ボンベイとバローダ

1994年、技術部門トップを補佐していた頃、エンジニアリング企業の国際競争が激しくなり、国内の設計部隊の価格競争力が失われてしまった。フィリピンやインドに設計パートナーを確保することになった。デンマーク人がインドに設立した機器メーカーと合弁の設計会社をグジャラト州のバローダ(Vadodara)に設立することになった。ボンベイ(Mumbai)の北方400kmにある町である。設立総会と記念式典に出席するため、ボンベイ経由でバローダに入った。

そもそもインド入国は初めてである。東洋の真珠と言われるホテルとオフィスビルが並ぶマリン・ドライブは美しいが、路上生活者の多さは聞いたとおりである。こぎれいな白いドレスを着た5歳位の少女があどけなく交通ラッシの街角に立ちつくし、白髪の品の良い老人が路上でゴロ寝をしている。

ボンベイのマリン・ドライブ

ボンベイからバローダへは通常は列車で行くのであるが、提携先の自家用小型機で飛んだ。たまたまバローダ上空に霧がかかって自動操縦のまま上空を何度も旋回したが、パイロットリスクで薄い霧の層を短期間で抜けるため急降下着陸をした。

グジャラト州は禁酒州である。ホテルで酒をいただくには事前に許可証を取得しなければならない。町を見物しようとホテルの玄関を出ればたちまち物乞いの子供達に取り囲まれる ため、軟禁状態であった。したがって写真は残っていない。

ビジネス開発のためにボンベイを再訪したが、帰りのインド国営航空のフライトが顧客不足でキャンセルされ、代替フライトもなく、東大で行う予定の講演をキャンセルするはめになった。

2001/1/13


2008/11/26ここでイスラム過激派が日本人1名を含む100名を越える死者がでたテロ攻撃をしかけた。植民地時代ビクトリア駅とよばれ世界遺産にもなっている1888年建造のベネチアゴチック様式のチャトラパティ・シヴァージー駅、超高級ホテルのオベロイホテルとタジマハールホテル 、トライデントホテルなど7ヶ所が攻撃目標となった。

1994年に滞在したホテルはボンベイのマリン・ドライブに面したトライデントホテルであった。ここで日本人ビジネスマンが犠牲になった。感無量である。

Rev. November 29, 2008


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