読書録

シリアル番号 812

書名

わかりやすい原子力発電の基礎知識

著者

榎本聡明

出版社

オーム社

ジャンル

技術

発行日

1996/3/30第1版1刷
1997/5/25第2版2刷

購入日

2006/11/21

評価

鎌倉市図書館蔵

著者は執筆当時は東京電力柏崎刈羽発電所長

原子炉の設計思想を安全面から再勉強するために借りる。 東大の原子力工学科卒業で東京電力の主力原発の所長をしているエリートが書いた本のため、核分裂反応の制御など詳細に解説し、全体的にバランスのとれた優れた解説書ではある。

たとえば核分裂では6%がニュートリノとなって放出されるが他の物質と相互作用しないので回収不能とか、放射性廃棄物にあるアクチニドが半減期がながく、一万年後に問題を生じる恐れがあるのでこれをリサイクルする案など一般に知られていないことまで解説してくれる。 しかし再処理すらうまく出来ないのにアクチニドについての夢を語るなど現実離れしているという印象はぬぐえない。

炉の制御に関しては

沸騰水型原子炉(BWR):タービン出力を増し、炉の圧力低下が生じるとか核反応度が上がると気泡によるボイドが増え、中性子の減速効果が低下し、核反応度が下がる。このように炉には自己制御性がある。再循環ポンプの回転を上げて冷却材流量を増すとボイドは減少し、核反応度は上がるという特性を有する。このため出力調整は循環ポンプの回転を変えて行う。炉下部に貫通部をもつ制御棒は短期の出力調整には使わず、緊急停止目的に使う。 ただ完全な空焚きはメルトダウンに至ることになるということはなぜか書いてない。

加圧水型原子炉(PWR):炉心では一次冷却系に気泡は発生せず、BWRのような自己平衡性はない。したがって出力制御は制御棒と一次冷却系のホウ酸濃度調節により行う。早い反応度制御には制御棒、ゆっくりした反応度制御にはホウ酸濃度をつかう。制御棒は炉上部に貫通部をもつ。ホウ酸にはポンプを使う。

など詳しい。 しかし安全面に関しては認識がまだあまい。たとえば放射能は生物にとって適度の刺激になり好ましいという一面を強調しているのは笑える。

1979/3/28のスリーマイル島の加圧水型原子炉(PWR)の冷却材喪失によって炉心メルトダウンに至った事故については、仮に炉心溶融が生じても原子炉格納容器が放射能を封じ込め、周辺の公衆に大きな放射線を与えなかったから良いのだとしている。このようなPWR炉のもつ不安定性を克服する固有安全炉とか静的安全炉の研究が各国ではじまったと紹介し、冷却材喪失直後の冷却材注入を重力で行い以後、自然循環で冷却するなどの設計が考えられていることを紹介するに留まっている。

1986/4/26のチェルノブイリ型黒鉛減速チャンネル型炉の「ポジティブ・スクラム効果」と「正のボイド効果」による核分裂暴走事故に関してはソ連型黒鉛減速チャンネル型炉が自己制御を持っていなかったので暴走したとし、BWRの自己制御性を自賛している。では自己制御性のないPWR型はどうかという議論は避けている。また事故原因はIAEA確認の設計にありという事実 は紹介しているが、同時にソ連政府が当初採用した運転員に責任をなすりつける公式見解をそのまま紹介して運転員がダメだったたというイメージを与えている。日本の運転員の質の低下傾向はどうするつもりなのだろう?そしてロシアの事故が深刻な環境汚染を引き起こしたのは原子炉格納容器が不充分だったからとしている。これは正しい認識だ。事故が環境に与える外部コストと発電所の安全に対する追加コストとのバランスで考えるべきという正論はその通り。しかしMITのラスムッセン教授に委託した確率論的安全評価で原子炉事故で人が死ぬ確立は一般の事故より低いのだから、社会的に許容されるとしているのはいかがなものか。チェルノブイリ事故のように本州の中央部に相当する面積の土地に人が住めなくなるという外部コスト発生の可能性については原子炉格納容器があるから良しとして切り捨てていることで良いのだろうか?

1995/1/17兵庫県南部地震のような直下型地震で記録された水平動の最大加速度880ガル、上下動の最大加速度556ガルをみて1981/7/20に原子力安全委員会が決定した耐震設計審査指針の見直しがされたが、現有の原発は兵庫県南部地震発生地には存在していないという論理でよしとしたという。指針はマグニチュード6.5を想定することになっている。仮に直下型地震を想定してマグニチュード7.75を想定してもこのマグニチュードでの岩盤での加速度スペクトル(大崎スペクトル)によれば周期0.1-0.2秒では1,800ガルであるが、0.02秒では500ガル、1秒では200ガルに下がる。剛構造の原子力発電施設の固有周期が短周期のため設計基準は満たしているとしている。 また上下動と水平動の加速度の比も1/2で良しとしている。

著者は明らかにしていないが原発の重要な装置の固有振動数は0.03-0.4秒というから設計基準が実際に生じうる加速度を満たしているとはいえない。また大崎の方法は震源距離を金井式に代入して地表における最大加速度を計算するのだが、震央を活断層の真ん中に想定するため、距離による減衰が大目になり、地震の応答スペクトルを過小評価するといわれているのだ。

ここに本書の最大の欠陥がある。 無論著者は組織の人であるので1954年に当時の青年政治家、中曽根康弘が腰が引けていた学術会議の学者連のほっぺを札束でひっぱたくようにして開始した原子力政策で始まった日本国の方針にそった記述しかできないという制約を負っているのだ。割り引いて読まなければならない。

10年くらい前の1996年ころだろうか東京電力の技術系トップの副社長とNEDOの燃料電池開発組合のパーティーで立ち話したとき、「 燃料電池開発に祝意を述べるつもりで原子力発電所といえども人間が作り動かしているものだ。いつかは大きな事故が起こるとおもうから燃料電池の開発も異議ありますね」といったとき、くだんの福社長氏が「いやしくもプラントメーカーの人間がそのような発言をするとはけしからん」と怒り出したことがる。営業儀礼上まずいことを言ってしまったなとは思ったが 、腹水盆にもどらず、あえて「あなたは技術者のはしくれとして本当に原発の無誤謬を信じておられますか」と切り替えしたところ急にしんみりして以後、穏やかに話ができた思い出がある。彼だって本音では日本政府の金科玉条の原発の安全神話を信じてはいないのだとわかって妙に安心したことがある。

さて現有の原発は兵庫県南部地震発生地には存在していないという論理でよしとしたというが、未知の断層が直下に無いという証拠はないのである。もしそのような断層があれば、設計基準を超える加速度で炉の保安系が壊れ、炉心がメルトダウンし、かつ原子炉格納容器が破壊されるような事故については想定していないのである。そして巨大事故は常に想定外のところで発生するのだ。

1995/12/8の高速増殖原型炉もんじゅの温度計さやのカルマンボルテックスによって励起される震動による疲労破壊と結果としてのナトリウム漏洩事故については単なる部品の設計のチョンボを大衆が大騒ぎすることへの配慮がたりなかった。チェルノブイリとは本質的な違いがあるという論で切り捨てているがそうだろうか? 氏は五重のコンテインメントがあるので大丈夫といっているが単一の原因で全ての隔壁が破壊されることもありうるのである。 そしてその単一の原因が地震ということもありうるのである。

1999/9/30の東海村JCO臨界事故はこの本の出版後のため当然言及はない。しかし日本で臨界事故が起こりうるという事実に日本政府の安全神話は崩壊したといえるだろう。事故調査委員会委員長の元東大学長の吉川弘之氏が「直接の原因は全て作業者の行為にあり、責められるべきは作業者の逸脱行為である」と述べたのは事実誤認としか言いようのない行為ではあった。もしそうと信じるなら、人間は間違うこともあるという前提に立 って政策を立案しなければならないはずなのに、行政は安全神話を作って民をだましている。愚民政策の最たるものでいずれつけは払わされるのだろう。

このように原発は問題はらみとはいえ電力の1/3は原子力由来である。石油価格が高騰しても電力料金が安定していることも原子力あってのものであることは確かである。とはいえ東南海地震ばかり研究していて兵庫県南部地震に直面し、総懺悔し た地震学者達とおなじことが原子力関係者に降りかかるかもしれないのだ。過去の地震対策には抜かりがあったと認めて既存の原子力発電所を補強するなどしかるべき対策をとらないとなにが起こるかわからないのだ。

チェルノブイリ事故のように本州の中央部に相当する面積の土地に人が住めなくなれば日本は第二次大戦の惨禍以上のダメージをこうむることになり、一電力会社がその損害を 補償することは絶対に不可能なのだ。だから電力会社は無責任にも安閑として政府の方針に従っているにすぎないといえるのだろう。 もし最新の地震学で見直し、既存の原発の改造に巨額の費用がかかるというなら、順次老化した炉から計画的に廃炉すべきであり、国家としてもドイツのように計画的脱原発を国是とするべきなのだろう。それが真の文明というものであろう。 行政がみずから作った神話維持のための炉の延命工作などもっての他である。

原子力がなくとも太陽電池がある。心配することはないのだ。なまじ原子力があるため、太陽エネルギー利用に積極的になれないだけなのである。コストは理由にならない。


さて2011/3/11の福島原発の無残な結果をみてから、もう一度この読書録を読んで、著者榎本聡明 は技術者として如何に視野がせまく無知で、教条的であったかを記録にのこした記念碑的な本だとあらためて感ずる。「福島原発メルトダウン」では著者をA級戦犯としてリストアップさせていただいた。

April 18, 2011


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