言語録

シリアル番号 日付

1452

 2011/12/1


名言 正論:筋道の通った、正しい議論または主張(多くは、実際には採用されたり行われたりすることがない)
言った人、出典 三省堂「新明解国語辞典」第7版
引用した人、他 新聞広告

新明解国語辞典から「好人物」1450、「凡 人」1451、「 正論」と3 つ程紹介したが、このほかにも「公約」、「政界」、「善処」、 「官僚 的」、「ジャーナリスティック」、「サラリーマン」、「実社会」、「世の 中」、 「入れ揚げる」、「のろける」、「恋愛」など察し がつく解釈が紹介されている。

作家の夏石鈴子氏は「新明解国語辞典」の「読書」、「恋愛」、「性交」の解釈は有名なのでぜひ引いてみてくださいと書いている。このほかに も引いてみたい 語に「先生」「想定 外」、「無主物」「専門家」、「冷温停止」、「収束」、「村」、「世間」、「文化」、「文明」、「閑散役」が ある。

高価な辞書なのでグリーンウッド氏は購入する余裕はないが、この7版を購入した梅雪さんから

先生
 (もと、相手より先に勉学した人の意)
 「指導者として自分が教えを受ける人」
 (狭義では教育家・医師を指し、広義では芸術家や芸道の師匠なども含む)
 運用
(1)「先生と言われるほどのばかでなし」という成句があるように、必ずしも先生と呼ばれるのにふさわしくない人に対して、その 自尊心をくすぐるために、また軽い侮蔑・からかいの気持を込めて用いられることがある。例「先生、先生とおだてたら至極ご満悦の体(テイ)であった。
(2)教師が生徒に対して一人称の代名詞として用いることもある。例「先生のあとについて来てください」
となっていると教えていただいた。図書館で6版をみると変わっていない。どちらの版もしかし「なぜ政治家に先生とつけるのか」という説明は欠けている。

そこでグリーンウッド版を書いてみた。

先生:教師、学者、医者、政治家など知的権威者ないし、政治権力者など一応敬意を払わないと不利益を被る相手につける尊称(ただし最近その 質の低下に伴い、蔑称を込 めて使う場合が ある) となる。

ここで辞書を書く楽しみに目覚め、いくつか書いてみた。

想定 外
:想定はしたが金がかかるので対策はとりたくない。たとえ裁判になっても体制翼賛型の裁判制度に守られて責任はとらないですむだろうと想定し て、想定外と言い逃れること。しかし図書館でみた第6版では「想定:仮にこういう状況になるだろうと決めたこと」とあるだけで想定外はなかった。そもそも 自然 現象はこうなると想定すること自体が自然を冒とくする行為なのだ。

無主物:元来持ち主がない物の意味だが、有害物を排出しておきながら、その排出責任をとるつもりのないときに所有権を放棄する語。これは二 酸化炭素排出責任にも転用できるのではないか?COP17で使える。図書館でみた第6版 では「所有者が居ない物」としかない。

専門家:政治家・官僚などの素人であることを誇りにするエリートがなにか希望的な思惑で始めたことがうまくゆかず、都合が悪いことが起きた 時に、専門家がいっていたのをそのまま信じたためと 責任転嫁できる便利な存在。歴史学者の加藤陽子東大教授 が 日米開戦史のアナロジーで原発の安全神話を作ったのは専門家と言い募ったために新たに付加された意味。ちなみに日米開戦の遠因は19世紀の米国が亜細亜・ 中国市場 に触手を伸ばそうとしたことから始まり、それに対抗しようとした明治政府の決断が遠因である。1905年には日本が朝鮮をとり、米国がフィリピンをとるこ とを相互に承認する密約、桂・タフト協定が結ばれるところまでは双方円満であったが、その後の激突は歴史的必然であった。日米開戦は直接的には明治政府が 作った軍という暴力組織を制御できず、暴走したものだ。この歴史の流れを無視し、開戦責任を軍になすりつけても、真の理解にはほど遠いし、再発防止にはな ら ない。原発の安全神話は安全には素人の政治家と文官が迷惑施設の建設に抵抗する住民をだますために苦し紛れに書いた必須のシナリオであった。いわゆる公的ウソである。これに似非専 門家が協力した結果、暴走したもの である。日米戦の大きな枠組みを無視して軍だけに責任転嫁してもそれは歴史とはいえない。ましてや安全神話作成における御用専門家の責任をあげつらっても 何も解決しない。歴史家としては 不勉強。いわゆる専門バカ丸出し。本来の意味での安全専門家の意見は権力を持つ素人衆にとって不都合なため、無視されて来たのだ。歴史家はこの歴史を書か なければならない。まー東大の御用歴史家にはむりなことだろう。でなければ、教授にはなれず、助教どまりだからだ。 権力 を持つ素人衆に迎合した似非専門家は本来の意味 の専門家ではなく、権力へのお追従者または便乗組であり、 素人衆が彼らと便利な道具として専門家と奉ったのである。真の意味の専門家は原子力村には居なかった。図書館でみた第6版ではありきたりなことし か書いてなかっ た。

冷温停止:もとは原子炉に制御棒を挿入して核分裂反応を停止したのち、核分裂物質の崩壊熱を除去して圧力容器の底部温度が100°C以 下になって安定することをいう。しかし燃料集合体がメルトダウンし、圧力容器の底がぬけて大部分の核燃料が格納容器底に落ち、そこに温度計がないため、温 度不明にもかかわらず、圧力容器底の温度計が100°C以下になることだと言い張って国民の疑心暗鬼を掻き立て、風評被害を助長することをいうようになっ た。

収束:もとはおさまりがつくこと。福島原発事故以降は現状維持の政治的用語。

村:
語源は多数の人間が群がり住んでいるところ。運命共同体という類似点から原子力村、会社村、役員村、気象村などが派生した。

世間:仏教から派生した語で有情(うじょう、サンスクリットでサッターバ、衆生のことで玄奘は有情と訳した。山河大地などの 非情(ひじょう)に対して、一切の生きとし生けるもののすべてを含めていわれる)生活する境界の意。今昔物語に 有情の受楽を厭ひて出家し給う なりの例がある。現代では社会または世の中の意味となった。しかし世間という語にはその共同体の空気または束縛を強く意識する気を含む。すなわち西洋的な 市民的自由に欠ける社会。実際に政治的な抑制がなくとも、内面的で無意識的自己規制のある東アジア型社会。自らが統治者になるという交換性を考えない被統 治者的クローズな社会。ほとんど村といってもよい狭い社会。オールド・リベラリストが住みにくい社会である。

文化:古くは文徳で民を教化することという意味があったが、いまではすたれ、カルチャーの訳語として使われるのが主流。微生物の培地もカル チャーと呼ばれる。村には文化があるが文明はない。

文明:古くは文教が進んで人知の明らかなこととされたが、現在ではシビライゼーションの訳語として理解される。さらにさかのぼればラテン語 の都市が語源。

閑散役:監査役の蔑称、通常、役員村では何の権力もないのでこう呼ばれるが、まれに閑散役が不正を見逃すどころか主導して自発的繁忙役に転 ずることもある。

Rev. December 19, 2011


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