ハイデルベルグ・ルードヴィヒスハーフェン

技術部門トップを補佐しはじめた1988年、 ライン河の河港、ルードヴィヒスハーフェン(ルードヴィヒ王の港の意)にあるドイツの代表的な化学会社BASF社 (バディッシ・アニリン・ソーダ・ウント・ファブリック)を訪問した。 ポロプロピレンのライセンサーへの表敬訪問目的であった。ここはBASF社の名の発祥の地である。BASF社がルードヴィヒスハーフェン市にあるのではなく、BASF社の中に ルードヴィヒスハーフェン市があると言っても過言ではない。正門で登録後、再度市電に乗って構内を目的のビルまで行くのである。目の前にアニリン製造に使われた赤レンガの歴史的倉庫群が展開するのをみて、学生時代に勉強した化学工業史がそのまま目の前にあり、今だ使われているのをみて深い感動に浸った。

そもそもBASF社はアンモニア合成をはじめて工業化した会社で第一次大戦後のドイツ化学工業の躍進の原動力の一つにもなり、第二次大戦後の米国の化学工業勃興の先生ともなった。現在地球環境の限界が危惧されるようになっても60億人の人口を支えているのはこの空中窒素固定法の発明が寄与すること大である。

会議が済んで、迎賓館に車で移動し、夕食をということになった。玄関に立ったとき前の庭園をみて気がつかないかと質問された。なにやら黒色に塗られた大砲の砲身のごときものが庭園の中央のロータリの中央にオベリスクのように垂直に立っている。「あれはなにか」と聞くと、「良くぞ聞いてくれた。あれこそアンモニア合成反応の第一号反応塔 である」「それにしても大砲の用に見えるが」「したり、そのとおり大砲の砲身を転用したのだから」という。なるほど教科書で学ぶより、百聞は一見にしかず。日本に独自の化学工業技術がなかなか育たないのも、このような環境に身をおいたこともない閉鎖的な学会に閉じこもった教育者のうわっつらな教育をうけているからにほかならないと実感した。本に書かれていないことが本質的で大切なのだ。

とはいいつつも、BASFの工場で稼動中の尿素合成技術は東洋高圧法であった。なぜ東洋高圧法を採用したのか問うと、現時点で最高のパーフォーマンスを出すからだ。面子にはこだわらない。ベストなものを採用しなければ生き残れないという返事であった。ご本家で日本で改良されたプロセスを発見するの は万感せまるものがあった。 このプラントは東洋高圧でも採用していない亜鉛メッキの鋼材を鉄架構に採用していた。初期投資は大きいがメンテナンス費が減り、長い目で経済的なのでということ。ドイツらしい考え方だと思った。

アンモニア合成の原料はロシアからパイプラインで送られてくる天然ガスだとのこと。丁度中央制御室を訪問したとき、アミントリーターでフォーミング発生し、運転員に緊張感がただよった。帝国石油の試運転指揮を執った時、経験したアレである。このような時はアンチフォーム・エージェントを注入するしか方法はない。案の定、アンチフォーム投入の指令が発せられていた。ロシア人が防錆剤を少し多く投入しすぎたのだろうと案内のエンジニアはウィンクしていた。井戸やパイプラインが自分の管轄下にあれば防錆剤のタイプ、注入方法と発泡現象との因果関係を究明しやすいのだが、国境を越えると難しいのだろう。

ルードヴィヒスハーフェン市はライン河の上流岸にあるが、この支流沿いにアルトハイデルベルグがあるというので出かけた。半壊した古城を持つ美しい町である。

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橋の向こうの山腹に廃墟となった古城が見える

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廃墟となった古城より河を見下ろす

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古城より見た町並み

Rev. November 9, 2007


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