読書録

シリアル番号 676

書名

中央研究所の時代の終焉 研究開発の未来

著者

リチャード・S・ローゼンブルーム、ウシリアム・J・スペンサー

出版社

日経BP社

ジャンル

技術史

発行日

1998/10/12初版第1刷

購入日

2005/1/1

評価

原題:Engines of Innovation by Richard S. Rosenbloom & William J. Spencer, Harvard Business School Press 1996.

鎌倉図書館蔵

そもそも企業の中央研究所は19世紀後半に盛んに作られるようになり、大学の研究室より業績をあげたが、次第に技術の複合化が必要になると企業の成功にはあまり寄与しなくなった。

第一次大戦後のドイツ化学工業の勃興を参考にし、第二次大戦後、米国は国家も企業も中央研究所を充実させた。
トルーマン時代に米国の科学技術政策をリードしたヴァネバー・ブッシュが研究⇒開発⇒生産⇒マーケットという一方流れのリニアモデルを提唱し、この潮流を造った。別名シーズドリブンとかテクノロジー・プッシュという。デュポン、イーストマン・コダック、GE、ウェスティング・ハウス、GM、IBM、ゼロックスなどが争って中央研究所を設立したが、第2のナイロンも第2のフィルムも生まれなかった。こらら中央研究所は技術的には高度な技術水準を持ってはいたが、マーケットの潜在需要にはこたえることができず、企業の業績には貢献しなかった。GMのケタリングが唱えたプロフェッショナル・アマチュアは居なくなった。

そして20世紀後半の1980年代にはいりインテル、マイクロソフトなど研究所を持たない企業が成功をおさめるようになった。これらの企業は研究をしないのではなく、設計部門がマーケットの潜在需要を拾い上げて試行錯誤をしなかがら、新設計の製品と安い製造工程を同時平行的に進めて身代わりの早い製品を誰よりも早く市場に投入し、市場を押さえるという手法で成功した。これをマーケット・ドリブン、マーケット・プル、またはチェーンリンク・モデルという。ゼロックスのパロアルト研究所が開発したグラフィカル・ユーザー・インターフェースを持つワークステーションやLANの技術をゼロックスは製品として出すが、高価で閉鎖的だったためマーケットの拒否に会い収入に結びつけることはできなかった。グラフィカル・ユーザー・インターフェースは後にベンチャー企業のアップルが出したマッキイントッシュに引き継がれ市場に受け入れられ、後のウィンドウズに継承されて世界標準となった。LANはあらゆるところに普及してだれでもがネットワークに接続できるオ-プンシステムのインフラストラクチャーとなった。潜在需要を拾い上げる能力を持った人材の確保が成功の鍵を握ることになる。

ヴァネバー・ブッシュの唱えたリニアモデルの思想はしかし根強く学会と民衆の意識に残り、弊害を与え続けている。IMBのジョン・アームストロングは「若い研究者が大学から企業に持ち込んでくる研究の文化はまったくといっていいほど役にたたない」とまで言っている。

東北大の西沢教授も学士会報で「新のブレークスルー技術は企業で生じ、その科学的理解に大学が成功するまでに20年のタイムラグがある」と言っていたが、インテルのゴードン・ムーアは「研究は直近のニーズだけに限定している。これでは既製の業界構造を一変させるような革命的アイディアを取り逃がしてしまうかもしれない。そこで基礎研究は大学の研究に注目している。化学工学科や電気工学科が遅ればせながら半導体サイエンスの学問的な理解に到達しようやく役にたつようになったからである」と言っている。


トップ ページヘ