神を愛し、人を愛し、土を愛す 5
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瀬棚フォルケホイスコーレの絵はがきから
グルントヴィ−内村を経由する日本の三愛精神の影響下にあるのは、これまで名前を挙げたものだけではありません。雪印乳業を始めた黒沢酉蔵−彼は茨城県常陸太田市の出身です−が創立した酪農学園大学(北海道)や小谷純一の創立した愛農学園農業高等学校(三重県)も三愛精神を校是として頂く学校群です。さらに、酪農学園大学を卒業した河村正人が、瀬棚フォルケホイスコーレ(北海道)を1990年に設立し、また、基督教独立学園や愛農学園で生徒・教師としての経験を持つ武義和が、小国フォルケホイスコーレ(山形県)を2000年春に開設しようと準備を進めております。福岡県宗像市に設立された日本グルントヴィ協会が、市民団体としてグルントヴィとフォルケホイスコーレに対する理解を広めていることも注目に値します。
瀬棚フォルケが90年の秋に半年コースでスタートした時、生徒は定員8名に対して1名でしたが、徐々に増えて定員一杯の8名が生活するようになります。8名の生徒に対して4人のスタッフが寝食を共にして指導するというと、少人数教育の理想的な姿が思い浮かびますが、現実はそう甘いものではありません。
瀬棚フォルケの河村正人は次のように語ります。
このような学校は、日本ではなかなか理解してもらえません。ですから、「おちこぼれ」のいく学校と片付けられてしまいます。今では、それを残念に思うどころか、そう言われて誇りに思っているくらいです。なぜならば、「おちこぼれ」と言われている若い人たちの多くは、今の学校が隣人愛と個性の尊重をかなぐり捨てていることに対する義務教育の良心的な拒否者であるからです。
(中 略)
毎年私たちは、春に皆で植樹をしますが、植えながら、「今度きみがフォルケホイスコーレにくるころにはこのぐらいの背丈かなぁ。きみが息子や娘をつれてくるころには、そうだねぇ、見上げるくらいに。君の髪が真っ白になるころには、こんなに太くなってここは深い森になっていると思うよ」などと話します。農業には、希望をもって成長を気長に待つ心を自然に植え付けてくれる力があるんですね。世の中が希望を失って「明日がない」と悲観的になればなるほど、私たちは「今日リンゴの木を植えよう」という気持ちがかき立てられるのです。それは、大地に足をつけ生命を育み、生命の糧を得ているものの健康さでしょう。
この健康さが、二一世紀を迎える若い人たちの教育の場にぜひ欲しいと思います。
今、「今日リンゴの木を植えよう」と申しましたが、これは宗教改革者マルチン・ルターの言葉ですね。正確には「世界が明日破滅に向かおうとも、今日私はリンゴの木を植える」。私の大好きな言葉です。そしてこの言葉は、明日を担う若い人たちを前にして、希望を語らねばならぬのに現実のきびしさについくじけてしまうそうになる私たちを、心の底から勇気づけてくれる言葉でもあります。
(「生のための学校」清水満編著 新評論 P281〜285より)
河村正人は、混沌とした世紀末を迎えながらも「世界が明日破滅に向かおうとも、今日私はリンゴの木を植える」と自分の思いを語りますが、では、21世紀に向かって、三愛精神は私たちに何を語りかけるのでしょうか?
三愛精神の未来を思う時、私たちは再び内村とデンマークに目を向けなければなりません。
内村は、「デンマルク国の話」を締めくくるにあたって、デンマークの話が教える3つのことを挙げています。
第一に、戦敗は必ずしも不幸ではない。牢固たる精神があれば戦敗はかえって良い刺激となって不幸の民を起こす。デンマークはその善き実例である。
第二は天然の無限的生産力を示す。エネルギーは太陽の光線、海の波、吹く風、噴火する火山にもあり、これらを利用すれば、みなことごとく富源である。デンマークで足り、外に広がるよりは内を開発すべきである。
第三に信仰の実力を示す。国の実力は、軍隊ではなく、金ではなく、信仰である。聖書で「もし芥種のごとき信仰あらば、この山に移りてここよりかしこに移れと命うとも、かならず移らん、また汝らに能わざることなかるべし」とイエスが語った通り、ダルガスの、そしてデンマーク人全体の信仰によって偉業がなった。
この3つの指摘、特に、第二の指摘は、21世紀を迎えるに当たって、私たちに預言ともいえる大きな示唆を与えています。
デンマークのユラン半島中南部にアスコウというフォルケホイスコーレがあります。1865年に教師3人、生徒30人で始まったこの学校は、当初は人文系の学課しか教えておりませんでしたが、1878年に学課を改編して自然科学も教授することになり、ポール・ラ・クール(1846〜1908)という気象・物理学者を教師として迎え入れます。ラ・クールは、やがてアスコウ・ホイスコーレの校長になりますが、彼は、デンマークが風に恵まれていることに注目し、風車発電こそがデンマークの、特に地方の役に立つと考え、効率の悪さや電気の貯蔵といった問題を次々に解決していきます。風力の変化があっても出力に変動がないように調速機能をもった風車を開発し、水の電気分解によって水素と酸素を発生させて電気を貯蔵するというアイデアを思いつきます。アスコウ・ホイスコーレでは、取り出した水素ガスを照明にも利用していたそうですが、1902年からはバッテリーによる蓄電に変わり、アスコウ・ホイスコーレばかりではなく、町全体にも電力を供給し始めて、これは1958年まで続きました。ラ・クールは、エネルギー分野でのダルガスといってよい存在であると思います。
こうしたラ・クールの貢献により、アスコウ・ホイスコーレでは風車発電に関するコースが設けられ、多くのデンマーク人が風車発電の理論と実践を学びます。彼は、その後、1903年にデンマーク風車エネルギー協会を設立して風車発電の普及に努め、子ども向けのエネルギーに関するおとぎ話すら書いたといいます。(以上は「生のための学校」所収 橋爪健郎「ボール・ラ・クール」より)
デンマークでは、1973年の石油ショックの頃から次世代のエネルギーをどうするかという議論が起きましたが、こうしたラ・クール、そして、アスコウ・ホイスコーレの実践が下地となり、石油に代わる次世代のエネルギーとして風力を支持する声が高まりました。勿論、風力発電を求める人々と効率の良い原子力発電を採用したいとする政府、電力会社との間で対立がありましたが、1985年、チェルノブイリ原発事故の1年前に、原子力発電は採用しないという国会決議がなされ、風力発電に道が開かれたのです。原子力発電と比べれば効率も使い勝手も悪く、それこそ風任せである風力発電を敢えて選んだ背後にあったのは、フォルケホイスコーレの存在とそこで学んだ人々の群れでした。
実際、風力発電を求める運動の大きな担い手となったのは、ユラン半島中西部にあるトヴィンドのホイスコーレでした。このホイスコーレでは、ラ・クールの実践に習い、エネルギーを自前で作り出すために、高さが53メートル、羽の直径が54メートル、最大出力2000キロワットの風車発電装置を作り出しました。ホイスコーレの伝統に従い、学生と教師とが一体となって議論を重ねつつ、廃物をも利用した素人の手作りの作業が続きました。やがて風車が次第に形を見せ始めると、それまで冷淡だったマスコミも関心を寄せるようになってデンマーク中の注目を集めます。1978年に完成したこの手作りの風車は、50世帯分の電力を賄う力を持ち、15年間に渡って発電を続けて、近年のフォルケホイスコーレの象徴的な存在になっていきます。
この風車発電の成功に続いて、各地のフォルケホイスコーレが風車発電に乗り出していくようになり、次々に作られていった小規模な風車発電は、周辺の住民による協同組合によって所有・管理され、デンマーク人の友愛に満ちた共同性の表われとされます。そして、石油ショック時にはエネルギーの石油依存度89%、自給率がわずかに1%に過ぎなかったデンマークは、風力をはじめとする新エネルギーの開発を進め、90年代半ばには自給率を50%以上にも高めてきました。内村がかつて預言したように、エネルギーは太陽の光線、海の波、吹く風、噴火する火山にもあり、これらを利用すれば、みなことごとく富源であって、デンマークで足りるのです。
現在、北欧の小国デンマークは、大国であるドイツ・アメリカに次ぐ世界第3位の風力発電国となり、その風力発電技術は世界に輸出されています。独立学園のある山形県には、日本初の民営風力発電所(立川町)が建設され、茨城県にも風力発電所(波崎町)が建設されましたが、そこで使われているのはデンマーク製の風力発電機です。
デンマークのフォルケホイスコーレは教育の分野からスタートしましたが、教師と生徒が互いに「生きた言葉」で語り合い、それぞれの生を深めて行くという実践の成果は、教育の分野に留まることなく、現在ではこのように社会的にも大きな影響を与えているのです。
グルントヴィ−内村に由来する三愛精神「神を愛し、人を愛し、土を愛す」の「土」とは、我々の命を養う作物を育てる「土」から、私たちの生活の舞台である、地球環境全体のシンボルとしての「土」へとその意味を膨らませ、エコロジーの思想とも響きあいながら、21世紀に生きるべき指針を与えてくれるのではないでしょうか。
最後に、「デンマルク国の話」の結びの言葉を引用して、本日の私の話をお終いにしたいと思います。
ユグノー党の信仰はその一人をもって鍬と樅樹とをもってデンマーク国を救いました。よしまたダルガス一人に信仰がありましてもデンマーク人全体に信仰がありませんでしたならば、彼の事業も無効に終わったのであります。この人あり、この民あり、フランスより輸入されたる自由信仰あり、デンマーク自生の自由信仰ありて、この偉業がなったのであります。宗教、信仰、経済に関係なしと唱うる者は誰でありますか。宗教は詩人と愚人とに佳くして実際家と智者に要なしなどと唱うる人は、歴史も哲学も経済も何も知らない人であります。国にもしかかる「愚かなる智者」のみありて、ダルガスのごとき「智き愚人」がおりませんならば、不幸一歩を誤りて戦敗の悲運に遭いまするならば、その国はそのときたちまちにして亡びてしまうのであります。国家の大危険にして信仰を嘲りこれを無用視するがごときはありません。私が今日ここにお話しいたしましたデンマークとダルガスのとに関する事柄は多いに軽佻浮薄の経世家を警むべきであります。
(「後世への最大遺物 デンマルク国の話」内村鑑三著 岩波文庫より)
初出 『水戸無教会』178号(2000年)
(参考資料)
内村鑑三著「後世への最大遺物 デンマルク国の話」(岩波文庫)
内村鑑三全集第30巻(岩波書店 1982年)
内村鑑三全集第35巻(岩波書店 1983年)
平林広人著「デンマルク」(文化書房)
岩淵文人著「祖父 平林広人」(私家版)
藤井武全集第9巻(岩波書店 昭和46年)
加藤完治全集第四巻「加藤先生 人・思想・信仰(上)」(加藤完治全集刊行会)
大谷英一著「日本村塾教育」(関谷書店)
大谷英一著「日本興村論」(教文館)
大谷英一著「平和の国デンマーク」(弘文堂)
ホルマン著 那須皓訳「国民高等学校と農民文明」(東京堂)
清水満編著「生のための学校」(新評論)
「神に依り頼む」(基督教独立学園)
「三愛講座レポート 創刊号」(三愛教育振興会)
橋爪健郎「民衆運動としてのデンマーク風力発電」(風力エネルギー協会発表論文)