12年ぶりのロスアンゼルス

1998年3月、ウィチタのあと、ARCOから呼ばれてディメチル・エーテルプラント(DME)の可能性につき説明のため、ヒューストン経由、ロスアンゼルスに久しぶりに立ち寄った。 ウェスチン・ボナベンチャー・ホテル・アンド・スーツ(Hotel Serial No. 88) は12 年前 の1986年にLNG8が開催されたホテル。もう古くなって、トイレの水栓のメッキがはげている。しかし、この建築物のユニークさはかわらない。下の写真 のように5本の円筒状のタワーが並立し、これを連結する部分に屋外を走るエレベーターが12台ある。扇状の客室から、エレベーターが見える。ハーフミラー の窓のため昼間は覗かれる心配はないが、夜は要注意。日本人観光客が多い。1994年のアーノルド・シュワルツネッガー主演映画 「トゥルーライズ」 の舞台になった。行き交うエレベータにバイクや馬を乗りいれてのシューティングやキーウェストでのハリヤーやテロリストが原爆を爆発させるところが見せ場。

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ウェスチン・ボナベンチャー・ホテル・アンド・スーツ

ウェスチン・ボナベンチャー・ホテル・アンド・スーツの左隣はARCOタワー(上の写真の黒い2本のビルの手前がそれ。トップにARCOマークがあ る。向こうはバンカメである)で、フラワー・ストリートを挟んで正面はパブリックライブラリーである。(左のビルの陰で見えない)アールデコ調の建築物の ため、(下の写真)10年前に火災になったとき取り壊す話もでた。ARCOが寄付して復興した。その後に外見は同じアールデコ調であるが、内部は地上4 階、地下4階の広大な近代的図書館が追加され、地下部分は公道部分まではみ出した大きなもので、膨大な図書と、コンピュータを一般市民に公開している。

日本のようにガリ勉の学生ではなく、あらゆる階層の人が、調べものをしたり、ただ雑誌をみたり、無料のウエブ・サーフィンを楽しんでいるさまは、米国の奥 の深さを感じさせる。第一、税金の使い方がうまい。地下におりるエスカレーター部分は地上4階、地下4階の合計8階の吹き抜けとなており、天井はガラス張 りである。屈折せず地下4階分を真っ直ぐに地下に降りて行く設計はアクアラインの海ほたるの長大なエスカレーターを連想させた。

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パブリックライブラリー

1998年3月31日は第13回ロス・マラソン大会のため、交通規制されており、 ウェスチン・ボナベンチャー・ホテルにリムジンが近づけないため、マラソンコースを横断して歩いていった。パブリックライブラリー前がゴールとなってお り、ARCOタワーとバンカメのツインタワー間の広場が、本部のテント。ウェスチン・ボナベンチャー・ホテル前が帰還選手の休憩所となっていた。優勝者は ケニヤのZebedayo Bayo。タンザニアのJonathan Ndambukiは最後の数歩を抜かれ惜しくも2位であった。

DMEプロジェクト説明のため訪れたARCOタワー42階から北方を望むと山並みがすばらしく、眼下には、野茂のドジャース・スタジアム、左にはハリウッドが遠望される。パブリックライブラリー前の上の写真左の木陰にある屋外レストラン 、カフェ・ピノ(Restaurant Serial No.123) での昼食は折りからの快適な気候のためもあって、ただすばらしい。

1998年3月29日

Rev. September 23, 2015


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