シリアル番号 | 934 |
書名 |
千のプラトー 資本主義と分裂症 |
著者 |
ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ |
出版社 |
河出書房新社 |
ジャンル |
哲学・思想 |
発行日 |
1994/9/30初版 1994/11/2第3版 |
購入日 |
2008/02/25 |
評価 |
良 |
原題:Mille Plateaux: Capitalisme et schizophrenie by Gilles Deleuze
&. Felix Guattari
藤沢駅の露天古本商でパラパラとページをめくって衝動的に購入。10年以上前の本にも関わらず4,000円もした。
中古になっても価値が下がらない本があると認識した次第。読んでみて目眩めく世界が展開する。
帯に「人間諸科学再構築のための基盤となるポスト・モダンの哲学。資本主義のダイナミズムを新しい概念で読み解き、管理社会に対抗するための実践を示唆す る、我々の時代の歴史的唯物論」とある。
いきなりリゾーム(rhizome)という言葉がでてくる。生物学でいうリボゾームからのアナロジーかなと思ったが、ウィキペディアでは地下茎または根茎 と訳せるそうだ。本著者の造語である。著者は伝統的に西洋の形而上学はある絶対的な一つのものから展開していくツリーのモデルをとってきたと解釈し、それ に対抗して、中心も始まりも終わりもなく、多方に錯綜するノマド的(遊牧民的)なリゾームのモデルを提唱。狙いは、体系を作り上げそれに組みこまれないも のを排除してきた西洋哲学に反抗し、リゾーム(地下茎、根茎)をモデルに発想の転換をさせるところにある。
遊牧論と戦争機械という章がでてくる。遊牧生活と戦争には類似性がある。これは私がいたグローバル・コントラクターが国境を越えて仕事をするには石
工的メンタリティーが必要なのでよくわかる。日本にはこのようなメンタリティーは失われた。
雑草はリゾームのようなものだといってヘンリー・ミラーの言葉を引用している。
アントニオ・ネグリ、マイケル・ハートの「帝国 グローバル化の世界秩 序とマルチチュードの可能性」ではリゾームの具体例として非ー階層的で非ー中心的なネットワーク構造であるインターネットを上げている。政治的見 地からすると民主主義である。
アヴァン・ポップ作家の笙野頼子もこの本の愛読者らしい。
Rev. February 12, 2013