市民社会に根ざすオルタナティブ教育 2
民衆史の中で培われた支援メカニズム(永田佳之)
スキュム・エフタースクールの生徒たち
スキュム・エフタースクールの生徒たち

4.自由を活かすシステム

 上に指摘したように、デンマーク社会は比較的に自由度の高い教育システムをもち、それはオルタナティブ教育の発展にとって順境であるといえる。しかし、その背景には、以下に述べるような、自由をプラスの方向に活かすテンションが作用しているように思われる。それが補助金であり、補助金を得るための監査であり、学校評価のシステムである。

1)補助金

 独立学校の予算の7割は政府からの補助金であり、3割は親からの授業料等による。補助金を受け取るための条件は次のとおりである。

  • 非営利組織であること
  • 学校以外の人物や組織に支配されるような組織ではなく、独立した組織として利益が学校自体に当てがわれること
  • 建物と土地とがひとまとまりであること(分校をもたないこと)
  • 最低5人の理事会をもつこと
  • 理事は無償で働くこと
  • 教育活動に責任をもつ教師のヘッドがいること
  • 国と独立学校の労働団体との間には就労条件に関して一定の同意がなされており、すべての教師がこの就労条件に関する規定に従うこと
  • 最低28人の生徒がいること(1年目に12人、2年目に20人、3年目に28人になればよい)

出典) Henrik Koeber. The Danish Independent Schools and the State Subsidies to the Schools (EFFE: The European Forum for Freedom in Education 2000年度会議配付資料). 2000.

 補助金を受け取っても、授業料等の一部は親が負担する。例えば、筆者が訪問したファーボルグ市郊外にあるエンガーベ・フリースコーレでは、月額として585クローネ(約7,800円)をどの親も支払っている。このフリースコーレの学校予算の内訳は、政府からが71%、親からが17%、その他(寄付やバザー等からの収入)が12%であった。支出の方は、教師の給与が56%、託児所の運営費が11%、教材費が10%、建物の管理・維持費が10%、事務費が2%、その他が11%であった。学校によって授業料は異なるが、概して地方は安く都会は高い。地方によっては400クローネのところもあれば、都会ではその2倍のところもある。また、託児所をもつような独立学校では、託児所に対する市からの補助金はないので、別途800クローネほど支払う学校もある。なお、補助金の算定方法は、タクシメーター・システムという独自の方法が導入されている。これは公立校とのバランスを踏まえた独自の算定法である (13)。

2)独立学校の教育評価および経営の監査

 市民の市民による市民のための学校づくりが日常感覚で行われているデンマークでは、学校の評価はどうなっているのであろうか。先に述べたように、創設時には児童・生徒数など以外に認可されるための厳しいハードルはないが、公的資金が投入されると、それなりの監査が入る。ただし、監査といっても、アメリカのチャータースクールのような微細に入る監査ではない。つまり、すべての独立学校には親の会があり、彼(女)らが監査役を外部から選び、数ページの報告を年に1度行ってもらうのである。この監査役には、親によって選ばれるかぎり原則的に誰でもなれるが、実際には図−2のような職業の人物が選ばれている。

図−2 監査役の職業

監査役の職業

出典)Dansk Friskoleforening Arsberetning 2000. 2001.

 適当な人物が周囲に見つからない場合は、市(地方自治体)に監査を代行するように依頼することができ、実際に市に依頼する学校は2割近くある。選ばれた人物は年間数日から10日ほど学校を訪れ、最低限の科目が行われているか否か、経営的に安定しているか否か、規定の通学日(年間200日)が守られているか否か、等々について評価する。こうした訪問の後、報告書をつくり、教育省や市当局ではなく、毎年開かれる父母総会(食事や合唱も兼ね、討議は4〜5時間に及ぶ)および理事会に報告する。その報告書はせいぜい数ページのもので、それほど専門的でない場合もある(フリースコーレの監査報告書例については資料1を参照)。

 デンマークでは長年こうした親密的ともいえる評価が行われてきたが、近年、専門的にするように政府からの働きかけが見られる。たしかに選ばれた監査役にも、どのような報告書を作成してよいのか皆目検討がつかないという戸惑いもあり、政治家の中には教育水準を低下させないためにより専門的な監査を行うべきだという主張もある。こうした声を反映して、2001年、監査のためのガイドラインがはじめて作成された (14)。

 監査の結果、十分な教育が行われていないという指摘がされた場合、改善の要請を監査役は学校に対して行い、場合によっては市当局に通告することになっている。さらに改善が必要であると判断された場合は、教育省が特別監査を実施することができる。市当局がアクションを起こすケースは決して多くないが、最近は移民の学校に対してなされる場合が増えている。しかし、教育省による監査のレベルにまで至ったケースは独立学校法が制定された1992年以来、10件しかない。そのうち5件は結果が出ており、バイリンガル・スクール(デンマーク語を母語としない移民の学校)1校のみ閉校となったが、4校は改善され、存続している。残りの5件は審議中である。要するに、この10年ほどで監査の結果、閉校になったのは1校のみで、例外中の例外であるといえる。つまり毎年経営上の問題でつぶれる学校は数校存在するが、教育内容が問題で閉校になる学校は皆無に等しいのである。また、エフタースコーレの場合も、過去10年間で3校が閉鎖されたが、いずれも経営難の末に閉校した類である(うち2校はフェロー諸島などの僻地のために生徒減で閉鎖に追い込まれたケースであり、もう1校は経営困難校のため近隣のエフタースコーレに生徒が流れ閉校したケースである)。

 しかし現場の感覚としては、「教育づくりに関する自由度はまだ高いが、近年、政府からの要請、特に寄宿制の独立学校に対する要請がより厳しい内容になっている」と、オーステズ・フリースコーレ/エフタースコーレ校長は語っていた。特に近年、トヴィンド・スクール (15)が経理上の問題で裁判になって以来、監査も厳しくなり、経営的に見直しを求められる学校は相当にあるという。独立学校法第21条第2項には、「この法律、もしくは教育相が定めた諸規則に従わない学校に対し、教育相は補助金を保留もしくは失効せしめることができ、補助金算定の基本条件に誤りがあった場合には、補助金の返還を要求することができる」とある。この条項に基づき、2000年度までの過去5年間で補助金を打ち切られた独立学校は7校あった。また、先にふれたとおり、現在でも5つの独立学校が見直しを求められており、場合によっては、閉校を迫られることもある。

 政界には、独立学校には相応の税金が投入されているのであるから、経営面での評価のみならず独立学校法で謳われている教育の質についても正当に評価しなくてはならないという主張や国際競争で生き残れるような教育づくりを独立学校を含めて行う必要があるという主張もある。

 1999年には、全国教育評価研究所が設立され、デンマーク国内のすべての学校の教育の質を維持・向上させるという目的で、独立学校の評価も当研究所を通じて行われることになった。しかし、独立学校の協会が強く反対した末、義務化は回避された。現在でも独立学校の評価の仕方をめぐり独立学校審議会と政府が交渉中である。

3)理事会と校長

 独立学校のいまひとつの特徴は学校理事会である。理事会は通例、親を中心に5人以上で構成される。すべての理事が親の場合もあれば、地域の住民を入れる場合もある。会議には、親の他に校長や副校長、教師や生徒の代表も参加するが、校長や教師には投票権はない。これは、校長や教師の雇用や罷免も理事会が行うというデリケートな事情を反映している。自由学校協会では、現在、教師も投票権をもった理事に入れるように討議している。理事会は通例、毎月開催され、教育内容や財政等について数時間話し合う。

 上のような最高の意思決定組織としての理事会と被雇用者としての校長という双方の位置づけを考えると、校長がリーダーシップを発揮できない構造であるという捉え方もあろうが、実情は決してそうではない。筆者が訪れたフリースコーレもエフタースコーレもリレスコーレも、いずれも優れたリーダーシップが発揮された共同体であった。一例であるが、コペンハーゲン郊外のもっとも裕福な地域社会にあるホルショルム・リレスコーレの例をとりあげたい。同校は1970年に、同地域の公立校が大規模なので、より小さなクラスでの学習を親たちが望み、昔のフォルケホイスコーレの建物を改造して設立した。しかし、同校の現校長ビヨルン・ゴット・ハンソウ氏が着任するまで、同校では教師と校長、教師同士、教師と生徒は罵り合い、年少児がとても安心して学べる環境になかったという。そこで理事会が話し合い、公立校の校長を務め、経営手腕に長けたハンソウ氏を採用した。その際、ハンソウ氏は雇用の条件を出し、キルケゴールと彼の実存主義思想の流れをくむゲシュタルト心理学者のウォルター・ケムプラーの個人主義と連帯を重んじる思想に基づく学校にするなら、着任してもよいとの条件を示した。理事会も父母会もこの提案を受け入れ、以来、ハンソウ氏のリーダーシップのもとに学校改革が進められ、現在では安心して学べる共同体として変貌を遂げている。

4)教育省と独立学校との関係

 ホルショルム・リレ・スコーレのハンソウ校長の「国家は私たちを公正に扱っています」という言葉は、多くの独立学校長関係者の感覚を代表しているであろう。教育省のオルタナティブ教育に対する態度について独立学校の職員や校長に尋ねてみたが、例外なく快い印象を受けているとの反応であった。また、インタビューを行った4か所の独立学校協会の事務局長も全員、教育省に対して同様の好感をもっていた。自由学校協会のホガード事務局長は「教育省はいつも開かれていて協力的であり、フレンドリーであり、我々を支援しようとしています。敵対関係にあるとか、距離があると感じたことはありません」という。教育省のホームページの独立学校に関する解説文には次のように記されている。「独立学校の登録に関しては公的財政支援に関する詳細な規則が用意されているが、教育内容に関しては一般的な決まりごとが課されているにすぎない。必要なときには学校はいつでも教育省にアドバイスを求めてきてよいし、教育省は必要性に応じて特別な措置をとることができる」(16) 。

 独立学校関係者とのインタビューで、教育省とは協力関係にあっても、予算を獲得する際にやりとりがある財務省とは敵対関係を感じるという見解も見られた。その際、教育省は自分たちのバックアップをしてくれるという。多くの国でオルタナティブ教育実践者と政府の担当官とが対立関係にある現況とは大きな違いである。

 ただ、独立学校と市(地方自治体)とは細かな現実的な問題で対立する場合もある。例えば、筆者が訪問したフリースコーレでは、市の水泳プールは公立学校の子どもは無料であるのに、独立学校の子どもは支払いを要求されたり、市営のスクールバスの利用は公立学校が優先されたりするなどの問題があり、そのつど交渉している。

 オルタナティブ教育にとって自由が重要であることは、官民双方の共通認識であるようだ。教育省の独立学校担当官であるトラベルグ氏はこういう。「イギリスの独立学校は自由を得るか補助金を得るかの二者択一を迫られています。サマーヒルは補助金を捨て、自由を選びました。しかし、デンマークでは自由と補助金の双方を享受できるのです」。財政的な監査でひっかかった独立学校は過去に10件ほどあったにせよ、教育的な内容で問題になった学校は皆無に等しいことからも、独立学校の質の高さとそれに対する政府の信頼度の高さとが傍証される。細かなことで独立学校と市当局がもめることはあっても、中央の政府の独立学校に対する態度はきわめて協力的であるといえる。

5)柔軟な組織運動体

 グルントヴィとコルの影響下にはじまったデンマークの民衆教育運動であるが、それらは現在でも運動体として広がりを見せ、オルタナティブ教育全体としては決して衰えることなく、むしろ生徒数を増やしている(表−1)。この背景には、親権や自由という基本的な「芯」は保ちつづけながらも、変えられるところは積極的に変えていくという創意工夫のある運動精神が指摘されてよい。例えば、エフター・スコーレは過去1世紀半の歴史の中で「オルタナティブの中のオルタナティブ」を創りつづけてきた。かつてはグルントヴィとコルの教育思想に則ったエフター・スコーレがほとんどであったが、1950年代には宗教的な敬虔主義を重んじたYMCAやYWCAの運動の影響を受けた学校が設立され、労働運動や政治的な左翼運動が隆盛であった60年代後半から80年代にかけては進歩的なスローガンを看板に掲げる学校が増え、80年代と90年代は学習障害のある子どものための学校も各地に創設され、現在では、個人の興味関心を重視する現代的嗜好を反映して、スポーツや音楽、ドラマ、自然環境などをテーマにした多様な学校が増えている。現在では、グルントヴィとコル式の学校は36%、宗教的な学校は22%、音楽やドラマなどの芸術や体育系の学校は15%、学習障害や学習困難な子どものための学校は14%と多様化し続けており、2001年も9月の段階ですでに4校が設立され、総体数は増え続けている。しかし、こうした時代ごとのニーズを先取りするような特性にもまして前掲の「5つの自由」のような基本的精神は普遍的な原理として常に息づいていることは強調されてよい。

6.今後の課題

1)どこまで自由が許されるか
先述のとおり、独立学校の支援協会によっては、市民グループから新しい学校を創るので協会に所属したいというリクエストが来た場合、会員として認めるかどうかの決定を下さなくてはならない。各協会の事務局長らにインタビューをしていて、時々次のような話題になった。もしネオナチのグループが学校を創りたいと新設校づくりのための申請をしてきたら、どうするのか。この問題に対して、フリースコーレ協会のオレ・ミケルセン氏はこう答える。「ネオナチであろうが、『5つの自由』を踏まえているかぎり、協会として私たちは受け容れなくてはなりません。ナチも少数派であるかぎり、設立の許可を断る理由は政府にも見つけにくいのです。しかし、設立の後、現実に問題が起きると、学校の運営は難しくなることは十分に考えられます」。またエフタースコーレ協会事務局長のエルス・ホールンド氏は「原則として、教育省は、たとえナチであるとしても、彼(女)らなりの価値観を尊重し、少数派としての権利を認めざるを得ないでしょう。しかし、エフタースコーレやフォルケホイスコーレの場合、基本的な価値観として『生のための』教育を行わなくてはならないことはっきりしています。エフター・スコーレの場合は『一般教育と連帯、生のためのエンライトメント』という教育目標が定められています。こうした価値観や目標とナチの思想が合致しない場合は、協会への申請は却下できます」と述べる。

 教育省のエフタースコーレ担当官であるヨルン・ホイヤー=ペデルセン氏は「設立後、社会に対して暴力的な危害を及ぼすようになったとき、政府は何らかの処置をしなければなりません」としながらも、「ネオナチのグループが学校設立を申請してきても、彼(女)らがマイノリティであるかぎり、政府としてその設立を断る根拠はどこにもないのです」と明言する。ペデルセン氏によれば、「たとえナチズム的思想をもつ集団が学校をつくる動きがあったとしても、政府ははじめから閉鎖させようとはせず、マイノリティ擁護の基本に則り、学校づくりを認可するであろう」と述べる。そして「しばらくの観察期間を経て、危険かどうかを判断し、危険な場合は、補助金を停止するなどの相応の措置をとるでしょう」という。

 IPCの教師であり、2人の子どもをエルシノアのリレ・スコーレに通わせるヨルン・ボイ・ニールセン氏は次のように語っている。「デンマークでは、いかなる思想の持ち主に対しても、思想的な問題で学校設立を断ることはできません。問題は、その団体の活動が暴力に訴えるような性質かどうか、つまり思想よりも手法の方です。」

 エフタースコーレの解説書には「エフタースコーレの自由」と題した次のような一文がある。「カリキュラムおよびイデオロギーの自由:(前略)学校が自らのカリキュラムを政治的または宗教的、教育学的な主義に沿って決めたとしても、国家は干渉しないであろう。原則的には、政府は次のいかなるカリキュラム、学校をも認可するであろう。すなわち、生徒を国家転覆に仕向けるような目標が明記されたカリキュラム、字義どおりに聖書を講読するようなカリキュラム、教室でのティーチングがショップやフィールドでの作業に取って代わるような学校、カリキュラムにひとつの科目しか置かず生徒と教師がその時その場で学習テーマを決めるような学校などである。」(17)

 カルト集団の教育への関与で相当に敏感な反応を示す日本社会では、上に紹介した発言や解説文は危険きわまりない表現としてとらえられるかもしれない。しかし、ネオナチを認証するということ自体がナチズムからもっとも遠い、または、ナチズムを再び生まないためには、それを少数派として認めるということがもっとも効果的であると言ったら、あまりにもアイロニカルであろうか。官民双方の専門家に対するインタビューでは、幾度となくデンマークの教育関係者の<感性>、換言すれば、積年の民衆運動で培われた<小国の知恵>とでも称すべき精神文化にふれた思いがした。


2)近年の社会変化

 市民の学校づくりに対する政府の役割はどちらかというとコントロールよりもサポートであるという認識が市民サイドにも政府サイドにも定着している。もちろん健全な経営や基礎学力の維持に対してはクオリティのチェックの一端を政府が担うが、それが市民の創意工夫を阻害するようには機能してこなかったといえる。

 しかし、近年、政府の市民に対する信頼が少しずつであるが揺らいでいる。エフタースコーレ事務局長のエルス・ホールンドは「最近、政府は教育づくりを市民に任せなくなった」という。こうした発言の背景にはデンマーク社会の移民問題がある。デンマークの移民の大半はトルコやパレスチナ、レバノン等のイスラム国や旧ユーゴスラビアからの人々である。移民人口は全国民の約6%を占め、特別な政策をとらないかぎり、今後も増えることが予測されている。1994年には約6%であった就学年齢の移民の子ども人口は、6年後には全就学児童・生徒の1割近くを占める勢いで増加の一途をたどっている (18)。彼(女)らは定住地において自分たちの学校をつくり、フリースコーレ協会傘下で政府の補助金を受け、学校を運営している。ところが、一部の学校の教育内容はデンマーク語や英語を重視するものではなく、デンマークの歴史も十分に教えていないことが指摘されている。こうした事態を踏まえて、政治家からデンマーク市民として最低限の教育水準を習得されるためのスタンダードが不可欠であるという声があがっている。教育省では昨年はじめてイスラム系の少数民族の教育を担当する職員を任命し、教育内容等について話し合い、必要なら改善を求めるようになった。2001年9月、教育省はフリースコーレ等の独立学校を対象に教育内容に関するガイドラインを教育相の名のもとで配布した。1世紀半の民衆教育史では異例の出来事であり、今後の動向が注目される。

7.むすびにかえて:少数派であることの意義

 デンマークの教育システムをひとつの理想的なモデルとする見解は少なくない。とくにオルタナティブ教育関係者はパターナリズムに牽引されることなく発展してきた同国の教育システムを称揚する傾向にあるようだ。筆者との会見で、アメリカのオルタナティブ教育リソース・センター事務局長はデンマークの教育システムを「信じられないが機能している」と表現し、韓国のホームスクール研究者はデンマークを教育のユートピアという意味合いで「エデュ・トピア」と称していた。

 たしかにデンマークの教育から学ぶところは少なくない。「生のための学校」教育や、生活の中での対話の重視、連帯の文化など、ユニバーサルな精神性をデンマークの教育から読み取ることは比較的に容易い。また、親の学校参加、地域住民を巻き込んでの学校づくり、独自の学校評価法、政府によるオルタナティブ教育の積極的支援などの技術的な側面についても学ぶところは少なくない。さらに強調すべき点は、教育法にしても、教育システムにしても、相当に大枠のフレームであり、その内実を決定しているのは、個々の親や生徒、その他の学校運営者たちの常識であり、良識であるということである。カリキュラムについても、日本の学習指導要領のような規定はいっさい存在しない。デンマーク語、英語、算数(数学)等の基礎科目の習得は求められているが、それ以外は当事者まかせである。デンマークでは、こうした細部にわたるまでの規定をしないメカニズムが市民の良識や判断力を育んできたといえよう。オルタナティブ教育の支援協会の事務局長らがデンマークの「明文化しない文化」について語るとき、こうしたメカニズムによって培われてきた自らの文化に対する誇りを垣間見ることができるのである。

 しかし、デンマークの教育システムから何かを学ぼうとする場合、オルタナティブ教育だけでなく全体像を見なければならないというのが、現地調査を終えての印象である。デンマークでは国家システムの下でも非常に困難なことをいとも簡単に実現しているように思われる。一見、誰でもまったく自由に学校をつくれるような制度に思えるのであり、あながちそれは間違ってはいないのであるが、オルタナティブな教育を制度として確立させているのは、公立学校との微妙な拮抗関係であったり、官と民とのチェック・アンド・バランスであったりする。タクシメーターという独自の理論に則った補助金評定法をとっても、独立学校システムと公立学校システムとの非常に微妙な関係の上に成り立っていることが指摘されてよい。こうした細かな襞をも見ていかないとデンマークのオルタナティブ教育は依然不可思議なものに留まる。

 ここでデンマークのオルタナティブ教育と公教育との関係について述べておきたい。デンマークの公立学校と独立学校は、双方ともに相手を通してみずからの存在を確認するような相互補完的な関係にあるといえる。独立学校が産み出す刷新的実践が「目覚まし効果」を与え、公教育をも改革されてきたという経緯がある。ホルショルム・リレ・スコーレのハンソウ校長は「ここでは実験的な試みを教師がしたいと相談しに来たら、私はすぐに『やって見なさい』と言えます。しかし、自分のかつて校長をしていた公立学校ではそういう自由が許されず、教師たちの先進的な試みや自主性を生かすことはできませんでした。ですから独立学校で先進的なプロジェクトが生まれ、公立学校にも広まっていくことがよくあることです」と独立学校の教育システム全体での役割の重要性を強調する。エンガーベ・フリースコーレのハンセン校長も公立学校と独立学校の関係についてこう語る。「デンマークでは公立校と独立学校は相互に刺激を与え合うよい関係を築いてきました。たいていの場合、独立学校で実験的な実践が生まれ、それが公立校にも波及していったのです」。実際、現在では公立学校でも普及したティーム・ティーチングやプロジェクト・ベースド・ワーク、または幼稚園の教師と小学校教師との協働(教科でなく生活をより重視する幼稚園教師が小学校の室内環境等を改善する効果)等はすべて独立学校から発したアイデアであるという。

 最後に、オルタナティブ教育が少数派であることの意義についてふれ、むすびとしたい。筆者はフリースコーレ協会事務局を訪れ、事務局職員のオーレ・ミケルセン氏と話した際、オルタナティブ教育の意味と意義について再考する契機を与えられたような気がした。

オーレ・ミケルセン氏

フリースコーレ協会事務局のオーレ・ミケルセン氏

 ミケルセン氏は少数派としての社会的機能について次のように述べる。「オルタナティブ教育が少数派であることには大切な意味があるように思われます。私たちのような自由に価値をおくグループは主流になるよりも少数派として社会全体に影響を与えつづけることが重要なのです。デンマークのオルタナティブ教育を受けている子どもは1割ほどですが、その1割であることの意義は殊のほか大きいといえます。肝心なのは、社会全体のバランスです」。こうしたミケルセン氏の<感性>は、次のようなヒントを私たちに与えてくれるのではないだろうか。すなわち、オルタナティブ教育について語るとき、子どもの自主性や主体性、権利など、私たちはとかく教育の質に注意を喚起し、それらを普遍的な価値として普及しようとする傾向にあるが、教育システム全体における量的なバランスという視座はことのほか重要なのかもしれない。より多くの遊びや冒険、場合によっては風変わりさや好い加減さまでも許されるようなシステムの構築、換言すれば、社会システムの中で1割ほどの<透き間>を開けておくことを大切にするような文化を醸成していくという認識こそ、教育改革にとって重要なポイントであるように思われる。

 ミケルセン氏の言葉は次の佐伯胖氏の言葉を思い起こさせてくれた。つまり、「未知性を、無理に意図的に導入しておく」こと、「制度の中に、その制度自体を否定し反証する要因を大切に保護し、育て、ある時点では徹底改革を行う」という視座の重要性である (19)。デンマークのオルタナティブ教育関係者が「自由」や「子ども中心」などの新教育運動の標語よりも、「少数派」または「少数派の権利」を標榜することが多いのも、システム改革というテーマでは非常に興味深い点である。この点については引き続き最終報告書で論じることにしたい。

<注>
(1)OECD-CERI. 2001. p.49. たしかに近年に実施されたOECD生徒の学習到達度調査(PISA)の分析結果のように、教育費の支出のわりには生徒のパフォーマンスは決して優れた方ではないというデータもある(OECD. 2001. p.91.)。しかし、国際比較調査で用いられている基準では、後でふれるヒューマニスティックな教育もしくは「民衆の社会的自覚」(清水満1993、p.62.)に基づく教育<成果>は必ずしも計れるとは限らないことは強調される必要がある。

(2) 関連の法令については、佐々木正治『デンマーク国民大学成立史の研究』、pp.40-50.を参照。

(3) デンマーク政府が作成した教育パンフレットを見ると、草の根のムーヴメントに相当の評価を置き、そうした文化を自負していることに驚きを覚える(例えば、Royal Danish Ministry of Foreign Affairs. The Danish Folkehojskole.)。また後述するように、教育省職員へのインタビューでも市民運動を支援しようとする意識が相当に高いことが伺える。

(4)詳しくは、清水満『生のための学校:デンマークで生まれたフリースクール「フォルケホイスコーレ」の世界』、1993、新評論を参照。

(5) 公立学校に関する「国民学校法」については、千葉忠夫監修『デンマーク国民学校法』を参照のこと。またオルタナティブ教育関連の独立学校法については、本研究プロジェクトの一環として現在邦訳中である。

(6)デンマークで全国的に設立されている初等教育レベルのオルタナティブ教育校。公的助成を受けているが、カリキュラムや教授法、教科書等への要請は非常に少ない。

(7) 2001年9月10日、教育省でのインタビュー。

(8)デンマーク教育省のHenrik Koeberの論考に従い、公費が相当の割合で投入されているため、本稿でも私立学校でなく独立学校と呼ぶことにする。(The Danish Independent Schools and the State Subsidies to the Schools. EFFE (The European Forum for Freedom in Education)の2000年会議で提出された論文)

(9)ロスキルデ市郊外のオステッド・エフタースコーレでのインタビュー。2001年9月13日。

(10)「全国私学連盟」事務局長エーベ・フォルスベルグ氏へのインタビュー。2001年9月10日。

(11) 初めてのフリースコーレが設立されたのは1852年である。

(12) 自由学校協会事務局長へのインタビュー。2001年9月10日。

(13) 詳しくは、Henrik Koeber. The Danish Independent Schools and the State Subsidies to the Schoolsを参照。

(14) Undervisningsmin. Bekendtgorelse af lov om Friskoler og Private Grundskoler m.v., Lovbekendtgorelse Nr. 529 af 6. juni 2001.参照。

(15) 1960年代のカウンターカルチャー運動の時代に生まれたオルタナティブ校である。国内外での非常にラディカルな実践で知られる。学校は国内でも10校以上となり、カリブ海域などの途上国でもホテルやテレビ局を経営していくまでに成長した。税金が教育目的に使用されているかどうか疑惑がもたれ、1996年、認可が取り消された。しかしこの事件は、「国家からの教育の自由」の侵害ではないかとして国民的な議論を巻き起こした。

(16) http://www.uvm.dk/eng/

(17) Efterskolerne. Meet the Danish Efterskole. Kobenhavn. 1992. p.8.

(18) http://www.uvm.dk/eng/publications/factsheets/fact9.htm

(19) 佐伯胖氏の「未知なるものの制度的導入」論、もしくは「倫理的態度としての未知性」、「未知性への信頼の倫理性」については、『「きめ方」の論理:社会的決定理論への招待』(東京大学出版会、1980年、pp. 299-310)を参照されたい。

<謝辞>
オルタナティブ教育について研究する際、とかく個々の実践のクオリティに目を向ける傾向にあった私たちの研究プロジェクトにあって、「むすびにかえて」でふれたように、「制度の質的側面」や「倫理的態度」の重要性にまで気づいたのは大きな収穫であった。これには、デンマークの現地調査でミケルセン氏をはじめとする政策担当者の<感性>に触れたのが大きく影響している。また、2001年11月にタイの子ども村学園で開催された第3回国際オルタナティブ教育セミナーへ向かうときのバスの中で、当研究会の研究分担者である吉田敦彦氏と交わした、ふとした会話も上の<気づき>について再確認する契機になった。ミケルセン氏および吉田氏にこの場を借りて感謝の意を表したい。

<参考文献>
佐々木正治『デンマーク国民大学成立史の研究』風間書房、1999.

清水満『生のための学校:デンマークで生まれたフリースクール「フォルケホイスコーレ」の世界』新評論、1993.

千葉忠夫監修『デンマーク国民学校法』東京お茶の水/自分流文庫、1998.

『ユネスコ編 世界教育白書1999』(World Education Report 1998. UNESCO Publishing, 1998.)[日本ユネスコ協会連盟監訳、東京書籍]、1999.

OECD. Knowledge and Skills for Life: First Results from PISA 2000. OECD, 2001.

OECD-CERI. Education Policy Analysis. OECD, 2001.

出典:国際オルタナティヴ教育研究会「オルタナティヴな教育実践と行政のあり方に関する国際比較研究(中間報告事例集)」(2001年12月)

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