シリアル番号 | 日付 |
1545 |
2014/3/8 |
名言 | この国では 時々提督を銃殺したほうが後進が育ちやすくなる Dans ce pays-ci, il est bon de tuer de temps en temps un amiral pour encourager les autres |
言った人、出典 | ヴォルテールの小説「カンディード」では、ポーツマスでカンディードは海軍提督ビングの銃殺を目撃し、上のようにいった。 スペイン継承戦争中の1708年にイギリスはミノルカ島を占領し、その後半世紀の間領有し続けた。しかしミノルカはトゥーロン艦隊の脅威に晒されており、 フランスは1756年に七年戦争が始まるとミノルカ島に侵攻した。これを受けてイギリス政府はビング提督にマオン港のセント・フィリップ砦救援を命じる。 しかし砦は失陥する。ビングは本国に送還され、戦時服務規程違反として軍法会議にかけられる。この時代の提督で処刑されたのはビングが最後である。 2007年にビングの子孫がイギリス政府に名誉回復を求めたが、国防省は拒否した。親族とベッドフォードシャー・サウスヒルにある支援者団体はこれからも赦免を求め続けると表明している。 ビングの処刑は「イギリス史上最悪の合法殺人」とも称されている。しかし一方では海軍士官の引き締めに役立ったと評価されることもある。処刑によって諸外 国海軍に比べて際立って攻撃的な姿勢が生まれ、質的な優位へとつながったのである。敗戦の危険を冒さなければ、確実に処罰されると知った指揮官たちの奮戦 は大英帝国の形成と防衛に貢献した。「法律の殺人」は海軍士官には単なる勇気と忠誠以上のものが期待されていると荒っぽいやり方で示したのである。 しかし、政策としての成功は犠牲者の家族にとって何の意味もなかった。サウスヒルのオール・セインツ教会のビング家の納骨堂にある墓碑銘には「政府の公正 性に不滅の傷をのこし、青色艦隊大将ジョン・ビング卿、政治迫害の殉教者として1757年5月14 日、勇気と忠誠だけでは海軍士官の生命と名誉が保障されない時代に永眠」と刻まれており、親族と大部分の国民の見方をよく表している。 ビングの墓碑銘
To the perpetual Disgrace of PUBLICK JUSTICE The Honble. JOHN BYNG Esqr Admiral of the Blue Fell a MARTYR to POLITICAL PERSECUTION March 14th in the year 1757 when BRAVERY and LOYALTY were Insufficient Securities For the Life and Honour of a NAVAL OFFICER |
引用した人、他 | ニーアル・ファーガソン「劣化国家」
の第2章金融規制の脆弱さ、どうやって銀行家に活を入れるかでバジョットが指摘した規則をただ遵守するより、個人が分別を持って行動することが望ましい道だとした。そしてヴォルテールは「イギリス人は他の者たちに活を入れるために、時おり提督を銃殺する」という
名言をのこしたと書いている。おなじことが原発規制にも言える。規制委員会をつくっても完全に監督はできない。なぜなら「規制当局の捕囚」
のようなことが生じるから。原発の再稼働をした電力の経営者は事故を起こしたら福島のようには免責にはならないだろう。当然の裁きをうけなければならな
い。提督が銃殺されば正義は失われるばかりでなく、事故はしばしばおこるだろう。福島ではだれも銃殺されなかった、だから先行きは怪しい。 |