読書録

シリアル番号 1222

書名

ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト
アイデア・マンの軌跡と夢

著者

ポール・アレン

出版社

講談社

ジャンル

自伝

発行日

2013/2/18第1刷

購入日

2015/02/02

評価



原題:Idea Man A Memory by the Cofounder of Microsoft by Paul Allen

実録!天才プログラマー」などでビル・ゲーツのことは知っていたが、ポール・アレンは何時も背景にでてくるだけだった。本書は本人が書いた自伝で湘南T-Siteで見つけて思わず購入。

ポール・アレンがシアトルでレークサイド校で当時はGEが開発したメーンフレームGE-635にTeletype Model ASR-33からアクセスして使っていたことがでてくるが1971年にベクテルのロンドンオフィスで使ったものと同じ。

千代田の赤坂本社ではIBM360をFortranでコーディングした冷凍液体荷役システム設計プログラムをパンチカードを使ってバッチ処理していた時代だった。

1975年に販売されたパソコンの原型としてインテルのチップ8080を使った組み立てキット、アルテア向けのBasicインタープリター(浮動 小数点演算機能付き)をボストンのハーバード大のDECのPDP-10にエミュレーターを使ってビルゲーツと一緒に開発し、それを持ってアルバカーキーに出かける。着陸寸前にブートストラップ・ローダーを作ってなかったことに気が付き21バイトの0と1だけのハンドアセンブルを書いた思い出などが出てくる。

1979年のAppl IIに搭載されたビジカルクをみて、その革新性に驚く場面がでてくる。このころマイクロソフトのBasicインタープリターは全てCP/M (8080用にキルドールが開発したControl Program for Microcomputer)の上に構築されていたため アップルが使うMOS Technology 6502ではCP/Mは用意されていない。そこでCP/Mが使えるカードを開発してしのぎつつ、16ビット チップ8086向けBasicを開 発した。

ゼロックスが開発したマウス、GUI、イーサネット、レーザープリンタもこの頃、みている。ただゼロックスのマネジメントはその将来性に気が付かない。

1981年発売のIBM PCのOS開発を打診された時、16ビットのCP/Mは開発されていなかったためティム・パターソンが開発したQDOS(Quick and Dirty Operating System)を買い取った。先を見る目があったわけだ。

私はしかしIBM PCは買わなかった。IBMのコマンドに嫌気がさしていたからだ。高価ではあるが1986年にGUIが装備されたマッキントッシを買い、12年間に6台購入。そのうちにマイクロソフトもGUIを装備したWindowsを販売開始し、それに切り替えたのは1998年で以後12年間に6台買い替えた。

ポールが29才のとき、ホジキンス病になり、マイクロソフトを引退する。1986年にマイクロソフトが上場し大金を手にする。そしてNBAチームを買収しオーナーとなる。

パソコンが有線、あたは無線で相互に繋がる時代を予測して1990年前半、パソコン通信のAOLの株を買い、15%のシェアになったこともある。AOLの スティーブ・ケースCEOにWWWに切り替えるように進言したが無視された。ビル・ゲーツも同買収行動にでたため全て売り払った。ビル・ゲーツも後に AOLが敵ではなく、ネットスケープ・ナビゲーターが敵だとようやく認識した。最後はなにも理解しな いタイムワーナーが高額でAOLを買収した。もしAOLの株を持ち続けたら、マイクロソフトの株から得た利益よりAOLの株で得た利益のほうが大きかった だろう。

ゼロックスのパルアルト研究所の近くでインターバルリサーチという研究所を作ったが、失敗した。「期限も目的のない研究は実を結ばない」という証拠となっ た。ハリウッドでドリームワークスへの出資をしたが発言権がなく、手を引いた。ケーブルTVの世界も進歩は5年に一度で遅く、ポールに気質には合わない。

ポールは 音楽が好きでミック・ジャガーとジャムセッションしたり、ジミー・ヘンドリックス博物館を作った。オクトパスという2003年の建造当時世界第4位の個人所有のヨット(エンジン船)を所有。

カール・セーガンにたのまれて地球外生命体探査に資金を提供。その次は民間ロケット、スケールド・コンポジット社のスペースシップワン開発に資金提供す る。社長はバート・ルータン。気体は炭素繊維、燃料は合成ゴム、酸化剤は液体亜酸化窒素。10kmの宇宙入口までの上昇に成功したのちはバージン航空のブランソンに売り払う。

このほかマウスの脳の地図つくり、脳の回路図作り無料で公開、project aristoという人工知能作りなどに取り組んでいる。ポール・アレン自身のインタビュービデオも 見れる。現在のコンピュータは文字を記録してキーワードで検索できるようにしただけで言語の意味を理解しているわけではないので、人間ならできる意味を理 解したうえでの、推論は現在のコンピュータからは出てこない。この言語の意味をコンピュータに理解させるのが目的。そのためには脳の回路を模擬できるコー ド を書くことだといっている。日本では国家プロジェクトが失敗してから大体AIなんて作れるわけがないというのが大多数だが、ポール・アレンは可能だと思っ ている。そのためには脳の回路を解明して それをソフトに書かねばならないがすでにGoogleが低速ながら自動運転技術を開発し、ゲーム用PCの高速画像プロセッサーなどを開発する米Nvidia(エヌビディア)は12 台のカメラからの入力を解析スル自動運転開発プラットフォームの「Nvidia Drive PX」 を販売し、Audiはこれを採用して自動運転車「RS7」のコ ンセプトカー「Bobby」を、ドイツのホッケンハイムレース場で試験走行し、時速200キロで走行することに成功した。

このように常にアイディアを温めているのは、両親が本大好き人間だった関係で、ポールも本ばかりよんでいたため、自然 と技術の未来がどうあるかを予測するくせができてしまったためらしい。ポールの夢のなかで実現可能なものを実施する役回りはビル・ゲーツだったという。ビ ル・ゲーツの両親は弁護士でビジネスのリスクを少なくする環境に育ったということだろう。

著者はフィアンセがいたようだが、仕事に夢中になり引き続き病気になったため、婚期を逸し、生涯独身だったようだ。自伝を書いたのは肺がんでもう余命は少ないと悟ったからのようだ。資産が2兆円ちかいのだから何でもやれる。

スケールド・コンポジット社の競合する民間宇宙船メーカーとしてはイーロン・マスクのスペースX社がある。EV製造のテスラモーターの創業者でもありsolarcityを設立してオフグリッド電力システム普及に情熱を燃している。スペースX社は無人宇宙船の「ド ラゴン」も民間初の国際宇宙ステーションへの貨物輸送に成功した。2014年9月にはドラゴンの有人飛行に向けた米航空宇宙局(NASA)との大型契約も 獲得している。

日本では「ドラゴン」は新聞も取り上げていたが、イーロン・マスクには言及なし。マイクロソフトの創業者の一人、ポール・アレンが資金を提供したスケール ド・コンポジット社のスペースシップワンも報道されているが、イーロン・マスクがスペースX社も創業していたとはいままで知らなかった。宇宙と自動車の記 事を書く記者が縦割りのなかで記事を書くので、日本では報道されないのだろう。

テスラモーターの成功は日本企業の常套手段のように大型のリチウムイオン電池開発に大金を浪費することをせず、松下が製造する単三型の汎用リチウム電池を 多量発注で安く仕入れ、6000本を筒に入れて使った。大型化によるコストダウンより多量生産によるコストダウンが大きいからだ。松下が大型化に成功して から共同で米国に電池製造工場を建設した。私はこの戦略が好きだ。これと同じくスペースX社は火星への片道切符のロケットエンジンをアポロの サターンエンジンのような特注品は開発せず、すでにある信頼性のあるエンジンを27基束ねて制御するという手法で、実験でうまく動くと確認したとか。1基 壊れればこれを止めて残りの26基で飛行を継続。いまやNASAご用達の企業に成長して安泰のようだ。日本の宇宙開発がMHI一辺倒と雲泥の差。片や日 本では安倍さんがようやく農協の力を少し削いだ程度。

ロサンゼルスのHAWTHORNE空港横にあるSpace Xの製造工場見学ビデオを見るとエンジニアリング企業にはない製造現場がある。エンジニアリングと似ているところは設計部門だけ。大部屋でパーティション で区切る処は同じだが。CEOまで大部屋の隅とは権威の勾配がなく、さすが。日本には殿様は一段高いところに座る江戸時代の名残がのこっているし、いまだ に背広。

製造部門は我々がカルフォルニアの企業から購入したLNGポンプやターボエキスパンダー工場、ハーレーダビッドソンのエンジン工場に似ている。溶接してる ところなど汚いところは出てこないので外注しているのだろう。組み立て工場として使っている。天井高さがない小型エンジンを束ねる構造だからだあろう。 TESLAも同じ構内にある。

それにしても隔世の感がある。シャトルを作っていたロッキードやボーイングが消え去り、こういう新興企業がNASAへのプロバイダーになっている。

そもそもイーロン・マスクは米国人ではなく、南アフリカ生まれ、アメリカで教育を受け、ベンチャーを立ち上げた人です。アメリカという国には熱意とアイディアを持つ元気な男にチャンスを与えて、その成功で共に栄えるという伝統がいまだ健在だ。

Rev. March 10, 2015


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