読書録

シリアル番号 899

書名

夫婦、この不思議な関係

著者

曽野綾子

出版社

PHP研究所

ジャンル

随筆

発行日

1985/1/28第1版第1刷
1986/7/25第1版第16刷

購入日

2007/09/23

評価

母の蔵書

曽根綾子の「太郎物語 高校編」を読んで綾子自身に興味を持って帰省したとき借りて積んでおいたこの本を手に取る。

自分の母親が厳しい父とそりが会わずに、心では離婚を望みながら離婚せずに耐える姿を嫌に思っていたことが冒頭にでてくる。まだ子供だったころの綾子の 母親の打算にたいする反発は「太郎物語 高校編」で太郎が心中事件をおこした友人の兄の相手の女の子の打算にたいしてもった反発と同じものだと分かった。

綾子はカトリック信者だ。

彼女は「『人間はよわいものです』という言葉は人間はいともたやすく悪いことをやり、自分を失うという意味である」という。

また

「契約という考えは、日本人にとりわけ薄いものである。一神教を信ずる人々は、神との契約という形で、人間の生き方をとらえた」という。

彼女は「若い頃は寛大さはその人の道徳性、宗教観と関係があるものだと思っていたが、夫の三浦朱門は 『そうじゃない』といって『僕は寛大さというのは、多くを期待しないことから来ると思うね。だから本質的には冷たいんだよ』という言葉を紹介する。ついで綾子は聖パウロのコリント人への第一の手紙の愛の定義 は寛容から始まっているとし、寛容は『他人の存在や行為を自分にとっての価値において考えないことだ』としている。そして夫婦をつないでゆく最初で最後のものは寛大ではないか」という。

彼女は「アラブでもどこでも、人間は力あるものが主導権を握るのは当然とされているのである。力というものが即ち悪だと思っているのは、日本人くらいなものだろう」と言い切っている。女性に多い平和ボケしていないところなど、やはり日本で建て前になっている生善説だけに頼らず、性悪説もあるキリスト教がバックグラウンドにあるから、国際的平均値的考え方ができるのだろうか?


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