シリアル番号 | 767 |
書名 |
いまなぜ青山二郎なのか |
著者 |
白洲正子 |
出版社 |
新潮社 |
ジャンル |
評論 |
発行日 |
1991/7/20発行 |
購入日 |
2006/4/21 |
評価 |
良 |
鎌倉図書館蔵
S.K.が薦める正子の自伝を探しにでかけてみつからない。かわりこの本を借りて読みだす。
新潮の編集者だった小島喜久江の10年越の執念にほだされて書き始めたという。なぜ小林秀雄と青山二郎は決別したのか?
著者がシモーヌ・ド・ボーボワールの「第二の性」の冒頭の言葉に反発して「第三の性」という一文を物したところ、青山二郎がずたずたに削って「自分のいいたいことを我慢すれば、読者は我慢した分だけわかってくれる。自分自身で考えたように思う、読者にとってこれ以上の楽しみはないではないか」と言ったという。
ここで著者は赤瀬川原平の「千利休」(岩波新書)の一読を薦めている。
「両性具有の美」の解説で大塚ひかり氏の解説にでてくる”むうちゃん”についての原典はここにあることがわかった。
小林秀雄と青山二郎が決別したキッカケは小林秀雄が今日出海とヨーロッパを廻り帰国したとき、青山二郎が空港に迎えにきていることを知り、実に嫌な顔をして「過去はもう沢山だ」といったことが青山二郎に聞こえたためという。小林はその
時、もう青山を必要としなくなっていたのだろう。数年たって二人は和解したそうだが、決してもとにもどることはなかったという。