*関東大震災の“朝鮮人犠牲者”*

買い物に行く途中、必ず目にする碑がある。

安盛寺(地図まる4)の境内にあるのだが、すぐ道に面している。

あるとき「なんの慰霊碑だろう」とふと自転車を止めた。

朝鮮人犠牲者って??

裏へまわってこの慰霊碑の立てられたわけを読んだ。

心臓がひきちぎられる思いがした。

(裏面)

大正12年関東大震災に際し朝鮮人が動乱をおこしたとの流言により東京方面から送られてきた数十名の人々がこの地において悲惨な最期を遂げた尓来20有9年そのままに放置されていたのであるがこのたび理解ある日朝両国人有志によって慰霊碑を建設することになった我々は痛恨の中にもこの碑の建立によって過去の誤ちを再びくりかえすことなく今后互いにアジアの同胞として相親しみ深き反省と自重とをもって相たずさえて永遠に平和な東洋の建設に邁進したいこの碑がその道標ともなり金字塔ともならんことを祈ってやまない次第である

天災によって命をおとした人の他に、大地震というパニック状態における『流言飛語』によって殺された人々が実際にいたなんて! しかもこの上里に!

<<事件の流れをおってみるとだいたいこういうことらしい。>>

関東大震災で京浜地区が被害にあう(上里町自体の被害はみあたらない)

そこから埼玉県へ約9万以上の人間が避難民として流出してくる。

その大混乱のなかで『社会主義者が暴動を起こす』とか『朝鮮人が放火をする』とか『朝鮮人が井戸に毒物を投げ入れる』とかいう事実無根のうわさがかなりの真実味をもって広がった。

流言が激しくなったので管内の朝鮮人を警察署に保護する命令がでる。(この警察署に保護というところがさらに流言に真実味を帯びさせることになる)

命令を誤解した住民から「朝鮮人が東京から西北に向かってくる。各自家に帰って井戸を警戒するように」などとどんどん流言は広まっていく。

この土地の人々はますます過敏になる。事態を重く見た埼玉県知事が『噂は事実無根である』と通知したがまったく利き目は無い。

このままでは過敏になった住民から保護するのは困難であるとの判断から、さらに中山道をくだり群馬へいこうという途中、(ちょうど神流川のあたり)ついに興奮した群集は、朝鮮人を載せたトラックをむりやりとめ襲い、中に乗っていた朝鮮人を引きずり出し全員殺害する。この上里町で計42人の朝鮮人が犠牲になった。

こののちこの事件で19人が検挙された。殺害されてしまった朝鮮人はすべてこの碑のある安盛寺に埋葬された。今でも毎年慰霊祭が執行されている。

関東大震災というパニックのなかで、根強い民族差別にねざした事件が発生したのであった。


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