サウザンド・ナイツ号クルーとして

2005年

2005年3月16日(水)、南の風、2m/sec。高気圧に覆われ晴れ。湘南港用の船台も完成して、宮川フィッシャリーナから湘南港への回航を行う。乗組員はオーナー、ワカダンナと私の3人。伊東社長が宮川フィッシャリーナまで送ってくれる。伊東社長が海底にナマコを発見。フックを3本テープで連結し、カギに引っ掛けて4匹の大きなナマコを捕獲。バケツに入れて「すし政」に送り届ける。出発前にオーナー夫人手造りの昼食をいただく。ジブセールはビスに引っかかって上がらないのでメーンだけ用意して12:00出発。油を流したようなベタなぎの中を機帆走で江ノ島に向けて一直線。約3時間後には江ノ島着。即クレーンで新品の船台に上架。昨年9月から半年だが、フジツボなど全く付着しておらず、極少量の海草が付いている程度で宮川フィッシャリーナの海水がきれいだということが分かる。ハルを水洗したのちビールで乾杯。

2005年3月19日(土)、南の風、8m/sec。高気圧に覆われ晴れ。江ノ島に引っ越した記念にご婦人方にお披露目のセーリングをした。10:30頃ゆっくりと車ででかけ、江ノ島小田急セーリングクラブに駐車。固定ロープを解きそのままクレーンで水面に降ろす。殆ど無風でおだやかだ。

クレーンで水面に降ろす

ジブセールはビスに引っかかったまま上がらない故障の修理はまだ手をつけていない。機走で沖に向かう。やはり七里が浜前のセーリングは気持ちが良い。

七里が浜をバックに佐島沖に向かう

佐島沖で展開中のMaupti号が参戦中のレースを観戦しようと1時間半走る。次第に向かい風が強くなる。セールがないためスピードが出ず断念。ビジターズバースでオーナー自らギャレーの前に立ち 、昼食準備に自慢の腕を披露してくれる。皆ご満悦。クレーンで定位置にもどし、ハルを水洗し、ロープで固縛し、本日のセーリングは終了。

小田急セーリングクラブでコーヒーをいただきながら、E氏のご子息の武勇伝などの懐かしい思い出話に、ヨット・インストラクター兼クラブマネジャーとご子息の仲間の読売新聞記者も加わって時の経つのを忘れる。

夕刻、”すし政”で夕食会。ここではじめてマウプティ号の共同オーナーでゴルフ解説者のIに紹介される。今日は一時無風でレースにならなかったそうである。I氏はこれからオーガスタに出かけるのだそうである。マープティ号の大勢のクルーは”すし政”の裏の専用室でパーティーとか。

2005年8月10日(水)、南東の風、3m/sec、曇り。本日の乗り組みは6名だ。オーナーとグリーンウッド氏に加え、私立高校の校長先生、その教え子の 夏季休暇をとって来日中のパリ大学学生のフランス人、豊島区の民主党の区議、ジャーナリストの面々である。

S号はレイジージャックも装備し、一段と使いやすくなった。

沖に出るとオーナーが恒例の疑似餌を投げ込む。いつもは成果ゼロであるが、魚群に突っ込んだのか、突然釣れだし、アジ2匹、サバ2匹、シーラ1匹が瞬く間につれた。グリーンウッド氏はシーラは釣れた直後はきれいな色をしているが、すぐ灰色になると本では知っていたが現物を見るのは初体験である。まだ色があるうちに撮影した。背びれ が長いのが印象的だ。

シイラとサバ

丘に上がってすぐ、アジはサシミ、サバは塩焼きにしてビールの肴とした。美味。シーラは生食は危険としてオーナーが持ち帰る。

フランス革命で特権を失った貴族の末裔だという パリ大学学生に「ソアソンの花瓶」について学校で教わったか聞くと、歴史の授業で習ったという。最近教えないそうだがなぜかと聞くと、教える時間がなくなってしまったためという回答があった。

2005年8月20日(日)、南の風、曇り、雨のち晴れ。プロバスクラブの高田さんと小川さんも加わって、4名で江ノ島沖をセーリングした。かなりの強風とスコールのため、午前中はメーンだけでセーリング。戻ってビジターズバースで昼食を摂ったあと雨も上がり、風も穏やかになったので鎌倉往復をして上がる。日が落ちるまで、ワインで談笑する。

前の夜は夜半の2:00まで論文修正に夢中になっていたため程よい疲れが残りちょうど良い保養になった。


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