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サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道

El Camino de Santiago

90/1/4 作成 2020/5/30改訂

9世紀にキリストの十二使徒の中の大ヤコブのものとされる墓が近くで発見されて以来、サン ティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de compostela)はエルサレム、ローマとともにカトリック教会の重要な巡礼地となっている。

サンチアゴ(フランスではサン・ジャック、英国ではセント・ジエイムス)はスペイン語で聖ヤコブを意味する。コンポステーラとは「campuss stellae 星降る野原」の意味とされてきたが、「墓廟(コンポシトゥーム compositum)」を意味するラテン語に由来する説が正しいようだ。

十字軍が挫折してからエルサレム巡礼に代わって盛んになり、12世紀にピークを迎える。またレコンキスタ運動のエネルギーともなった。巡礼道をスペインではEl Camino de Santiago、フランスではle chemin de Saint Jacques。英国ではThe Way of Saint JamesまたはPilgrimage Road to Saint Jamesという

紀伊山地の霊場と参詣道(熊野古道)と並びユネスコの世界遺産に登録された。

巡礼者はホタテ貝の殻をぶら下げて歩く。

 

ピレネー越えの四つの巡礼道

巡礼路はイベリア半島には北岸沿いの「北の道」、海路の「イギリスの道」、ポルトから北上する「ポルトガルの道」、セビリアからサラマンカを経るローマ時代からの街道「銀の道」など沢山あるが、ここではフランスから行く代表的なルートを紹介する。 近代の鉄道を使う場合にはピレネーをさけて大西洋のサンセバスチャンからブルゴスでメインに合流に入るルートがあるが正規なものではない。

サンチアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道

@トゥールの道

パリのサンジャック通り⇒オルレアン(Orleans)⇒トゥール(Tours)⇒ポワティエ(Poitiers)⇒サント(Saites)⇒ボルドー(Bordeaux)⇒オスタバ(Ostabat)

この巡礼道にでてくるトゥールとポワティエは733年の「トゥール・ポアチエの戦い」の戦場となったヨーロッパにとって記念すべきところだ。

紀元前430年のペルシャとギリシアのサラミスの海戦でギリシアが勝ち、ギリシアは海洋国家となり、地中海はローマの湖となった。だがローマが滅び、地中海がイスラムの湖水になってからヨーロッパはそこから締め出された。ようやく「 トゥール・ポアチエの戦い」でイスラムの侵攻を止めることができたのである。こうしてイベリア半島でのレコンキスタ運動が成功するまでイスラム圏はピレネー以南ということになっていた。皮肉なことにギリシアの文明遺産はここイベリア半島でヨーロッパに引継がれるのである。

イベリア半島からイスラム勢力が駆逐され、1571年のレパントの海戦を機にヨーロッパはようやく地中海の制海権をイスラムよりとりもどし、海洋志向に目ざめるのである。

またこのルートは白洲次郎が学友のストラッフォード伯爵と2人で1924年式W.O.ベントレー3リッター・スピードモデルを駆ってヨーロッパ一周したときのコースでもある。

Aリモージュの道(ヴェズレーの道、サン・レオナールの道)

ヴェズレー(Vezelay)⇒ブールージュ(Bourges)経由または ソーヴィニー=レ=ボア(Sauvigny-les-Bois)経由の2ルート⇒サン=レオナール=ド=ノブラ(St-Leonard-de-Noblat)で再合流⇒リモージュ(Limoges)⇒ペリグー(Perigueux)⇒オスタバ 

 ヴェズレーのサント・マドレーヌバジリカ聖堂

丘の上にある出発点ヴェズレー

ソーヴィニー=レ=ボアはヌヴェール(Nevers)の東方数キロの寒村。

サン=レオナール=ド=ノブラは中央山脈のクルーズ県にある人口5000人の小さな村。リモージュの東数キロ。町には聖レオナール参事会教会(Collegiale St-Leonard)がある。

Bル・ピュイの道

ル・ピュイ=アン=ヴレ(Le Puy-en-Velay)⇒コンク(Conques)⇒モワサック(Moissac)→オスタバ

ル・ピュイ=アン=ヴレはもっとも自然が残る風光明媚なオーベルニュ地方にある。 2007年の映画「サン・ジャックへの道」 はこのルートを舞台にした。映画ではサンチアゴ・デ・コンポステーラからは更に大西洋岸のフィニステレ(Finisterre)まで足を延ばしている。総工程1,500km。

@、A、Bルートはオスタバで合流⇒サン=ジャック=ピエ=ド=ポー(Saint-jean-pied-de-portサンジャックの門)⇒イパニエタ峠 (Ibaneta1,057m)⇒ロンスボー(Roncevaux)のロンセスバリェス修道院(Roncesvalles)⇒ブルゲーデ村 (Burguete)⇒パンプローナ(Pamplona) ⇒プエンテ・ラ・レイナ(Puente la Reina王妃の橋)

オスタバは実際には今はド田舎として忘れられたオスタバ近くのステール・ド・ジブラルタールStele de Gibraltarで合流。

サン=ジャック=ピエ=ド=ポーより東にゆくとルルドの泉がある。

パンプローナはヘミングウェイの「日はまた昇る」に描かれたサン・フェルミン祭のエンシエロ(牛追い)が催されるところで有名。

2020/5/30 NHK BSプレミアムでフランス人オーナーシェフが心臓病で倒れ、店は売り、奧さんは家に置いて、この巡礼道に出かけた記録が良かった。道に一緒になった3人組の一人は夫に財産を持ち逃げされた、女性とその老両親など。

Cトゥールーズの道(サン・ジルの道)

アルル(Arles)⇒サン・ジル(Saint-Guilhem)⇒モンペリエ(Montpellierサン・ロック教会)⇒トゥールーズ (Toulouse)⇒オロロン=サント=マリー(Oloron-Ste-Marie)⇒ソンポルト峠(Somport)⇒ハカ(Jaca)⇒サンタクル ス・デ・ラ・セロス (Santa Cruz de la Seros)⇒サングエサ(Sanguesa)⇒プエンテ・ラ・レイナで@ABCルートが全て合流。

ソンポルト峠には現在大きなトンネルができている。標高1640mで目的地まで858km。

サンタクルス・デ・ラ・セロスには10世紀のロマネスク建築、サンファン・デ・ラ・ペーニァ修道院がある。

フランス内のルートに関してはWikipadiaの記事にお世話になった。上の地図は概念を示すだけで正確ではない。正確な地図はウィキペディア・コモンズの地図を拡大参照願います。


ミディ=ピレネの道

ミディ=ピレネ地方ロット県にある巡礼路。経路はフィジャック(Figeac)⇒カルダイアック⇒ラカペル・カイダル⇒サン・シーニュ⇒バイヨ⇒グ ラマ⇒アルズー渓谷の石灰岩の断崖に建つ中世の巡礼地 ロカマドゥール(Rocamadour)への6日間。フランスで最も多くの観光客が集まるモン・サン・ミシェルに次ぐ数のビジターが訪れる。ここの岸壁に 埋め込まれたノートルダム寺院には黒い聖母がある。


プエンテ・ラ・レイナ以後の巡礼路

プエンテ・ラ・レイナ⇒
エウテナ(サンタマリア教会)⇒
エステーリャ(星の意味、サン・ミゲル教会、17km南方にクラビボ古戦場)⇒
ログロニョ(Logono)⇒
サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ(カテドラル、アンジュレーションのある麦畑のなかを歩く未舗装の道)⇒
ブルゴス(Burgosサンタマリア門、フェリペ2世をして「人が造ったものではない、天使の技だ」と言わしめたトレド、レオンと並ぶ3大ゴシック建築のカテドラル、王立救護院)。サンセバスチャン経由の道はここブルゴスで合流する。⇒
カストロヘリス⇒
ビジル・カサル⇒
サアグン⇒
ローマ軍団駐屯地に始まり、レコンキスタ運動の中心となったレオン王国の元首都レオン(Leon初期ゴシック建築のカテドラル、フレスコ画のある王家の霊廟のサンイシドロ教会)⇒

中間地点 レオンのカテドラル

アストルガ(Astorgaガウディの司教館)⇒
サンタ・カタリナ村⇒
ラバナル・デル・カミノ村⇒
フォンセバドン村(海抜1440m、住民数人の廃村)⇒
モリナセカ村(ロマネスクの橋)→
ポンフェラーダ町(Ponfettada 聖堂騎士団の城の廃墟)⇒
ビリャフランカ・デル・ビエルソ町⇒
エル・アセボ村⇒
セルベイロ峠(海抜1300m、円形の低い石壁に朶葺き(そだぶき)の屋根をのせたケルト風の家屋がある)⇒
サモス修道院⇒
サリア村⇒
ポルトマリン村⇒
パラス・ド・レイ村⇒
モンテ・ド・ゴッソ(Monte do Gozo サンチアゴのカテドラルを遠望できるよろこびの丘)⇒

 

サンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラル

このカテドラルには聖ヤコブの遺骸があると信じられている。ガリシア産の花崗岩製の3つのバロック様式の塔を持つ。前に広場を持つ壮大な寺院。内部 にはロマネスク様式のマテオ作「栄光の門」が残っている。7月25日のミサにはゴタク・メイロという振り子の香が振舞われる。巡礼者のにおいを消すために 始められたといわれている。

目的地 サンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラル

 

周辺事情

サンティアゴ・デ・コンポステーラから南下してポルトガルに入るとポルトの街につく、葡萄酒の産地でポートワインの名はこの町に由来する。

更に南下するとアベイロにつく。水の町である。

更に南下して再度スペインに入るとアンダルシア自治州ウエルバ県、セビリア県に跨るドニャーナの自然公園にはいる。砂漠と森林と湿地帯よりなるサンクチュアリーである。

http://www.humnet.ucla.edu/santiago/iagohome.html

 


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