小さな学校の大きな挑戦
箕面こどもの森学園のこれまでとこれから〜

辻 正矩(箕面子どもの森学園・学園長)

箕面子どもの森学園校舎
 1998年8月、私は日本グルントヴィ協会のスタディ・ツアーに参加し、デンマークのフォルケホイスコーレやフリースコーレを見て回りました。1999年10月にアメリカのボストンにある自由学校サドベリーバレー・スクールやアルバカーキのチュートリアル・スクールを訪ねました。そして2003年3月には南フランスのヴァンスにあるフレネ学校を見学しました。

 それらの学校に共通するのは、子どもの個性が尊重され、教育の方法が子どもの学習ニーズに対応しているということでした。そして、子どもたちが個性豊かで、とても生き生きとしていることが印象的でした。日本にはなぜそのような子どもの個性や主体性を尊重する学校がないのだろうか、あったとしてもほんの一握りで、一般に受け入れられていないということ自体おかしいと思い、大いに不満を持ちました。その気持が高じて、とうとう自分たちの手で学校を創ることになってしまったのです。

1.わくわく子ども学校ができたころ

 2004年4月、箕面市内に北摂地域では初めてのオルタナティブ・スクール「わくわく子ども学校」が誕生しました。この学校は、教師中心の画一的な一斉授業ではなく、子どもの興味関心から学ぶことのできる、子どもの主体性を尊重する学校が日本にもあってほしいと思う市民が集って創ったものです。

 「大阪に新しい学校を創る会」の設立趣意書に、「わたしたちは、これらの先達の教えに習い、子どもたち自らの意思で学ぶ新しいタイプの学校を構想しました。この学校は生徒数80人くらいの小規模で、そこでは生徒とスタッフが生活をともにしながら、エコロジカルで民主的な教育がなされます。そこでの教師の役割は、将来必要になる知識や技術を教え込むことではなくて、子どもたち一人ひとりの自立的な成長のプロセスを支援することにあります。」と書いています。

 そのようなビジョンの下で、クラス編制は無学年制で、個別学習を中心としたカリキュラムを用意しました。学習形態は、「表現(国語や算数、音楽、図工など)」、「トピック(理科や社会の総合学習)」、「プロジェクト(ワークショップ)」の3つがあります。授業や学校運営のしかたは、子どもたちが自主的に学習するシステムが整っているフレネ教育を参考にしました。

 校舎は阪急箕面駅から徒歩で13分ほどのところにある静かな住宅地にある木造の一軒家です。100m2ほどの面積があり、10畳くらいの部屋(ミーティングルーム)、6畳の部屋3間(多目的室、スタッフルーム、教室)、5畳の部屋1間(教室)それに台所と浴室がついています。当時の生徒数は、小学6年生から2年生までの7人でしたので、そんなに狭いという感じはありませんでした。

 学校の規則は、開校前に学校スタッフで「ことばや暴力で人を傷つけない」、「学校のものや自分の持ち物は大切にあつかう」など6ヶ条を決めました。その後は、問題が起きたときに全校集会で子どもたちと話し合って決めました。例えばこんなルールがあります。「学校にはジュースを持ってきてもよい。ただし、炭酸の入ったものはいけない」、「大きな声を出さない。大声を出している人を見つけたらアドバイスをする」、「友だちを注意するときは、どうして自分が止めてほしいと思うか理由を言うようにする」など。

 全校集会では、学校行事の企画を考えたり、問題が起こったときにその解決案を考えたりします。このときはスタッフも子どももまったく対等の立場で話し合いますが、何かを決めるときには多数決では決めずに、トマス・ゴードンの「勝負なし法」という方法を採用しています。これは、ある提案について一人でも反対があれば、その代案をみんなから出してもらい、その中からだれもが反対しない案が選ばれます。最善の案ではないかもしれませんが、参加者のだれもが不満を持たないので、その決定事項はよく守られます。この方法は、マイノリティ(少数派)の意見を尊重するのに有効な方法だと思います。

2.自律的に学ぶ

 私たちは、従来の学校のような教師主導型、教科書中心でなく、子どもの自主性を尊重し、生活体験を大切にし、一人ひとりのニーズに合った学習を支援する教育方法を模索してきました。

 最初に、自分で学習内容や学習ペースを決められるように学習計画表を導入しました。これはフレネ学校で用いられている方法で、1週間分の学習計画をスタッフと相談しながら子どもたちが立てるというものです。最初の頃の計画表は、授業時間に何をやるかを書き込むだけの単純なものでしたが、後にはテキストの何ページから何ページまでをやるとか、7の段の九九を覚えるとか、もっと詳しく書くようにしました。

 開校した年は子どもの学習の内容や進度については、スタッフはなるべく干渉しないで子どもの自主性に任せてみるという方針でやりましたが、その結果といえば、予想通りというか、自分の好きなこと、できることはどんどんやるが、きらいなこと、苦手なことはちっともやらない、その日の気分によって進んだり進まなかったりしました。

 2年目になると子どもたちはこの方式に慣れてきて、自分が立てた計画をできるだけ守ろうとするようになってきました。しかしこのやり方では、小学校6年間で学んでおかなければならない学習項目(小学校学習指導要領に書かれているもの)をどの程度学習したかということが分かりません。そこで、国語と算数の1年生から6年生までの学習指導要領の中から最低限必要だと思われる項目を選んで、学習項目の一覧表を作りました。それを6年間で習得するという目標を立てましたが、それをどういうペースでやるかは子どもたちの選択に任せました。

 この表を参照しながら1ヵ月の学習目標を立てます。そして、その目標を達成するために1週間の学習項目と学習のやり方を計画表に記入します。計画表とは別に自分のコメント、友だちのコメント、スタッフのコメント、保護者のコメントを書くシートがあり、その1週間の振り返りをします。低学年では、「おもしろかった」、「むずかしかった」など、単純な記述が多いのですが、4・5年生になると、学習の喜びや反省すべき点などを書くようになります。そして「勉強は人に言われたからやるのではなく、自分のためにするのだ」という自覚を持つようになります。

 算数は得意だけど、国語は大の苦手だという男の子がいました。その子が6年生になった時には中学校の数学の勉強をやっていましたが、国語の方は4年生の漢字もあやふやでした。あるとき彼は「算数は十分やったので、今度は漢字の勉強をする」と言って、1年生の漢字から書き取りを始めました。瞬く間に4年生までの漢字を終わり、5年生、6年生と進んで行きました。そして、到達度テストで合格点がとれるようになりました。
 この子だけではなく、他の子にも同じような傾向が見られます。『得意な科目を十分伸ばしてやると、自然に不得意科目もやるようになる』というのは、この学校の得た経験則です。ただし、やらない科目には「苦手意識をもたせない」というのが肝要です。

3.自分を表現する

 この学校には、「ハッピータイム」という時間があります。ハッピータイムというのは、毎朝20分間、子どもたちが昨日家であったこと、夢で見たこと、登下校中に見聞きしたことなどを自由に話す時間です。子どもたちが生活の中で起こったデキゴトを通して、自分の気持や考えをみんなの前で話せるようになってほしいと思って設けたものです。低学年の子は、学校の近くの公園で出会った生き物のことや家族でお出かけしたことなどを嬉しそうに話します。高学年の子は、友だちと遊んだことやお買い物したことなどをよく話します。自分の話を共感をもって聞いてくれる人がいてくれるからこそ、子どもたちは進んで話すのです。

自分の気持ちや考えを語る

 自分の気持を素直に話せるためには、周りの人たちが批判や忠告をせず、共感して聞いてくれることが大切です。ミヒャエル・エンデの「モモ」のように、人の話を共感をもって聞いてやると、しゃべった人は癒されます。そして、その人の自己肯定感が高まります。

 フレネ教育の方法の中に「自由テキスト」というのがあります。これは、子どもたちの体験したことを文章化したものです。詩のように短くてもいいし、絵を付けてもいいのです。それをみんなの前で読みます。それに対して聞き手からいろいろ質問や感想が述べられますが、そのやりとりを通して、作者の感情や生活を知ることになります。フレネ学校では、子どもたちが書いたものの中から投票で何点か選び、それをテキストとして綴り方や文法を学びます。この学校では投票はしませんが、自分が気に入った文章を選んでテキストにして、表現の仕方を学びます。例えば、この文章はこう書いた方がもっとよくなるのでは、ここは漢字に直すといい、ここのところはもっと詳しく書いた方がいいとか、みんなで文章を直していきます。スタッフが権威者として文章を直すよりは、子どもたち同士(スタッフも含めて)で直して行く方が、子どもたちは楽しく学べます。

4.わくわく子ども学校から箕面こどもの森学園へ

 開校から4年ほどたつと生徒の数は10人を越えるようになり、低学年と高学年の2クラスに分けて授業をするようになりました。教室に使う部屋が狭いのと、遊べるスペースが少ないので、子ども同士のトラブルが増えてきました。また、公開の行事をするときは生涯学習センターなどの公共施設を借りなければならないので、不自由さを感じていました。

 この学校が発展するには、自前のもっと広いスペースが必要だということで、学校に相応しい不動産物件を探すことになりました。借家や中古の住宅などをたくさん見ましたが、これといったものは見つかりませんでした。07年の秋に知り合いの建設会社の人から、箕面市小野原西の区画整理事業の用地が売りに出ているとの話を聞き、さっそく見に行きました。その土地は630m2(190坪)ほどあり、西隣は児童公園、さらに隣は墓地になっています。従って将来とも西側には建物が建つことがない、この学校(建築基準法上は学習塾とみなされる)が建てられる、電車の駅からのアクセスがよい、自然の豊かな大きな公園が近くにあるなど立地条件がいいことから、ここに校舎を建てることにしました。

 当初は3階建の校舎を構想しましたが、建築法規で2階建まで、面積500m2以下という制限があって2階建にしました。それでも60人くらいの生徒は収容できます。校舎は人にも環境にも優しい建物にしたいということで、構造は木造とし、床材や建具、塗装などには自然素材を多く使いましたが、幸いみなさんからは好評を得ています。

 校舎の屋根面に太陽光発電パネルを68枚取り付けました。最大出力は8.7KWHですが、現在までのところ予想よりも発電量は多くなっています。この発電装置に掛かる費用は、NEDO技術開発機構などの助成金と市民からの寄附金と市民共同発電債で賄いました。関西電力とは売買契約を結んで余剰電力を売っていますが、その収益は市民共同発電債の償還に充てます。

 校舎が完成したのは09年3月初旬。3月末に箕面4丁目の校舎から小野原の新校舎へ引っ越しをしました。今度は有り余るスペースに驚きましたが、すぐに慣れてそれが当たり前になってしまいました。子どもたちは新しい環境に慣れるのがはやく、さっそく校庭に廃材を集めて基地を作り始めました。

 校庭の土が粘土質なので水はけが悪くて、雨が降るとすぐ水たまりができ、歩くとぬかるんでしまいます。後援してくれる企業からガラス瓶のリサイクル品の土壌改良材を大量に寄附してもらい、地盤改良工事を行ないました。お陰で水はけがよくなり、その問題は解消しましたが、植樹などの校内緑化が残された大きな課題です。

 ある人から「こどもの森というけれど、ここには緑がほとんどなくて、まるで砂漠のようね。」と言われてしまいました。確かにその通りなのですが、「こどもの森」は樹木だけでなく、子どもも大人もそこに集う人たちが森を構成する一員だと考えています。いろんな人たちがやってきて交歓し、生を謳歌する『生のための学校』が「こどもの森」なのです。森を利用する人間の知恵と愛によって豊かな里山の森ができたように、『こどもの森』もこれに関わる人たちの知恵と愛によって豊かな森に育ちますように。

学園の子どもたち

5. これからのこと

 多くの人は日本の今の能力主義的で、競争的な格差社会のあり方に疑問と不満をもっていますが、あえてそれを変えようとはしません。むしろそれに順応しようとさえしています。このような非人間的な競争的社会はいずれ破綻するでしょうが、それに代る新しい社会のビジョンが必要です。それを示すのが政治家の役割のはずなのに、今回の総選挙でも誰も示してくれません。あいかわらず目先の問題への対処のことばかりです。

 私たちは、日本の社会がもっと環境への配慮、健康な生活、そして自己表現のできる民主的な市民社会になってほしいと思っています。しかし、個性の尊重や自己表現の自由がないところには真の民主主義は育たないし、そのような社会の形成もおぼつかないだろうと思います。そのためには、先ずなりよりも日常生活の中で自己主張や自己実現ができる環境を整える必要があります。それは家庭や学校、職場でのコミュニケーションのあり方を根本的に変えることになります。それはとても重要なことだと思いますので、私たちも微力ながらもそのことに貢献していきたいと考えています。

 この学園のある箕面市は昔から人権運動や市民活動の盛んな土地柄なので、私たちの活動に興味を持ってくれる人たちも少なからずおられます。今まで学校の建物が狭くて多くの人に来てもらうことができませんでしたが、新しい校地には広くはないけれど校庭があり、人々が集える部屋もいくつかあります。6月のある土曜日、その校庭で、持続可能な生活や健康に関心のある個人や団体の協力を得てロハス・フェスティバルを開きました。暑い日でしたが、それにも拘らず大勢の人が来てくれて、楽しい一日を過ごしました。今後は、こどもの森学園が目指すものに共感してくれる個人や市民活動団体、ロハスな生活を望む人たちとの交流の場として、この学校を活用していきたいと思っています。やがてそれが、普通の人々も巻き込んだ市民による社会変革の大きな流れとなることを願っています。