清水 満のデンマーク報告1(2003年9月)
Ry ホイスコーレ
 9月1日からデンマークに来ています。今年はデンマークは Images of Asia の年とかで、各界で様々なアジアに関する催しが行われています。ホイスコーレやグルントヴィ運動でも企画がなされ、インド、フィリピン、バングラデシュからそれぞれグルントヴィ運動に関する代表者がまねかれ、日本からはグルントヴィ協会が招待されて、9月8日のグルントヴィの誕生パーティを皮切りに、コペンハーゲン、オレロップ、オーデンセなどで講演会などに参加することになっています。

 昨日はまずVartovに到着し、荷物を置いて、夜にはデンマークの黄金時代を体現する Bakkehusを訪ねました。ここには昨年来日し、協会関係者と会ったJacob(ヴァレキレ・ホイスコーレ教員)が住んでおり、招待を受けていたからです。Bakkehusは19世紀半ばのデンマークの文化的黄金時代の中心地の一つで、ここにアンデルセンやグルントヴィやキェルケゴール、エーレンスレヤー、トワヴァルセンなどが集いました。

 今日2日は、Ryホイスコーレを訪ねました。協会関係者にはおなじみのLeneが教員としてつとめています。今年はRyは春からの夏学期、秋からの冬学期とも人数が少なく、100名ほどのキャパシティに25人くらいしか入学していないそうです。昨年は80名くらい来たと聞いてますから、大幅減です。いよいよホイスコーレ冬の時代も厳しさを増してきました。110年ほどの歴史を誇るこのホイスコーレが万一閉鎖されるようなことがあれば、残念なことです。

 ホイスコーレは学生数が少なくなり、財政的に苦しくなるとまず食事にそれが現れます。ここがつねに定員いっぱいだった90年代前半の食事はそれは豪華でしたが、今回は寂しい感じで、ちと哀愁がただよいました。それでも、授業の中身はまだ変わりませんし、積極的に外国からの留学生(今回はポーランド、ルクセンブルク、ルーマニア、中国、オランダなどから来ています)を受け入れていますから、日本のみなさんもぜひどうぞ

ゲームを楽しむ学生たち

 まだ1日から新学期の始まったばかりで、学生もまだ慣れておらず、最初の週は学校や授業の紹介、それに各人がうちとけるようにするゲーム(アイス・ブレイキング)をしていました。学生の表情もまだ硬く、おとなしい感じですが、慣れてくれば夜には学生運営の居酒屋に行き、騒ぐのでしょう。

 今週は、ここRyホイスコーレにはチベットのサッカーナショナルチームが合宿しています。地元のチームと練習試合を行うのだそうです。2001年に初めてデンマークで、彼らはグリーンランドと国際試合をしました。国際的にはチベットは独立国家として認められていないので、FIFA(国際サッカー連盟)は対外試合を認めず、ほかのナショナルチームとの試合ができません。もちろんワールドカップもオリンピックも参加資格をもらえません。

 この苦境に、革新的なホイスコーレ兼専門学校として有名なカオス・パイロットの学生が、彼らの国際試合の実現とその過程を映画にするプロジェクトを行い、2001年にデンマークで実現させたのです。当然、中国政府が中止の圧力を彼らやデンマーク政府、グリーンランド自治政府にかけたので、マスコミでも騒がれ、当時の試合にはたくさんのデンマーク人観衆が駆けつけました。映画「禁じられたサッカーチーム―国家のないナショナルチーム」にはその模様が語られており、なかなか感動的です。対戦相手がグリーンランドだったのは、ここもデンマーク領で国家と認められていないこと、でもナショナルチームをもっており、FIFAの許可が不要なことが主な理由です。

映画のあとで質疑応答

 2日の夜にはその映画が上映され、彼らのプレゼンテーションが行われました。ドイツ留学時代からチベット人にチベット人と間違えられることで定評のある私は、今回も当然、年齢が同じくらいのマネージャーのKalsang さんに笑顔で話しかけられました。ほかにも中国系の留学生がいたにもかかわらず、です。 

 日本には中国政府の圧力に抗して、ダライ・ラマも招かれており、彼らが来て日本の大学、社会人チームと練習試合をするのは不可能な話ではありません。仏教系のボランティア団体などに話をもっていくのもおもしろいかもしれません。