能登半島・若狭湾周遊ドライブ

第2日

八尾町、砺波チューリップ公園、倶利伽羅峠

2006年4月24日(月曜日)安房トンネル は簡単に通過。平湯、新平湯温泉で右折して新穂高温泉に向かう。倉見というところで眼前に白銀のアルプスを新穂高ロープウェイの向こうに視認する。槍ヶ岳 と穂高岳の中間にある中岳(3,084m)のようだ。その左手には大喰岳と槍ヶ岳がみえるはずであるが雲の中だ。行き止まりまでたどりつけば眼前に笠ヶ岳 (2,897m)等が見える。

新穂高温泉 倉見より新穂高ロープウェイと中岳を望む 晴れていれば中岳の左側に大喰岳と槍ヶ岳が見えるはず

新平湯温泉にとってかえし高原川沿いに神岡町に向かう。鉛、亜鉛、銀を2001年まで採掘していた三井金属鉱業株式会社 の神岡鉱業所が あるところだ。神通川のカドミウム汚染を引き起こしたのでも有名。採掘は中止してもまだスチームを生産しているのか配管が鉱業所から町の方向に伸びてい る。神岡鉄道がここまで来ている。神岡鉱業所より10km下流の池ノ山(1,369m)の地中深くにある廃坑に有名な宇宙素粒子研究施設、スー パー・カミオカンデがある。

神岡鉱業所

高原川は宮川と合流して神通川となる。この神通川にそって下り、やがて富山平野にでる。ここから八尾(やつお)に向かう。高橋治の小説「風の盆恋歌」を読んでから気になっていた町だ。八尾は問名 寺(もんみょうじ)の門前町として発展したという坂の町だ。もともとは洪水に悩まされていた神通川の支流沿 いにあった町を丘の上に移転して栄えた。「おわら風の盆唄」は養蚕の糸繰り歌から派生したともいわれている。五七五調の歌詞に必ず入る「おわら」とは笑う からきている。この唄を三味線、胡弓の伴奏で歌い、それに合わせて9月1日から3日間踊りあかす。

坂を登り問名寺を過ぎて東町のふらっと館の駐車 場にパークし、小説の主人公が別荘を持った諏訪町方向に散策するがそれらしき場所はみつからず、雪流し口などもみつからなかった。やはり9月のお盆祭りに 来ないとその雰囲気は味わえないのか。上新町を散策して車に帰る。

八尾の石垣坂道から問名寺方向

予定ではこれから庄川流域にでて遡り五箇山村を訪問する予定だったが、時間がないのでこれをパスし、砺波(となみ)チューリップ公園に向かう。途中359号線が呉羽丘陵を越える山中のレストランで昼食。砺波市は呉西にあり チューリップの産地という。ちょうどチューリップ祭りが開催中というので立ち寄った。観光客が車で殺到するためかなり迂回させられてようやく臨時駐車場に 入る。残念ながらチューリップはまだ蕾で早咲きのチューリップしか見れなかった。

砺波チューリップ公園

余った時間を倶利伽羅峠の八重桜見物に割こうと小矢部市を横断した。この町はかって一級建築士の市長が全ての公共建築物 を外国の有名建築物のコピーにしたため、今でもその奇妙なメルヘンチックな建物が のどかな田園地帯に残っている町だ。 今日は黄砂が多いためか空はどんよりとかすんでいる。

小矢部市のメルヘンチックな大谷中学校

倶利伽羅峠の桜は期待はずれであった。だが倶利伽羅峠から南西に向かう尾根伝いの道はひなびてよかった。

倶利伽羅不動寺の桜

小矢部ICから北陸自動車道で呉羽丘陵を越えて立山ICまでもどり、富山県"ウェルハートピアつるぎ"に日暮れ時に到着 。(Hotel Serial No.341) 小雨が降りだす。立山、剱岳が見える田んぼのなかのホテルだ。残念ながら立山、剱岳は雲の中。夕食は予約が必要ということなので上町駅前のレストランでモ ツ煮ウドンを食す。

富山を旅して農家の一つ一つが豊かに生活していると感じる。自然と共生して生きる智恵が綿々と継承されているのだ。東京など大都市は伝統と切り離されいま だ模索中なのだろう。

司馬遼太郎の街道をゆくシリーズ4「郡上・白川街道 堺・紀州街道ほ か」によれば呉羽丘陵の西は呉西とよばれ関西文化圏に属し、東側は呉東とよばれ関 東文化圏に属するというが、まさにそんな感じがするのは不思議である。

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April 29, 2006

Rev. September  19, 2017


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