読書録

シリアル番号 1338

書名

敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人

著者

ジョン・ダワー

出版社

岩波書店

ジャンル

歴史

発行日

2001/3/21第1刷
2001/7/18第8刷

購入日

2018/04/12

評価



原題:EMBRACING DEFEAT Japan in the Wake of World War II by John W. Dower

鎌倉図書館蔵

前からこの本を知っていたが、手にとるのは初めて。

表紙に「日本は、世界に数ある敗北のうちでも最も苦しい敗北を経験したが、それは同時に、自己変革のまたとないチャンスに恵まれたということでもあった」とある。

第二章の冒頭にいきなり吉田茂首相はGHQ民生局のチャールズ・ケーディス大佐に「あんたがたは日本を民主主義の国にできると思っているのかね。私はそうは思わんね」と言ったという。今になっては吉田茂は日本の本質を分かっていたと思う。彼には日本人には本物の自治を行う能力はないと見えた。それは上からの革命に必然的について回る民衆の下からの闘いの欠如が理由。

天皇が即位してから20年が経過していたが開戦の詔勅すら代読であったが、無条件降伏の詔勅は天皇みずから行うことにしたのは天皇自身であった。天皇は 「降伏」とか「敗北」という言葉を使わずに単に「戦局カナラズシモ好転セズ、世界ノ大勢マタ我二利アラズ」と述べただけだった。そして臣民たちに「堪へ難 キヲ堪へ忍ビ難キヲ忍」ぶように命じた。そして合衆国に宣戦布告したことは再肯定し、「敵はハ新タニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ、・・・」と非難した。

戦争の物質的被害は空襲で国富の1/4、船舶の4/5、産業用工作機械1/3、車両1/4が失われた。都会の生活レベルは戦前の35%。農村の生活レベルは戦前の65%。
 
パンパンと闇市場と暴力団が語られる。

占領軍は天皇の名において戦われた聖なる戦争そのものと天皇を切り話した。そして占領軍が作り上げた神聖民主主義国家のの中心に、天皇を再び据えた。天皇 のこの変身は政治的にも思想的にも広く深い影響を与えた。すなわち 何が正義かは権力によって恣意的に決められるものとなった。これは憲法のいう「主権の 存する国民の地位」を大きく傷つけた。象徴天皇制とは天皇の地位が相変わらず日本国における家父長的権威の最高の紋章とされた。吉田茂がマッカーサーを 「日本の偉大な恩人」としたのは民主主義の贈り物をしたからではなく、天皇制を維持してくれたからである。

ところが一般日本人の心は天皇崇拝から離れ、傍観者となっていた。「元帥はなぜ日本のへそなのか?」「チン・の上にあるからだ」

このマッカーサー崇拝もマッカーサー聴聞会で彼が日本人とドイツ人を比較し、「日本人はlike a boy of twelve」と言った時消え去るのだ。

吉田はもし日本が再軍備すれば朝鮮戦争に参戦せよといわれるのをおそれ、社会党指導者にたのんで軍備反対するデモを組織してくれとたのんだ。

日本の官僚が人民の公僕ではなく、米国の意向を忖度するようになったかというと、占領軍それ自体が植民地主義的で完璧な官僚組織だった。厳格な上下関係、透明性ゼロ、日本人の誰にも説明責任を持っていなかった。これで中国の儒教思想にそまっていた脳みそが更に洗脳された。

憲法を改訂して普通の国になることのリスクを考えて日本は経済でしか自己満足がえられなかった。非軍事化と民主化はいま頓挫しつつあるし、国家社会主義的 信念から民間部門を完全な国家統制しようとする経済官僚との闘いに敗北しつつある。このままでは日本はないぶから崩壊する。

日本の最近は民主主義はあくまで型だけで、官僚寡頭制になっているのは寡背景に古代中国の儒教の影響があるが、より直接的にはマッカーサーが楽するために天皇制つぶさずに利用したのが原因ではと考えられる。権力者によって似非君主制は便利なのだろう。西高の連中と鎌倉の古寺巡礼したとき、川上がボツと天皇制をのこしたのは失敗だったとつぶやいていたのを思いだす。


トップ ページヘ