グルントヴィ協会関係の催しが初めて関西で!

99年1月30日<ヒュッゲな集いin 関西>の報告


辻 正矩(エコハウス)

全員写真
「関西の集い」に集まった人たち

<ヒュッゲな集い in 関西>


 会は午後1時を少し回ってから始まりました。テーブルの上には、各自が持ち寄ったおいしそうな手料理やパンやお菓子、おつまみなどが満載されていました。とてもバラエティに富んでおり、関口さんをして「個性豊かな食卓ですねー」感嘆せしめたものでした。それに加えて、砂川さんたちが出水の「風の教室」の農園で収穫されたお芋(白芋)でつくった特製焼酎「つる乙女」もありました。

 辻の開会の挨拶の後、関口哲生さんの乾杯の音頭で宴が始まりました。ちょうどそのころ清水さんが来られ、さっそくスピーチをしていただきました。その中で「大阪は日本のオーフスである。オーフスがコペンハーゲンに対して独自の文化で対抗しているように、大阪のグルントヴィ関係者も独自性を発揮して欲しい。これからの関西の会の独自の発展を期待します。」という激励の言葉をいただきました。

 次に参加者の自己紹介を行ないました。参加者の内訳は、夏のデンマークツアー参加者とそうでない方の割合が半々、またグルントヴィ協会員とそうでない方の割合が半々でした。宮崎から松本英揮さん、名古屋から伊藤祐子さん、宮沢節子、多絵さん親子、斉藤礼子さん、坪内美恵子さんが来てくれましたが、何といっても遠いのは、デンマークから来られたイエッテ・モルガールさんです。

 彼女は、関西外語大学とオーフス大学の第1回の交換留学生で、ここに4ケ月滞在して日本語を勉強されるそうです。少したどたどしさもありましたが、きれいな日本語と英語で自分の経歴についてスピーチされました。また、昨年夏からインターナショナル・ホイスコーレ(IPC)に行っておられた大塚建一さんからもIPCの生活についてスピーチしてもらいました。

会の様子

右側に立っているのがIPC報告をする大塚さん。

左から二番目がイェッテ。

 20分ほど休憩した後、アピール・タイムに入り、清水さんから、9月中旬に来日するデンマーク人のスタディーツアーのメンバーのホームステイで協力願いたいとの話や影山健さんの愛知県知事選の立候補の話がありました。続いて西山知洋さんから、4月24日に大阪で開かれるサドベリーバレー・スクールのダニエル・グリンバーグ氏講演会と交流会のお知らせ、関口さんから、グルントヴィのことを学ぶ勉強会発足のお知らせがありました。辻から、エコハウスの活動について紹介しました

 その後、ゲーム・タイムに入り、清水さんのリードで心身をほぐすゲームをやりましたが、みなさんからはとてもよかった、楽しかったとの感想をいただきました。清水さん、ありがとうございました。最後にグルントヴィ・ソング・ブックの中の1曲をイエッテさんのリードでみんなで歌い、閉会しました。終ったのは4時40分ころで予定よりもタイムオーバーしてしました。

 参加されたみなさんからは、楽しかったよ、世話役ご苦労様とのお言葉をいただき、幹事一同報われた気がしました。これも一重に会を盛り立てて下さったみなさまのお陰と感謝しております。最後に、前日から裏方でいろいろと準備の仕事をやってくれた宮沢多絵さん、木ノ山智子さん、辻麻衣子さんにはスペシャル・サンクスです。

表現ゲーム
みんなで表現ゲームをして楽しむ。これは「怒り」をテーマに集団彫刻を表現するもの。「怒り」だけど思わず笑みがこぼれる。

<二次会または"続わきあいあいホイスコーレ"?>

 会が終った後、辻の自宅で二次会をしました。宮沢さん親子、斉藤さん、伊藤さん、木ノ山さん、松本さん、砂川さん、藤森さん、それに辻親子の10名が参加しました。そこでは松本さんの北欧、東欧22か国の旅の様子をスライドを使って報告してもらいました。宮沢さんと斉藤さんは帰りの列車の時間があるので、スライドの最初の方を見ただけで名残り惜しそうに退席されました。

 松本さんの話の内容は、彼のバイタリティと純粋な気持が伝わるとてもよい話でした。その後、それらの国と日本との違いについて、みんなで話し合いました。もう遅いので、失礼したいという砂川さんと藤森さんを、みんなで無理矢理引き止めて、とうとう泊めてしまいました。話題は次から次へと止まるところを知らず、政治や環境問題の話から、かなり個人的な話や少々キワドイ(?)話もありました。何だか昨夏の"わきあいあいホイスコーレ"の続きをやっているような雰囲気でした。

 話はそれてしまいましたが、今度みんなで集まるとしたら九州がいいねという話がありました。清水さん、夏あたりにそちらで泊まりがけのセミナーの予定はありませんか?それから、9月のデンマーク人の九州でのセミナーに、参加できたらいいなという人もいました。

 翌朝早く、藤森さんは仕事で奈良へ、砂川さんは野沢へスキーに出かけました。松本さんは神戸へ、女性組は大阪の都心へ、そして私は大学へ入学試験の試験監督へと、それぞれ出かけたのでした。