鎌倉プロバスクラブ卓話

谷戸の風を終わって

鎌倉同人会会長・鎌倉文学館館長 山内静夫

2007/12/11

鎌倉プリンスホテル

今日は話をしにきたというより、私が最近出したばかりの「八十年の散歩」という本の宣伝に来たようなところがありまして誠に恐縮です。今日の講演のタイトルが「谷戸の風」であるというのはここに来て初めて知りました。多分私が鎌倉ケーブルテレビの社長をしていたときにケーブルテレビの月刊誌チャンネルガイドに読みもの風の味付けをしようと「谷戸の風」という随筆を毎月14年間書きました。それを開局10年目に本にまとめて出版したからだと思います。

40年居た親会社の松竹から送り込まれてケーブルテレビをはじめた時には事業計画では年間4,000世帯の契約があるだろうと見込んでいたのに700-800世帯しか契約してくれなくて、投下資本の償却もできない大赤字なものですから、わが人生でもっとも辛い時期でした。外部に原稿依頼もできず、社長として無償の原稿を書かざるをえなかったのです。

松竹では小津安二郎のプロデューサーをさせてもらい大変恵まれておりました。それも父親が小津安二郎氏と懇意だった小説家の里見クだったため、小津安二郎に可愛がられたということもあったわけで幸運でした。

私は82才ですが、若いときは仕事で付き合っている様々なチャンネルから情報がはいりました。しかし歳をとると交友範囲が狭まり、情報源は新聞だけとなります。そうしますと隅から隅まで読むクセがつきます。次第に紙面にでる記事に腹がたつようになり、書くものにも小言が多くなると自分でも感じて困ったことだと思っています。

松竹の思い出を書き下ろして2冊目を出しておりますが、今回、出版した3冊目は「谷戸の風」という随筆集に父親の里見クと母について書き下ろしたものと、鎌倉文士について書いた文集も加えたものです。表面 づらだけで深く書いたものではありませんが、初めて個人的なことを書きました。私は「まあまあ」というタイトルを考えていたのですが、出版社がそれでは売れないといって「八十年の散歩」という名をつけてくれました。

松竹時代は映画制作の後はTV番組制作を担当しました。この二つは似ている様で全く違う世界です。映画はハイリスク・ハイリターン。スピルバーグのような一人の才能を育てて当たれば映画産業が全て栄えるという世界です。TVは堅実に予算に治めて、利潤は僅少という世界です。自分は映画の世界の人間だといまでも思っています。

現在の鎌倉ケーブルテレビの契約数は35,000世帯で40%に達していますので地域のメディアとして自前の番組を作れるだけの財政基盤になりましたが、松竹が手放し、JCNという会社の傘下に入りましたので経営方針がかわり、効率的経営ということで自主番組の制作はしないということになっております。

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December 29, 2007

Rev. June 3, 2009


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