紅葉坂・くらやみ坂・願成寺坂

紅葉坂

横浜の桜木町から内陸に向かって丘陵地がある。桜木町から桜の名所の掃部山公園(かもんやまこうえん)に登る坂は紅葉坂とよばれる。掃部山公園からは横浜みなとみらい21を見下ろす高台からはランドマークタワーがみえる。

明治初期、新橋駅-横浜駅(現・桜木町駅)間の鉄道開通に携わったエドモンド・モレルなど外国人鉄道技師の官舎が建てられ、開通後も鉄道用地として利用し ていたことから、鉄道山と呼ばれた。1884年(明治17年)に旧彦根藩士が買い取って井伊家の所有となり、1909年(明治42年)横浜開港50年記念 に井伊直弼の銅像が建立された。除幕式には、井伊を開国の恩人とした銅像の建立趣意書に反発し、山縣有朋、伊藤博文、松方正義、井上馨は欠席した。以後、 直弼の官位である掃部頭(かもんのかみ)から、掃部山と呼ぶようになった。

グリーンウッド夫人は2014/4/8ここで友人と花見をする。

くらやみ坂・願成寺坂


掃部山公園から内陸に入った横浜市西区の野毛山近くにくらやみ坂がある。西中の脇の坂道である。 そもそもこの西中のグランドには江戸時代末期、神奈川奉行所の処刑場が設けられ、明治22年まで監獄が所在した。処刑場跡と思われる場所には祠があり、被 処刑者の魂を祀ってある。

近くには願成寺があり、そこへ行く坂道は願成寺坂 という。そして願成寺にはこの地で処刑されたと言われる、清水清次・間宮一の墓がある。1864年、二人は鎌倉見物中のイギリス人士官2人が殺害された鎌倉事件の加害者とされた人物であるが実は清水は濡れ衣だった。

鳶の小亀の墓 というのもある。1866年、港崎遊郭でフランス人水兵を殺害した加害者とされたが、これも娘を強姦しようとしたフランス人を殺した事件で遊郭の英雄とし て死んだ。なげこみ寺とも呼ばれた。

くらやみ坂からの入り江の景観が素晴らしくて源頼朝も馬(鞍)を止め て眺めたと言われている。

源頼朝が富士の巻狩をした夜、曽我兄弟が父の仇(かたき)の工藤祐経を討ち取った際、五郎丸 が曽我兄弟を祐経の館に導き本望を遂げさせた」と言われる御所五郎丸(ごしょごろうまる)の墓と伝えられる五輪塔がある。

不動坂

JR根岸駅から白滝不動尊に登る坂。更に登ると根岸台に至る。JR山手駅から横浜国大付属横浜小学校に登るさかを付属坂という。

February 21, 2014

Rev. April 9, 2014


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