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1256

そばだんご

2009/11/18

天目山栖雲寺(てんもくざんせいうんじ)に始まったという伝説のある そば切りが祭事に食べられる「ハレ」のごちそうであれば、農民が日常食するそば焼餅は「褻(け)」すなわち日常の食のひとつ。信州のそば焼餅はたいてい旬の野菜を具にしている。

火伏せの神として名高い遠州(現静岡県)の秋葉神社へ詣でる人が通っていた昔は秋葉街道沿いの遠山郷と上村では海産物が入手しやすく、焼餅の具にサンマが使われてきた。

塩サンマを頭から尾まで骨も内臓もそのまま3〜5cm程のぶつ切りにし、そば粉に熱湯を注いでこねた「餅」でくるむ。これを囲炉裏の渡しで乾かした後、灰の中に埋めて30分程蒸し焼きにする。サンマの内臓の水分が餅の外までにじんだ独特の味わいで、生臭みはなく骨まで食せる。

今は焙烙(ほうろく)または土鍋などで焼くことが多くなったが、昔ながらの炭焼きの焼餅は、飯田市の旧上村の「下栗の里」にある大明神捨五社の下にある民宿「みやした」(飯田市下栗1151 phone 0260-36-2232)などで囲炉裏で焼いてくれる。地元ではサンマのそば焼餅は「そばだんご」と呼ぶ。

秋葉街道は遠州から塩尻までの塩の道だったが、塩は塩漬けの魚としても輸送された。奈良のなれ 寿司もその文化の一つだろう。

英国コーンウォール地方ペンザンス近郷のマーゾルという漁村に伝わるイワシのパイも同じような食文化と思う。

ちなみに遠山郷は北信州の秋山郷、東信州の川上郷と共に信州の三大秘境と称される。標高800m〜1000m、最大斜度38度と云う急傾斜の地に今も人々が暮らす。《日本のチロル》或いは《天界の郷》と呼ばれる上村の"下栗の里"は野菜や雑穀 などの農耕が営まれ、60数世帯、150人余りの人々が自然と共生している。

里山に点在する家々は急傾斜地の為、谷側に石垣を積み山側を切り取り等高線状に敷地を広げている為、奥行きが狭く横に長い造り。裏手に泥水や飛沫が入り込むのを避ける為に設けられた"ネコビサシ"と呼ばれる庇が、下栗の里独特の建家構造だ。下栗の里からは聖岳 や光岳(てかりだけ)などの南アルプスの景観も優れている。

長野県下伊那郡上村754-2には高原ロッジ下栗 phone 026-36-2758がある。

NHK


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