メモ

シリアル番号 表題 日付

1333

吉本隆明
2012/03/16

戦後を代表する詩人・評論家。その死去の記事に戦後最大の思想家と紹介された。東工大電気化学卒というのも興味を引いた。私は氏の評論にふれていないどこ ろかその存在も知らなかった。娘の蔵書に「歳時記」があったのでぱらぱらと拾い読みしたが、心を打つものはない。

思想家としてどうなのか調べると吉本が主張した「自立の思想」 ―何より国家からの自立を意味する、したがって国家論 である「共同幻想論」は、「パン」の問題を隠蔽して、あたかも革命的・進歩的であるかのように振舞ういわゆる「知識人」はいかがわしいとされた。その代表 的なものに、1963年『丸山真男論』(一橋新聞部刊)がある。そこにおいては、いわゆる「知識人」のいかがわしさを端的に代表しているのが、丸山眞男に 象徴される大学教員に他ならない、とされ、丸山真男からの「ルサンチマン」との応答を含む激しい論戦が展開されたとある。

丸山はその思想に感服していたので、どこが論争になったか興味を持った。そこで過去の記録を見直すと、丸山眞男の思想を整理してアンドリュー・E・バー シェイの「近代日本の社会科学 丸山眞 男と宇野弘蔵の射程」で丸 山は「天皇制はどの点で咎があるのか。近代主義の観点からすれば、それは日本の民衆を「植物的」にしたのであり、知的に不活発であらゆる生活領域で長老的 権威に依存するものにしたのであった。かれらは臣民であったが「主体性」を欠いていたのである、この主体性なくしては民主主義的な市民権 (citizenship)は考えられなかった。このように主体性を説くためには啓蒙された層が必要であり、この層が民衆に対して、その歴史的な惰性から 彼らを解放する一見普遍的な思想と理想の総体を翻案していく必要があった」と書いているという。名言集1216

この前半はそのとおりだと思うが後半の「このように主体性を説くためには啓蒙された層が必要であり、この層が民衆に対して、その歴史的な惰性から彼らを解 放する一見普遍的な思想と理想の総体を翻案していく必要があった」これははいまや完全に破たんしたと感ずる。ジョン・ラスキンの優れた知的 エリートが大衆を 正しい方向に誘導してやる必要がある」の流の思い上がった思想だ。そういう点で丸山はアロガントで間違っていたと思う。多分吉本氏はここをついたのではな いか??日本の産業の衰退・政治・教育の劣化、そしてその結果としての原発事故をみればトップダウンはボトムアップに劣るということが証明されたといって いいだろう。

そういえばと読書録を探すと全学連シンパ長谷川宏の「丸山眞男をどう読むか」に「よしもとばななの父、吉本隆明の影響があり、少し距離を置いた評論で参考になっ た」と書いているところを見ると失念していたらしい。直前に読んだ苅部直の「丸山眞男 リベラリストの肖像」は 丸山礼さんだったので毒消しにはなったようだ。


氏の造語:

共同幻想
自己幻想
対幻想
指示表出
自己表出
大衆の原像
自立の思想
関係の絶対性
重層的な非決定

経済では商品の交換が行われ、価値が増殖する。石見銀山の銀は中国の金と交換されることによって価値が増殖して安土桃山文化が栄えた。日本の産業が衰退し たのは他国にな いものを作るという能力に資源を配分しなかったマネジメントミスで、他国で生産できるものと同じものと作っていては交換して価値を高めようもない。企業の 指導層(経団連)が為替、高コストエネルギーを原因にするのは電力が想定外というのと同じ無意味な弁解。

農業は貨幣の存在しないところで自然循環で生産が行われるために農業地帯はおしなべて貧困である。しかし人間は農業が生む食料なしに生きてゆけない。 交換経済では農業は衰退する。吉本隆明が贈与経済が解決策であるとするところはまだ理解できない。

吉本隆明の見解はおおかた説得力がある。しかし原発事故後、反原発は人間の進歩性、学問の進歩の否定」と批判し、どんなに危なくて退廃的であろうと否定す ること ができな いといっていたようだ。東工大電気化学卒というのに原子力の本質を理解できなかったようだ。なにも原子力をなくしても人間の進歩性、学問の進歩は可能とい うかむしろ原子力カルトの抵抗がのぞかれて促進される。日本では氏がもっとも嫌った権力が電力の地域独占をまもるために原子力カルト集団を形成し、あらゆ る洗脳技術を駆使して原子力なくして人類の未来はないと市民に信じさせようとしてきた。その成果が吉本隆明というわけだろう。ミイラ取りがミイラになって しまった。ここ らへんが明晰さが衰えた氏の限界、またはボケ症状のためか?(2012/3に89才で亡くなった)NHK追悼番組をみたが頭の中は完全な文系だとわかっ た。言葉遊びをしているだけ。芸術はそれでいい。しかし自分の言葉遊びが他人に迷惑をかけるという倫理観が欠如した人間だ。

似たような人間に有馬朗人元東大理学部物理学科教授、東大学長、理研理事、参議院議員、文部大臣、科技庁長官がいる。エネルギー・原子力政策懇談会(民間 エネル ギー臨調)会長として再稼動を叫んでいる。こちらはまだぼけてはいない。ただ軽薄にその場の空気にのるだけだ。他人に迷惑をかけるという倫理観が欠如した 人間としては吉本隆明と同じ。

東大の教養学部を作った南原先生、矢内原先生ら文系の系譜(哲学と法律)はかなり問題で、言語の表層で完結する議論ですましてしまうことだ。理系でも、実 験系、技術系は、こまかい現場の問題が実務の中で見えている。実務経験がない大学ではそれがない。教育にも反映されないと木下氏はいう。これは実務経験の ある人間を大学に受け入れることで解決できるのだが、指定席だと思っている連中は既得権を失うので抵抗するだろう。

姜尚中も若き頃は吉本隆明に魅せられたが、現在では丸山眞男の思想は大衆とのずるずるべったりの結託に根源的な懐疑の目を向け「精神の貴族主義」を貫いた 丸山に魅力を感ずるという。吉本は科学によって科学の限界を越えられるとうそぶいた吉本にかっての教祖の面影はないという。

Rev. March 27, 2012


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