キャンプファイアー・ホイスコーレ?

              96年夏、スタディ・ツアー報告

                 清水 満

Old_Town

オーフス市のオールドタウンで

 96年夏も例年通り、デンマークへのスタディ・ツアーを行ないました。95年はデンマークのダン・インフォメーションにお願いしましたが、今回は二年ぶりに協会が主催をしました。
 行きでは、航空券が間違っていたり、一部荷物が出てこなかったりで、トラブルが相次ぎ、関西空港発の英国航空機やデンマークの国内線(SAS)をそれぞれ20分程度待たせるという離れ業をして、何とかたどりつきました。帰りもオプション・ツアーに参加した一行は、荷物が成田の方へ送られたりして、ドタバタが続きました。格安航空券のツアーはこれがあるからたいへんです。英国航空なら大丈夫と思ったのですが(実際、関西空港では出発予定時間を超えても待ってくれましたが)、世界で一番航路数が多い会社なので、細かいところまで手がまわらないようです。

 セミナー自体は、問題もなくゆったりとしたペースで、充実した内容でした。以下、参加者に配ったスケジュールをもとに、かんたんに報告していきます。
                           

スタディ・ツアー日程

8月20日(火)
 7:30 朝食
 9:22 シルケボー行きの列車に乗車
10:00 「リズミック・音楽・身体運動センター」訪問
      案内:ヤコブ・ヘルマン
12:00 同所にて昼食
13:45 シルケボーからスレーンセまで遊覧船ツアー
      森と湖の散策
15:30 ヒンメルビャウ自然教育・体育エフタースクール訪問
      案内:オヴェ・ガスビャウ校長
18:00 夕食

 リズミック・音楽・身体運動センターは、国立の音楽院ですが、コペンハーゲンの伝統を誇るクラシック専門のロイヤル・アカデミーに対抗して、新しくできたとき、アフリカを中心とした民族音楽やジャズをとりいれて、その特色を出しました。身体のリズムや舞踊と音楽の関係、あるいは精神との関係を重視し、ユニークな音楽教育を施しています。
 ヒンメルビャウ・エフタースクールでは校長のオヴェが、学校の教育内容をスライドで見せてくれました。ここは野外観察や自然との親しみを重んじ、夏や秋などのキャンプやサバイバルの訓練を経て、仕上げとしてノルウェーへスキー旅行をします。自分たちでビバークを掘ったり、雪の原野で夜を越したりして、厳しい大自然と闘いながら、長い道のりをスキーで踏破するのです。
 このスライドを見た参加者からは、これがほんとの「生きる力」の教育なんだと感嘆の声があがりました。根性主義などみじんもなく、生徒たちの明るい、しかしだんだんとひきしまっていく表情が何かを得ていく喜びを示していました。
 この夜は、クリスチャンがホイスコーレのキャンパス内で薪を焚いてくれて、その周りで、ワインやお茶を飲んで、夜更けまでゲームをしたり、語り合ったりして楽しみました。これが今回の別名「キャンプファイアー・ホイスコーレ」の始まりだとはそのとき誰も予想していませんでした。


8月21日(水)
 7:30 朝食
 8:22 オーフス行きの列車に乗車
10:00 ガムレ・ビュ(オールドタウン)見学
12:00 昼食(ランチボックス)
14:00 演劇集団「スヴェレガンエン」訪問。現代劇のリハーサルの見学。
16:30 リュへの列車に乗車
17:30 夕食
19:22 スラエルセ行きの列車に乗車
23:00 リセルンド着

 午前中はオーフスへ出かけ、各地の古い建物を集めた野外博物館「ガムレ・ビュ」を見学しました。ちょうど明治村をイメージしてもらうといいでしょう。デンマークの古い民家、農家、職人の家など、あたかもひとつの町のようになっています。ここで各自散策し、のどかなデンマークの陽射しを楽しみました。
 その後、オーフスの目抜き通りで買い物などをしたあと、独立劇団「スヴェレガンエン」を訪ねます。「スヴェレガンエン」とは村の庄屋、村長の家の中庭のことを意味します。村で一番立派で大きな建物ですから、中庭が広く、そこで芝居やお祭りがあったのです。そこから来たネーミングです。
 「スヴェレガンエン」はデンマークでは最大の独立劇団です。デンマークでは大きな劇団は国立や公立なのですが、演劇関係者が自分たちで集まって自主独立の団体として活動している劇団も多くあります。その中ではリーダー格の由緒ある劇団です。やはり、デンマークが荒れた68年の頃、国立劇団の団員たちが束縛や伝統の足かせを嫌ってできた劇団だということです。
 ここと並ぶもう一つの有名な独立劇団「オーデン・テアター」が前衛劇を得意としているのに比べ、「スヴェレガンエン」はオーソドックスな現代劇から前衛的なものまでいろいろできるという幅の広さがあります。
 とても親切に案内・解説をしてくれて、新しい劇のリハーサルまで見せてくれました。新作に取り組み始めで神経質になってもいいはずですが、最初と最後にはどこから手に入れたのか、日本の唱歌まで役者のみなさんで歌ってくれるというサービスで、参加者は大満足でした。
 夕食を食べてから、リュを去り、リセルンドまで列車で移動をしました。列車ごとフェリーに乗り込むという珍しい体験に参加者も興味津々。でも今回までで、すでにフュン島とシェラン島を結ぶ巨大な橋が完成しているために、次回からはただの列車の旅になりそうです。

8月22日(木)
 7:00 朝食
 8:00 ランスグラウ・フリースクール訪問
      案内:フレーデ・ハンセン校長
12:00 フラッケビャウ・エフタースクール訪問
15:00 リセルンド着。のち自由時間。
18:00 夕食

 クリスチャンは新しい学期で学生を迎えねばならないために、私たちと別れたのですが、ここで、このツアーにはかかせないラースがバスの運転手として合流。さっそく朝やってきたはいいものの、ランスグラウ・フリースクールまでの道を忘れていました。私(清水)が去年取材で、三日間、リセルンドから自転車で通いましたので、だいたいの道を憶えており、何とかたどりつきました。
 校長のフレーデが出迎え。朝礼に参加し、生徒たちは歓迎の意味をこめて「おー、フュン島」という歌を即興の輪唱で歌ってくれました。お返しに何か日本の歌をといわれたので、「幸せなら手をたたこう」を身ぶりいりで生徒たちと歌いました。
 連絡のミスで、私たちがいつ来るかわからなかったそうですが、校長のフレーデが案内することになりました。まず自由に授業をのぞいて、その後フレーデが話をしてくれました。
 日本だったら、クラスに自由に出入りすると授業のじゃまといわれそうですが、ここでは私たちが来ようが、生徒に質問しようが自由です。教員も生徒も私たちが来るとほほえみ、出るときは手を振ったりしてくれました。
 午後はフラッケビャウ・エフタースクールへ。ランスグラウで時間をとりすぎたために、あまりじっくり見ることはできませんでした。というのも、この日は午後から生徒はみな海へ行くことになっていたからです。三グループにわかれ、それぞれ生徒が案内をして、校内をみてまわりました。のち、残った教員が一人私たちの質問にじっくりと答えてくれました。
 いじめについての質問がでたとき、ここに来る生徒たちも前の学校ではいじめられたり、いじめたりした経験をもつものがいるといい、その彼らもここに来て変わると答えたのが印象に残りました。
 その後は自由時間ということで、フィヨルドの見えるところにドライブ。小さな村があり、三々五々そこを散歩しました。ここで二人ほど、方角を間違い、反対方向へ数キロほど歩いていました。バスに乗って二人を探しましたが、歩くのがもうひとつおっくうという割にはすごい健脚だったので、みな驚き。おしゃべりしながらだと、けっこう歩くんですねぇ。
 帰ってからは、リセルンドの広い庭で、清水が身体表現ゲーム(トロプスやイドラット・フォルスク、それにシアター・ゲーム)をみなに教えて遊びました。リセルンドの支配人アンナ(クリスチャンの母)が自宅にみなを呼び、お茶や写真などみせ、ゆったりした宵を楽しみました。
 アンナの好意で薪で火を焚き、この日もキャンプファイアー。夕方から深夜まで、延々5〜6時間です。ビールやワイン、紅茶にコーヒー片手に、ゲームやおしゃべり、歌に踊り。ラースも麻里さんの通訳付きで参加。キャンプファイアー・ホイスコーレ。いよいよはまってきました。

8月23日(金)
 7:30 朝食
 9:00 講義「グルントヴィと身体文化」
      オヴェ・コースゴール(王立アカデミー研究員、世界教育協会会長)
12:00 昼食
14:00 ゲアレウ・体育ホイスコーレ訪問
      案内:ラース・アントン(教員)
      民衆のスポーツ「イドラット・フォルクス」をします。
18:00 夕食

 この日にもなればさすがに夜遅くまでの語らいの疲れが出てきます。楽しいんだけれど、眠いという感じで、オヴェがきたときでも一同眠そうでした。
 それでもオヴェがじっくりと語ってくれましたので、だんだんと参加者も興にのり、終わったあとは質問がたくさん出ました。
 ここで、スラエルセの町へ銀行や買い物にいく人と、残ってオヴェと話をする人との二手に分かれます。
 戻って昼食の後、ゲァリウ・体育ホイスコーレへ。案内をしてくれたラースがとても明るく楽しい人で、イドラット・フォルスクやホイスコーレ・ソングブックの歌など大いに盛り上がりました。最後を飾るにふさわしい感じでした。

Gerlev

ホイスコーレの歌をうたう

 リセルンドで最後の食事のパーティをした後、また庭でキャンプファイアー。とうとう朱里ちゃんの感想にもあるように、なんだか焚き火の火を見ないとねむれないという感じになってしまったのです。最後の後かたづけは経験豊かな本村くんで、火が燃え尽きて暗くなった中、一人で火をいじくっているところから、孤独が似合う本村くんなどといわれるようになったのでした(でも、最後まで残った他の若い人があまり後かたづけをしなかったのも事実で、彼ばかりがするようになったという事情もあります)。
 

8月24日(土)
 8:00 朝食後解散。
      自由時間。例年、この時間はコペンハーゲンに出て、観光や買い物をし          ています。

 この日はみなでコペンハーゲンまで出て、観光や買い物をしました。半分は戻り、半分がオプションのツアーに参加すべく、リセルンドに残ります。これまでの疲れとコペンハーゲンを歩いた疲れとがどっと出てきて、一同ぐったり。
 スラエルセの中華レストランで、西山さんが米や醤油の味にありつけて、元気を取り戻したのが印象的でした。若い人はもちろん、私くらいまではデンマークの食事もおいしく感じられたのですが、さすがに西山さんの年代となると、洋風の味が続くときついようです。
 

 後日談
 オプション・ツアーはまたちがった味付けで、楽しめたようです。サダコさん、ありがとうございました。
 先に帰った人たちの荷物が手違いで成田に送られるというハプニングもありましたが、ともかく無事ツアーを終えて、安心。前に樋口さんが、ツアーなど苦労ばかりで二度とやるもんかと思っても、よかったという声を聞くとまたやろうかと思ってしまう旨を書かれていましたが、私もそんな気持ちです。
 でも普通の旅行者のツアーの添乗員も、はたから見るとただで旅行ができて、いい仕事に見えますが、きっとたいへんだろうなと同情します。小さな事故やハプニングがあれば、それだけでパニックになってしまいます。
 私は今回飛行機を二度二十分以上待たせるという離れ業をやりました。とくにSASの飛行機に私が最後に乗ったとき、地上勤務員やパーサが「あなたがミスター清水か」といってまるでVIPみたいに「こちらへ、こちらへ」と誘導してくれ、機上にあがったときに拍手つきで迎えてくれたのはいい気分でした。なんかまたやってみたい感じで、癖になりそうです?。
 


3、ツアー案内者(ここは会員連絡より抜粋)
  クリスチャン・サミュエルセン(Kristian Samuelsen)
  リュ・ホイスコーレ教員(人文・社会科学担当)。今回のツアーのオルガナイズを担当。20日のガイドも担当してくれます。92年には日本にもきました。
  
  三枝 麻里(さいぐさまり)
  オーフス大学在籍。全日程について通訳を担当してくれます。よどみない通訳は
  不自由さを感じさせません。御祖父は鎌倉アカデミア校長で、横浜市立大学学長であった哲学者三枝博音です。

  ラース・L・イエンセン(Lars L Jensen)
  22日、23日に貸し切りバスを運転してくれます。キッチュな絵の入ったオンボロバスは、このツアーの象徴にもなっています。

  清水 満(しみずみつる)
  ツアー組織者。クリスチャン、麻里さん、ラース、そして私の4人でいつもツアーをやっています。この4人は最強メンバーと自負しています。観光旅行とはひと味違ったツアーをご期待ください。

(柳田 朱里「スタディ・ツアー感想文」)

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