鎌倉プロバスクラブ卓話

干支の牛に因む諺

内海恒雄

2009/1/13

鎌倉プリンスホテル

時間がないものではしょろうかと思ったのですが、これを楽しみにしているという方も居られますので、やってみます。もともとは漢文の資料を私なりに現代語訳にしたものでどこにもでていないお話しです。

牛売って馬買う;劣った方を捨てて、優れた方につくこと。「牛を馬に乗り換える」ともいう。反対に「馬を牛に乗り換える」というのもある。

牛がかんざしを挿すと売れてゆく;かんざしは角のこと。角が生えれば売れるようになるという意味。

牛が丸くなって寝ていると天気が悪くなる;低気圧が近づき、天気が悪くなるときは牛は憂鬱となり、寝ることが多くなるため。「牛がたいへん鳴けば暴風雨あり]ともいう。

牛と芥子は願いから鼻を通す;牛が鼻輪を通されるのはそうしなければ従わないからで、人間が芥子で鼻を刺激されて困るのも、自ら望んで口にしたためである。このように自ら望んで苦しみを受けること。

牛に汗し棟に充つ;牛に汗をかかせ、積み上げると棟に届くという意味で、蔵書の多いことをいう。「汗牛充棟」ともいう。

牛に経文;価値の分からない者に価値のある物を与えても無駄なこと。「牛に説法」「牛に対して琴を弾く」「牛に念仏、馬に経文」「馬の耳に念仏」「馬に銭」「犬の論語」「猫に小判」など多い。

牛に引かれて善光寺参り;自身の発意ではなく、偶然のきっかけや他人からの誘いで、たまたま良い方に導かれること。もとは中国伝来の説話であるが、善光寺にこの話が転用された。

牛の一散;ふだんは動作ののろい牛が、何かのはずみで一散に走り出すこと。

牛に乗って牛を尋ぬる;求める物が身近にあるのに気付かないで、遠くにそれを求めて空しい努力をすることのたとえ。

牛の尻(おいど);「もーの尻」で「物知り」即ち博学な人にかけたしゃれ。

牛の角を蜂が刺す;牛の角を蜂が刺しても痛くも、痒くもないように、物事に対しなにも感じないこと。「牛の角を蚊がせせる」ともいう。

牛はいななき、馬は吼え;物事がさかさまで、思い通りにいかないこと。「石がながれて木の葉が沈む」ともいう。

牛は牛連れ;似た者同士が自然と集まること。「牛は牛連れ、馬は馬連れ」ともいう。中国では「鯉は鯉を呼び、すっぽんはすっぽんを呼ぶ」、朝鮮では「同じ翼の鳥は一緒に集まる」など、世界に多い。

牛は坊主の生まれ変わり;牛は肉食しない。

牛は水を飲んで乳とし、蛇は水を飲んで毒とする;同じものでも使い方によって、毒にも薬にもなる。

牛は陣を結びて、以って虎を却く;牛は少数では弱いが、多数いると尻を円陣の内側にいれ、角を立てて共同防衛できる。

牛を摶つ虻(あぶ)は、以って虱を破るべからず;摶つは刺し殺すの意。牛を刺し殺すほどの威力をもつアブでも牛の毛の中にいるシラミを殺すことはできない。逆に「牛の虻を摶つも、以って虱を破るべからず」という言葉もある。

牛を桃林の野に放つ;桃林は周も都「豊」の東方の地名。周の武王は殷を滅ぼすと、豊に帰り、今まで使っていた軍馬を崋山の南側に帰し、車につないでいた牛を桃林の平地に放し、広く天下に再び戦争をしないことを示した。「馬を崋山の陽(南)に帰す」ともいう。

牛を帯びを犢(こうし)を佩(とうとぶ);犢は子牛のこと。漢の渤海の太守は、刀剣を帯びて得意顔している者に、刀剣を売り払い、牛や子牛を買い、農耕に励むほうが得策であると勧めた。

鎌倉プロバスクラブへ

February 7, 2009

Rev. June 3, 2009


トップページへ