鎌倉プロバスクラブ卓話

オウム真理教の総括

大崎康博弁護士

2007/11/13

鎌倉プリンスホテル

オウム事件は7年間に11件の刑事事件を引き起こし、刑事事件にはなりませんが、サリンプラント事件と武器製造事件という殺人予備罪という案件もあり、合計13件ありました。その被告が40名近くに達したのです。その中の主犯麻原彰晃の国選弁護人を引き受ける弁護士はおりませんでした。ではなぜ私が引き受けたかと申しますと、私は当時弁護士会の世話役をしておりまして他の弁護士に国選弁護人を引き受けてもらうためにも自分も担当せざるを得なかったという経緯があります。

麻原彰晃は平成2年の総選挙で落選したのは政府の操作によるものであるという恨みを持ち、日本をつぶして国王となるという妄想を持ちました。大量殺戮の手段としてサリンプラントを作り、松本サリン事件、地下鉄サリン事件で有効性をテストしたのです。調書でははばかって告発しておりませんが、天皇や創価学会の池田会長を殺害するという計画もあったようです。

ソ連のカラシニコフ銃AK47のコピーを作ろうとし、ラジコンヘリを購入し、ヘリコプタの購入計画もありました。田口事件、落田事件、富田事件、水野事件、永岡事件と仮谷事件は組織内で邪魔になる人間を抹殺しようというものでした。濱口事件は組織内の抵抗勢力と誤認されたことによるとばっちり殺人。坂本弁護士事件、滝本弁護士事件は組織外で邪魔になる人間を抹殺するというものです。いずれも非常に残酷な殺しかたをしております。かわいそうじゃないかという感情はでてこないようです。

事件にはなりませんが、平成2年の総選挙用に集めた資金を持ち逃げした男を追いかけてとりもどすところなど、よくここまで智慧をはたらかし、想像を絶するようなことを何の躊躇もなく、平気ですることができるなと思うことばかりです。原子爆弾を造ろうとも考えてオーストラリアにまでウラン資源探しに出かけています。

ではなぜこのような事件がおきたのか?麻原彰晃のような男になぜ大勢の高学歴で知識が豊富でまじめな人々が従ったのか?その原因はなにか?そしてこのようなことが再発しないような手段があるのか?あるいはこれは異常な事件で、今後発生しないのだろうか?という疑問がでてきます。

麻原彰晃に信者として帰依したが、犯罪には加担しなかった井上嘉鞍の「戦後の日本は物質主義に走り、精神のよりどころを失った。このようなことのない社会であればオウム事件は防げたと思う」という法廷での証言に或いはヒントがあるかもしれません。麻原彰晃は大学にも出入りし、実践と独学で宗教をかなり勉強し、宗教哲学者も太刀打ちできないくらいだったというところにも秘密があるように思います。こういう教祖が「解脱した人は正義のためにポアすることは許される」という教義を造るわけです。信者としてはグルに不信感を持つことは修行が不足と考えるわけです。こうして組織が暴発する仕組みができたようです。

以上考察すると第二の麻原がでれば再発するだろうということです。

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December 9, 2007

Rev. June 3, 2009


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