読書録

シリアル番号 721

書名

驕れる白人と闘うための日本近代史

著者

松原久子

出版社

文芸春秋

ジャンル

歴史

発行日

2005/8/25第1刷
2005/10/25第3刷

購入日

2005/11/16

評価

原題:Raumshiff Japan (宇宙船日本) Albrecht Knaus Munich 1989

妻の蔵書

著者は京都のお寺の出身だがICU、米国、ドイツで学び、ゲッチンゲン大で博士号取得。25年間住み、ドイツ語で小説、戯曲、評論を書き、1987年より米国に移住。スタンフォード大フーヴァー研究所特別研究員を経て現在著作に専念。

本著は1989年にドイツ語で出版したものの日本語訳。 日本語のタイトルは挑戦的だがドイツ語のタイトルはヨーロッパ人にとっては将来を暗示していて教訓的。多分まずドイツ人に買ってもらうためのネーミングであろう。だが内容はヨーロッパ人の自尊心を傷つけてかなり刺激的。日本人が読めば気分がよくなること請け合う。そして劣等感も消えてしまうだろう。

西欧の人々は自分たちの歴史こそ世界史であり、自分たちの生き方こそ文明の名にふさわしく、地球上のあらゆる民族は欧米文明の恩恵に浴することによって「後進性」から救われる、日本は欧米の優秀な技術を猿真似し世界制覇を目論む怪しからん国である−、欧米人のみならず、多くの日本人がそう思い込んでいる。

事実彼女がテレビ討論会でこの調子で論じ、番組終了後、ケルンの駅で老婦人に平手打ちされ、ドイツから早く去れと罵倒されたという。この事実を次の番組でばらしたところ、多くの人からわび状とともに花束が届けられ、「あなたの言うとおりだが自分達の自尊心は大いに傷つけられた」との手紙をもらったそうである。

ヨーロッパがアジアのコショウなどをアラブ経由で輸入していたときはその気候ゆえ、アラブ人のほしがる輸出品が少なく、大きな貿易不均衡になやんだ。 ヨーロッパ史には公然と書かれてはいないがベネチア、フィレンツェ、トスカーナなどはダルマチア沿岸、ペロポネス半島、クレタ島、ナクソス島などのスラブ系白人をとらえ生きた商品、すなわち奴隷としてアラブ人に売らねばならなかった。スレーブの語源はスラブからきている と聞けば理解できる。このような動機でスペイン、ポルトガルは喜望峰経由のルートを開発し、直接貿易で中間搾取を減らそうという強いモーティベーションを持った。これがヨーロッパの膨張の真の姿である という。今年ダルマチア地方に旅したとき、私がクロアチア語はスラブ語とイタリア語の中間の言語に聞こえると言ったときの彼らの複雑な表情から過去の記憶を引きずっているという感じを受けたが思い過ごしだろうか。

徳川の鎖国時代に日本は3,000万人という大きな人口を抱えながら自給自足して貧富の差も少なく平和に暮らしたので海外に出てゆく必要はなかった。なぜ貧富の差が小さかったかというと日本では封建領主が土地を私有化できない仕掛けがあったためである。西欧は封建領主が土地を私有化することをとめる仕掛けをもたなかったため、市民革命が必要だったが、日本はその必要がなかったのであるという。財団法人土地総合研究所の「日本の土地」では「将軍により領有権を保証された大名などの領主のもとに百姓が土地を耕作し年貢を納めるという一地一作制(本百姓制)が確立した」と書いてあった。これでは大名による土地私有制が確立したのかどうか不明瞭である。松原女史は農民はもとより大名にも所有権はなく、将軍の徳川家から単に支配権を付与されていて問題があればいつでも土地上げられるようになっていたと解釈しているところが新鮮であった。

欧米に殖民地化されつつある隣国中国の事情を見ていた日本がついに開国したとき、手持ちの仕組みを若干手直するだけで急速に欧米に追いついて強国になれたのは鎖国時代に発展した日本の仕組みを開国後、そのまま使えたことにあるとする。大名と武士階級はその特権を失ったが、大名は名目上の貴族となり、武士は学者、役人、管理職など指導層となった。寺子屋は学校制度に、金貸しは銀行業に、飛脚組合は郵便制度に名前が変っただけである。商工業、商品の流通機構はなにも西欧から導入したシステムではなく、課税対象外であたっため、よく発達した産業になっていた。一方のヨーロッパでは国内関税があって商工業の発展は阻害された。たしかにドイツからイン川沿いに遡り、ブレンナー峠を越えてイタリアに入るローマ時代からの通商路には関税をとる城が一定間隔で並んでいる。

日本で大きく変ったのは共有農地が欧米にならって私有化された結果、明治時代、大正時代に次第に大土地所有に遷移し、再度マッカーサーの農地改革を必要とした 。私有財産制のないところでは「共有地の悲劇」といわれることが生じ、生産性は低く自然の収奪が行われる。

明治維新の不平等条約で金銀の交換比率が日本と世界で格差があり、このため大量の金が流出し、一律関税5%で植民地化されそうになったが、鎖国時代の大人口を養うために発達した多段流通システムが擬似関税となって植民地化を避けられたという指摘は斬新だった。不平等条約が解消されるのは結局1905年の日露戦争勝利まで待たねばならない。欧米中心の国際関係は力が なければダメということを身にしみて学んだのだ。これが不幸な第二次大戦につながる。その後色々あったが欧米の力と拡張の論理は米国に引継がれたままである。 だが地球は有限であるため、いずれ鎖国日本の智恵が必要になるときが来るだろうと結論している。

Rev. November 4, 2009


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