読書録
シリアル番号 |
1361 |
書名
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もっとコロッケな日本語を
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著者
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東海林さだを
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出版社
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文芸春秋
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ジャンル
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随筆
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発行日
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2003/6/15第1刷
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購入日
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2019/01/07
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評価
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良
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加畑蔵書
鹿島茂の「ドーダの近代史」に先駆けるドーダ論の参考文献として境川4の折借りる。
著者は私より1歳年上の漫画家。
ドーダ論とは雑談する場が喫茶店、ビアホール、居酒屋、レストラン、料亭、スナック・バー、クラブ、キャバレーと水商売度が高くなるにつれ(水度が高くな
ると)雑談に含まれる「自慢話」も高くなる。これを「高水度自慢率漸増の法則」という。これはオーストラリア学派の「限界効用逓減の法則」をもじったもの
である。
ドーダ集は大したことないので省略。なぜこれを鹿島茂がとりあげたのか理解に苦しむ。
そのうちにドーダはどうでもよくなって昔はやった「うたごえ喫茶」の話がでてくる。「おおブレネリ」という歌が出てくる。これはプロバスの唱歌義務に使えると思った。
おおブレネリ
あなたのお家はどこ
わたーしの お家はスイツランドよー
きれいな湖水の
ほとりなのよー
ヤホ ホトゥラララ
ヤホ ホトゥラララ
ヤホ ホトゥラララ
男が鞄に凝る現象を解析して、男の鞄=愛人説を展開。
私のジープ、ハーレーダビッドソン、ロカ号がそれに該当するのかなとフト思う。
ここで女のハンドバッグは男の鞄の様相は呈さない事の考察を展開してもらいたかった。
つぎに高橋春男との対談にはいって高橋が老眼鏡をつかう様になってからの誤読についての例が読み上げられる。
鈴木宗男関係では「ヤマリン」→「ヤリマン」
「ツチノコ」→「チツノコ」
「パラグアイ」→「バイアグラ」
これは結局ドーダか?
これに続く「青春の辞典」などの章はここには紹介できない代物。