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1139

馬関戦争

2007/07/11

ペリーによる開国後10年目の1863-4年、攘夷派の長州と列強連合艦隊の間で戦われた馬関戦争は日本が列強の植民地になるか否かの瀬戸際であった。

その危機から日本を救ったのは高杉晋作である。

戦いには負けたが、宍戸刑馬という偽名をつかって臨時家老職となって和睦交渉代表となった高杉は中国での惨状を見ていたため、したたかな交渉をした。賠償金は徳川幕府に請求させることとし、彦島租借の要求は神代からの日本史を説いて煙にまき拒否したという。

通訳したのは半年の留学から急遽帰国した伊藤博文と井上馨がつとめた。負けた奇兵隊の指揮をしたのは山有有朋である。馬関戦争で破れた長州や薩英戦争で破れた薩摩は攘夷論の非現実性を悟り、倒幕に向かうのである。

接収された長州の大砲は戦利品としてイギリス、アメリカ、フランス、オランダに持ち帰られていまも保管されている。

クルップ社製の青銅砲は北オランダ州の再北端にあるデン・ヘルダーという町の海事博物館に保管されている。この町は北海に面したオランダ海軍の軍港でいまでも函館にある五稜郭のような星型の城郭が2つ残っている。

アムステルダム国立博物館にも毛利家の家紋を銀で象嵌した長州砲の砲身の一部が保管されているという。

Agora April 2000


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