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1535
幕末・維新に現れたもう一人の天皇 - 輪王寺宮公現法親王の「東部皇帝」
2018/11/09
かって天皇家の血筋であると自負する毛利家が万一の政変のために使えるのではと長州の田布施にかくまっていた後醍醐の子孫大室寅之祐を水戸史観に染まった 吉田松陰が見つけ出し、伊藤博文に預け、博文は政変のドサクサですり替えて明治天皇にしたという正史に書かれていない話を鎌倉プロバスクラブのメンバーで 元日本興業銀行の行員で第7代宮内大臣中村雄次郎(1920年)を曽祖父にもつ吉野忠彦氏から教わり、「
フルベッキ群像写真
」に詳しく書いた。この写真には、ないとされる西郷の姿も中央後列にみえる。
これは「
公的ウソ集
」に収録した。
そして今日、この話しの続きとして「幕末・維新に現れたもう一人の天皇」として徳川家の安全保障として皇室からとった輪王寺(上野寛永寺)宮公現法親王に 使者になってもらった。しかし宮公現法親王は逆に囚われて白川まで連れていいかれて奥羽越列藩の「東北朝廷」の玉として東部皇帝としてかつが れて即位したのだそうだ。ニューヨ−ク・タイムズにも「2人のミカドが誕生」という記事の写真もある。のちプロイセンに学び、日清戦争で日本に割譲された 台湾征討近衛師団長として出征してマラリアで薨去。
西軍が勝ってこの東の皇帝のことは消し去られたようだ。しかし、その北白川宮能久親王の子孫は天皇家の結婚相手として常にリストされる家系となった。孫の道久王は東芝定年後、伊勢神宮の大宮司に就任、退任後日本会議、神社本庁統理を渡り歩いて政治を歪めている。
と言うものであった。
慶喜には天皇家の血がながれていたから政権を朝廷に返したのは自然。ただ慶喜はスリ替え天皇の秘密を知っていなかったため、明治まで生きられた。知っ ていた西郷や大久保、伊藤らは結局、暗殺されている。和の宮は幼少の明治天皇を知っていたから、暗殺された。
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