メキシコ

1980年3月メキシコの首都メキシコシティーを訪問。LNGの技術交流団としての訪問である。キシコシティーは2,000メートルの高地にあることは気がつかない。よく下痢などするが、細菌感染と誤解されているが、実は酸欠のためだそうだ。メキシコシティーそものはかってのテスココ湖の上に建設されている。町の中心には1521年、スペイン人によって滅ぼされた。アステカの大神殿が発掘され修復されている。この遺跡の上に立てられたメキシコ最古の教会が、アステカを征服したヨーロッパ文明の象徴として印象深い。

メキシコシティー郊外のテエオテウカンのピラミッドを見学した。紀元前2000年に栄えたマヤ文明の遺跡である。アステカはこの文明の最後の系譜である。 ピラミッドはより高く神にちかいところでいけにえの儀式をおこなうために建造された台だという。いけにえは生きたまま石のナイフで心臓をえぐられ、いまだ動き続ける心臓をピラミッド上のチャックモールという人を形とった台の上に置いたという。

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テエオテウカンのピラミッド

この文明をささえた生産技術はチナンパ農法という。湖や区画された農地を囲む水路の底をさらったヘドロを肥料とする生産性の高い農業に依存していた。

メキシコに引き続き、南米アルゼンチンに飛ぶことになる。

1980/3/21


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