上州

袈裟丸山

wakwak山歩会は これまでに上州の山を5回訪れたが2008年5月26-27日に前袈裟丸山(1,878m)に登った。袈裟丸山は日光連山から皇海山を通り南に伸びる山稜群(足尾山塊)の南端に位置する奥深い山である。つつじの群落が満開となる5月-6月には登山者で非常に賑わうとのことであった。登山口が林道の奥深い所なので、車利用とした。ついでに麓の足尾銅山跡の観光もした。袈裟丸山は空海が赤城山の後、ここに来て、袈裟をまるめて捨て去った故事にちなんで命名されたという。

前回は私が腰痛で榛名山をパスしたが、今回はあいにくコンチャンが急病で参加できず3人のパーティーとなった。

第一日、5月26日(月)朝8時、いつものようにJR橋本駅東口集合。マーサンの車で八王子IC⇒圏央道⇒関越道⇒北関道⇒伊勢崎ICと走った。関越道で カーキ色一色の自衛隊のバイク隊を追い越す。車体は軽量、武器は携行していないが、銃把を収める支持具は装備している。

自衛隊のバイク隊

大間々経由40km通常道を走って(旧)東村着。 草木ダムがつくる草木湖脇の富弘美術館脇を通過する。この美術館は大間々在住の今は亡き友人K.の案内で訪問したことがある。星野富弘画伯は頸椎を損傷して手足の自由を失ったが、口に筆をくわえて文や絵を書き始めた人だ。

通洞抗

通洞駅近くの足尾銅山観光で炭鉱跡等を観光した。 1610年備前国出身の農民治部(じふ)と内蔵(くら)が銅の露頭を発見し、日光座禅院に報告、座主は二人の功績を記念し黒岩山とよばれていた山を備前楯山(1,272m)と改めた。「楯」とは鉱脈の露頭を言う。 それから1973年まで400年間、銅鉱山があったところだ。坑道の全長1,234kmという。江戸時代に掘りつくしたかにみえたが、可能性を信じた古河市兵衛 が払い下げを受け、渋沢榮一の支援の下に巨大な鉱脈を発見し、古河財閥の基礎を築いた拠点となったところだ。 現在の富士電機、富士通、富士重工、旧第一勧銀(みずほ)、日本ゼオン、ADEKAなど旧古河グループはここから発展したのだ。

足尾精錬の廃墟

足尾銅山は一方、足尾鉱毒事件や公害を引き起こし、下流域の住民を苦しめることとなった。栃木県佐野市出身の政治家、田中正造が立ち上がり、その問題に対し懸命に取り組んだことは有名。川俣事件公判の傍聴中、あくびをしたところ、態度が悪いとして官吏侮辱罪に問われ、裁判にかけられたこともある。当時は官吏侮辱罪というものがあったのだ。昔日の感がある。渡 良瀬遊水地を作るために谷中村は強制廃村ときまる。田中は抵抗して谷中村に住み続けた。1907年、政府は土地収用法の適用を発表。「村に残れば犯罪者となり逮捕される」と圧力をかけ、多くの村民が村外に出たが、田中は強制破壊当日まで谷中村に住み続けて抵抗した。結局この土地が正造の終の棲家となる。1908年、政府は谷中村全域を河川地域に指定。1911年旧谷中村村民はサロマ湖の南岸、北海道常呂郡サロマベツ原野(現佐呂間町栃木地区)へ移住させられた。 山間の僻地だ。谷中村の名前は渡良瀬遊水地のなかの谷中湖のその名残をのこしている。

公害で禿山になった足尾の山々は植林の効果もあがり緑がもどっていた。足尾精錬の放棄された工場建物は立ち枯れてそのまま残っている。

沢入(そうり)まで引き返し、明日の登山口である折場登山口まで車で登り、駐車場の様子を視察。 林道の上空に100万ボルトの送電線が走っている。東電福島の原発と武尊山西側にある藤原湖と田原湿原にある田原湖をつかう田原揚水発電所を結ぶ幹線ではないかと推察する。

神戸(ごうど)駅近くの民宿「沢屋」に宿泊。山菜料理を堪能。(Hotel Serial No.416)

第二日目、 5月27日(火)

折場登山口では強い北風が吹いていて寒い。雨合羽まで着込む。つつじ平手前の笹原では飛ばされる位の強風に遭遇。 尾根にでるとミツバツツジが咲き誇っている。つつじ平と名がついている。そのなかにアカヤシオのあでやかな姿がちらほら。もう盛りはすぎたという。賽の河原は何かガスがにじみ出ているのか植生はない。

前袈裟丸山

関東平野の向こう側に富士山が小さくかすんで見える。小丸山に向かう途中カラマツ林の林床が自然芝に覆われている不思議な場所を通過する。近くにはシロヤシロがちらほら。 小丸山から袈裟丸山、皇海山に至る稜線は群馬県と栃木県との境界になっている。

カラマツ林

小丸山に登り東方を望めば手前左から皇海山(すかいざん2,144m)、鋸山、庚申山(1,892m)、備前楯山、遠方に日光白根山(2,578m)と男体山(2,486m)が見える。

丸山から東方を望む 左から皇海山、鋸山、 遠く日光白根山、庚申山、 アカヤシオ、男体山、備前楯山

前袈裟丸山山頂からは北に至仏山(2,228m)、すぐ右手には平ヶ岳(2,139m)が見える。

前袈裟丸山山頂から至仏山を望む 右端は平ヶ岳

至仏山の少し左手に武尊山(ほたか2,158m)が見える。武尊山のさらに左手には谷川岳が少し遠く見えた。更に西に目を転ずるとはるか彼方に苗場山、志賀の山々、四阿山、浅間山見渡せる。

前袈裟丸山山頂から武尊山を望む

赤城山(1,828m)の全貌をめでながら下山。高くはないが大きな山だ。

赤城山

水沼駅温泉センターで汗を流した。水沼駅のホームに接して作ったユニークな沸かし湯だ。帰路伊勢崎IC付近で振り返ると天城山と前袈裟丸山が二つ並んで全貌を見せていた。

コースタイム:4:30起床、5:30民宿発 ⇒6:15折場登山口発→8:40小丸山着(1,676m)→10:00前袈裟丸山着昼食→10:50下山開始→11:45避難小着→13:45折場登山口→水沼駅温泉センター

標高差800m

June 31, 2008

Rev. July 24, 2009


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