志賀高原スキー場

過去3年間、もっぱら4Sクラブに属してスキーを楽しんできたが、60才でスキーを覚え、年間最低15日はスキーをするという目標をたてている川上から志賀高原の蓮池にある朝日寮(Hotel Serial No.449)が抽選で当たったので一緒に滑らないかと声がかかった。

駆け出しのころは職場仲間と志賀高原のジャイアントコースを滑り降りた記憶があるが、もう40年前のことだ。迷うことなく参加することにした。

第一日目(2008/12/25)

長野駅東口9:10発の奥志賀行き長電バスで蓮池に向かう。朝日寮は蓮池バス停の側にあった。前前日から来ている川上が朝日寮前で待っていてくれた。荷物を置き、蓮池バス停に戻り蓮池ホテルでスキーと靴を借りる。

川上の案内で丸池スキー場、蓮池スキー場、サンバレースキー場を逐次訪れる。サンバレースキー場が一番長く、斜度もあり、上級コースもある。丸池にもどり、遅い昼食を摂っていると、1人奥志賀方面に出かけていた吉井氏が帰ってきた。

昼食後は三人一緒にサンバレースキー場に向かう。数回往復しているうちにガスがかかってきた。川上はこれを嫌って引き上げる。残る2人は16:15の最終 リフトまでサンバレースキー場の上級コースをノンストップで何回か下った。筋肉が引きつりはじめると中級コースにかえて休むということの繰り返しだった。

2泊した吉井氏は東京に帰る。吉井氏は川上とは大学の同期。農水省のキャリヤーだった人で川上によれば天下りを最近まで繰り返していたらしい。防衛省の守屋事務次官のスキャンダル は吉井氏にとってはこころ休まる事件だったらしい。スキーは上手い。

夜は川上が特派員時代にカラチに駐在していたとき、1973年7月17日の早朝アフガニスタンでクーデタが起きたことを知りカイバル峠にでかけたときの思い出話を聞く。

カイバル峠を越えることはかなわなかったけれど、ペシャワルから記事を送る苦労話が興味深かった。当時テレックスというものがあった。これで東京に送信す るのだが、無論日本語は使えない。ローマ字に書き直して打電するのだ。それにペシャワルでもテレックスを導入しているところは少ない。そこに出かけて打電 を依頼するのだが、ローマ字のテレックスマシンはない。ローマ字をウルドウ語のアルファベットに書き直してもらって打電した。後日記事になった紙面をみた ところほぼ間違いなかったので感銘を受けたという。

私も海外の顧客や海外の拠点との連絡はATT社が運営したテレックスを使ったものだ。テレックスは不特定の相手方との古典的デジタル通信方式である。殆ど 英語を使ったが、商社はローマ字を使った。秘密の内容の場合は、固有名詞を置換する方法を使ったものである。固有名詞の対応表が別途送られてくるので頭の なかで置き換えながら解読したものだ。このテレックスも今では一部機密を擁する軍事指揮通信を除き、ファックスや電子メールの普及に伴いだれも使わなく なってサービス提供は今世紀に入って中断された。

第二日目(2008/12/26)

翌朝は吹雪である。外気温は5度以下で風が強い。新雪は腰の深さでゲレンデはまだ踏み固めてない。

蓮池の朝日寮前で

本日はやめようということに衆議一決、12:00のバスで帰った。

December 27, 2008

Rev. March 14, 2010


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