きコンサート。
自然食品のお店で、琴と津軽三味線です。熊本の子ども劇場、子どもの文化学校が用意をし、デンマーク人一行だけではなく、県庁関係者、役場、清流館、熊本市でデンマークに関係や興味のある人、視察で行った人などが集まり、歓迎メッセージや交歓会が行われました。

 清流館の食事が和風で、質素であるのに対し、ここは豪勢で和洋中全部ありますので、デンマーク人たちにとってはすごいごちそうに見えたらしく、ワンダフルを繰り返していました。
 
 コンサートも素晴らしく、とくに津軽三味線はさすがにスゴイ迫力で、早弾き、曲弾きのところでは拍手の連続。デンマークの人たちも写真、ビデオは当然のこととして、テープに録音して帰るなど、大きく深い印象を得たようでした。
 
 クリスチャンの挨拶いわく「さきほど主催者の方が、日本人はデンマークに来て、その教育の素晴らしさにショックを受けるといわれたが、われわれだって日本に来るたびにそのあまりの親切さ、ホスピタリティーにショックを受けているんです。本当にありがとう」。
 
 楽しい夕べが終わり、一同感激で頬を紅潮させて、長いバスの帰路の時間も盛り上がったおしゃべりを続けていました。私は別にコンサートディナーの中味まではオーガナイズしていないのですが(こういうものをするということを提案しただけ)、一同私に「ありがとう。とてもよかった!」と笑顔でバスを降りていきました。
 
 その後はさっそくコーヒー紅茶ビールでの談話。日本の風呂もお気に入りでみなで入ります。
 
 特筆すべきは、清流館の館長の奈須昇さんと、清和村役場の増田公憲さんの入れ込みぶりです。奈須さんも増田さんも実行委員会のメンバーですが、実行委員ということを自覚されて、私以上に主催者としてよく動いて下さってます。

23日(木)
 この日は台風接近を心配しつつ、村民センターでの生け花とお茶の実演。地元婦人会の方々でお師匠さんとその弟子の方々がつきそって、生け花を各自で挑戦し、お茶も飲むだけではなく実際に立てます。
 
 できた生け花はそれを前に各自記念写真。立てたお茶も自分で運んでゲストに差し出します。見学はしたことあるというデンマーク人も一部混じってはいますが、みなさん自分でしたのは初めてということもあり、大興奮状態でした。
 
 私としてはまぁお茶や生け花の見学程度できればもうけものと考えていたのですが、ホスト役の女性たちがいかにしたら盛り上がるかを考えていて、その演出効果は抜群でした。足が痛かろうということで、部屋の中だけど野点方式にしたり、少々型破りでもうるさいことはいわずに進行させたりと、もてなしの心を重んじる茶の精神そのものでした。

 この後地元住民でつくる青葉の瀬で昼食。このときから、私はどうしてもはずせない仕事のために博多に戻りました。引率教員レーネいわく「ミツルがいないと淋しい」。私は答えていわく「もうセミナーは自動的に動いていて、いろんな人のパワーですごく充実しているから、大丈夫!」。
 
 その後は現地から受けた報告によるものです。
 
 午後はまず文楽を見ました。たいへん興味をもち感心して見ていたそうです。ここは上演後実際に人形に触らせくれ、また動かし方を教えてくれます。デンマーク人たちもそれができて大喜びだったとか。
 
 後、神社の秋季大祭子ども奉納相撲を見に行きました。。増田さんの提案によるもので仕掛け第4号です。緊急に設定したにも関わらず、増田さんのねまわしがよかったのか、歓迎の垂れ幕入りで、みなさんデンマーク人の来訪を待ちかねていたそうです。台風との関連で中止になるかもしれないと天気予報を見ながらの実行でしたが、予定通り開催されました。
 
 基本的にはまわしをつけた子どもたちの相撲ですが、デンマークの人もやってみたらということで、クリスチャンが名乗りを上げました。彼が相手では子どもでは無理ということで、相手は何とこのMLでもおなじみのあの藤森さんがついて早々に相撲をとることになりました!。勝負は藤森さんが大きなクリスチャンに勝ったそうで、それもそのはず藤森さんは柔道の心得があるそうです。
 
 相撲大好きのデンマーク人たちはやんややんやの大喝さいで、ものすごい盛り上がりだったとか。終って子どもたちと言葉が不自由ながらもみな入り乱れての交流になったとかで、それが一番よかったという藤森さんの報告でした。
 
 夜は少林寺拳法の演武の見学。これもまた夕方の相撲で盛り上がってますから、その勢いを受けて、たいへんよかったそうです。もちろん練習している子どもたちとの交流もあり、かなりいい雰囲気でしたという福島さんの報告です。
 
 最後にクリスチャンに電話で話を聞くと
 「ミツル、もう感激をなんて言葉で表していいかわからないくらいだ。地元のみなさんがよくしてくれて、こちらの気持ちをあらわす言葉がないよ。ただ、ありがとう、ありがとう、ありがとう、としてかいえない。とにかくすべてがパーフェクトだ!」
 
 セミナーもこのころになると新聞報道などで住民にも共有され、村中の評判になってますから(あまりに遠いせいもあり清和村でのできごとが新聞に載ること自体さほどない)、自然との交流から人間との交流に重点が移り、彼らの感じる暖かさも加速度的に大きくなっていきます。どこへいっても大歓迎だし、住民も彼らの訪問を楽しみにしているのです。もちろん西洋人へのエキゾチズムもあるのですが、それはけしからんというヒネた議論はこの現実の暖かさの前にはかすんでしまいそうです。
 
24日(金)

 この日は台風で、学校も休校になり、予定のプログラムはできないことになりました。清流館も停電になったそうです。
 
 博多に閉じこめられた上羽さんと昼に博多駅で会い、阿蘇の行動の打ち合わせをして、列車の動くのを待って(2時ころ)、彼女が旅立っていきました。
 
 今回のセミナーも協会のセミナーと同様に最低限の押さえるべき枠と行程だけはきちんと決め、あとはそれをやる人々の自発性にまかせました。たとえいやいややったとしてもそこそこよかったといえるように組むのがコツですが、今回も予想を超えて、盛り上がっています。会う人々が予想以上に自己流の工夫をされて、また役場、教育委員会も協力的で(休日出勤!)、みなさんの多様な行動が合流して大きな流れとなり、みごとな調和をかもし出しています。まるであのラベルの「ボレロ」のような盛り上がり方!
 
 きっとフィナーレの地区民総出のフェアウェル・べーべキューパーティ(仕掛け第5号。台風のためにキャンプファイアーはできず)では最高潮となることでしょう。奈須さんが、明日熱狂が去って、みなが去るときがっくりされるのが目に見えるようです。
 

以下は上羽順子さんによる報告
 

 24日から26日まで、清水さんのいない間、代わりにセミナーに参加してきました。短い間でしたが、いろいろと感動したことがいっぱいで、まだ頭がぼ~っとしています。

 23日に福岡に着いたのですが、翌日は午前中電車が止まっていて午後福岡を出発し、夕方熊本に着きました。台風の過ぎ去ったあとで、倒木で通行止めになった道路があったり、信号が故障で危険な交差点も多い中、清和から車で迎えに来てくださった福島さんありがとうございました。

 清和に着いたのはちょうど、夜のバーベキューの最中でした。お酒も手伝ってか、会場はすでに大変盛り上がっており、奈須さんとあいさつをしたとたん、すぐに「通訳待っとったよ」と、言って奥へ連れて行かれたのですが、少々酔っ払った清和村のおじさんの熊本弁が、聞きなれていない私にはすでに外国語のようで、びっくりしてしまいました。

 それはともかく、とてもいい雰囲気で村の人とデンマーク人との交流は深まっているようでした。清和のおじさんが「毎年11月3日は紅葉まつりがあるから、招待状をだすので、来年もぜひいらっしゃい」と言うと、あるデンマークのおじさんは「はい、ぜひ来たいです」と、一人で駅から来るにはどうすればいいのかなど、真剣に聞いていました。また、とくに印象深かったのは和太鼓の演奏で、感動して涙が出たと言っていたデンマーク人もいました。演奏のあとは、何でも自分でやってみないと気がすまない何人かのデンマーク人が太鼓に挑戦したりと、とても評判がよかったようでした。

 最後は日本風に三三七拍子で宴会の終わり方を見せると、その後、デンマーク風に蛍の光の歌を歌いながら手をつないで円になって回るといった具合でした。

 次の日の朝のお別れが感動的だったのは、言うまでもありませんが、特に台所を手伝っていた清和の女性陣の涙はとっても美しくて印象的でした。こうして、バスは次の目的地、阿蘇へ向かったのでした。

ホームステイ体験の報告(広岡逸樹 山口県日置町)


 BENTEさんのホームステイを3日間受け入れることができ、我が家にとってとても楽しいそして有意義な3日間でした。

 BENTEさんの要望に応え、2日目はへき楽園という特別養護老人ホ一ム、3日目は身障療護施設を約2時間ずつ訪問していただくことができました。通訳も、快く引き受けてくれる方が2人見つかりました。「2,3年ぶりの通訳で楽しかった。またお願いねと」と言ってくれた方、子連れで身障施設に行って、「こんなことがないと、子どもを連れて来ないよね」と言いながら、BENTEさんとの出会いだけでなく、重度の身障者の方々との出会いも心に刻み込んだ方、それぞれ楽しんで通釈をしていただけたようです。わざとらしい慰問などよりも、ごく自然に訪れた施設の中を子どもたちが走り回る、そんな出会いのほうがお互い上ことってよいものと心に残るように思います。(その場に居れなかったのが残念ですが)

 福祉先進国のデンマークのソーシャルワーカーが視察(?)に来るというので、施設長を初め、職員の方々も、入りている方々も緊張していたようです。それが田舎らしくてほほえましくもあります。急な訪問を快く引き受けていただいてホントによかったと思います。私が考えた以上に、施設側にとって大きな刺激になったのかもしれません。施設側からもいろいろ質問が出て、施設にとっても有意義であったと思うと同行した妻が話していました。

 3日目は、BENTEさんを下関駅近くのショッピングセンターにお連れしました。下関の事件が起きた頃、近くをうろうろしていたわけです。漆器をいくつか買われました。BENTEさんは、麻雀パイが欲しかったようですが、重いのであきらめました。また、3日目、4年の長男は「BENTEさんといっしょに居たいし、新幹線までお見送りもしたい」と学校を休みました。身障療護施設の訪問、重度の障害者との出会い、BENTEさんとの身振りを使った会話とお別れ、等々とても大切なものを心に刻んだようで、「デンマークに行きたい」と言い出しました。親としてもとても嬉しいものです。

 来年もツアーがありそうとのFAXをいただき、楽しみにしています。片田合の我が家でよければ、「是非どうぞ」ホームステイしてください。