パースとダンピア

1998年5月、グリーンウッド氏はオーストラリアはパースで開催されたLNG12という液化天然ガスの国際会議にパネリストとして出席した。

パースは英国風の植生と入り江が大変美しいところである。セントジョージ・ストリートのダクストンホテル(Hotel Serial No. 94)から近くのリバーサイドドライブまで散策し週末を楽しんだ。

パースのリバーサイドドライブ

バラックストリートのストリートミュージシャン

中央ピア からリバーサイドドライブの水辺

隣接する港町フリーマントルは百数十年前ビクトリア女王からもらったアメリカスカップがはじめてニューヨークからでることになった20数年前の出来事を思い出すところである。アメリカスカップを奪ったご当人は今獄中にあるとか。

会議後、オーストラリア西北部のダンピア近くのLNGプラントも見学できた。水深100メーターのオフショアガスを液化し、日本に輸出する基地である。 国際石油会社のS社が采配を振るい、日本のJ社と米国のK社に建設させたものだ。

ダンピアには巨大な塩田があり、奥地から送られる鉄鉱石と石炭と塩の輸出基地でもある。すべて日本と中国に輸出されているという。石炭を満載した長大な貨物列車が荒涼とした岩山の間をゆっくりと海岸に向かう様は迫力がある。

オーストラリア人は海が好きで暇な時は海にでる。ボートを牽引して海岸にきて気軽に海にでる。

ダンピア港に向かう石炭列車

釣りを楽しむ若者

ダンピア空港で帰りの飛行機を待っているとき、インドネシアで民衆の蜂起があり、長期独裁政権を維持していたスハルトが政権から降りる事態になった。かってインドネシアの国営企業、プルタミナのアルンLNGプラントの工場長だったウコン氏がしみじみと、これも時の流れ、やむをえないことだとうとかみしめるようにつぶやいたのが忘れられない。

ダンピアを取り巻く丘は暗褐色の岩に覆われている。石が空気にふれて表面が化学変化して着色される岩漆(rock varnish)というもののようだ。 グーグルマップの航空写真を下に表示する。プラントの北側にフローラインに溜まるコンデンセート分離のための長大なスラグキャッチャーが見える。

シェル社はカタールのNGLプラントのLPGタンク漏洩・火災事故以降 、マレーシアのビンツルやオーストラリアのノース・ウェスト・シェルフ・プロジェクトのダンピアでは、LNGタンクは9%ニッケル鋼製内殻ーコンクリート外殻の外側に更に土盛りするという3重の対策をしている。

ダンピアの増設では従来使ってきた米国製の液化器をドイツ製の液化器に替えたところ液分散不良で液化能力は70%しか出なかったという。

 
大きな地図で見る

1998年5月2-12日

Rev. January 12, 2009


トップページへ