鎌倉プロバスクラブ卓話

鎌倉市の平和都市宣言50周年記念について

内海恒雄

2008/3/11

鎌倉プリンスホテル

まずコマーシャルですが4月19日は鎌倉生涯学習センターで工藤父母道の講演会をします。4月から湘南アカデミアで「鎌倉時代を動かした人々」という講座をはじめます。第1期4回シリーズは源頼朝の人間像です。興味のあるかたは申し込みください。

鎌倉市役所の正門前に昭和33年8月10日の「平和宣言」の記念碑があります。円覚寺の朝比奈宗源師らが中心となって世界連邦平和都市宣言運動を始め、昭和33年の3月末市議会議長に「平和都市宣言に関する請願書」が提出されました。鎌倉市議会が永久に平和都市であることを宣言するように請願するというものでした。当時の著名な人士が署名しております。そして議会は全会一致で請願を採択しました。その後、各県、市町村で行われた同様の宣言のトップを行くものでした。

なぜこのようなことになったかというとウォーナー博士が契機でした。博士のおかげで鎌倉は第二次大戦でも無傷で残ったのです。文化的な古都を保存するという精神が市民になければ、鎌倉が世界遺産に登録されることもありません。そういう意味でこの「平和宣言」は大切な歴史となっています。よく革新勢力がこの「平和宣言」の担い手と誤解されている向きもあるので誤解を解かねばなりません。

ウォーナー博士顕彰の碑

鎌倉同人会が中心となってウォーナー博士顕彰の碑が鎌倉駅西口の旧時計台下に建っています。ここに「文化は戦争に優先する」(Culture Takes Precedence Over War)という言葉が書かれています。博士は戦争中、鎌倉・京都・奈良を爆撃の目標から外すように米政府内に働きかけてくれた人です。 博士は円覚寺の舎利殿と長谷の大仏をその理由に挙げています。京都の金閣寺・銀閣寺はこの舎利殿を祖型にしているそうです。ウォーナー博士が亡くなった昭和30年の6月に朝比奈宗源師は円覚寺で追悼の法要をしました。吉田茂、松永安左衛門、横山大観、小林秀雄、前田青頓などが列席しております。この3年後に平和宣言が採択されたのです。大内兵衛氏揮毫の木製の碑は朽ちそうなので、50周年記念として碑を新しくする予算をつけていただきました。

日本が日清戦争に向かってまっしぐらのときに円覚寺構内を横断して、また若宮大路を横断して横須賀線が敷設されました。世界遺産登録のためには、膨大な資金が必要ですが、いずれ地下化しなければと思っています。

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March 18, 2008

Rev. June 3, 2009


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