読書録

シリアル番号 1012

書名

日本語が亡びるとき  英語の世紀の中で

著者

水村美苗

出版社

筑摩書房

ジャンル

評論

発行日

2008/10/31第1刷
2008/12/5第3刷

購入日

2009/5/14

評価

新聞の書評で評判になった。かって作者の小説「本格小説」を楽しませてもらったため、鎌倉図書館に閲覧を申し込んで数ヶ月、ようやく手に入った。S.K.も読んで、お勧めと言った。

ヨーロッパでも日本でも普遍語(univerasl language)と現地語(local language)の二重構造が存在している。知識人は二重言語者と呼ばれる。国語(national language)は自然にあるものではなく作られる。したがって国家も自然ではない。

ここらへんについてはベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」にくわしい。

さて日本は明治維新以後、国語を作ることに成功し、学問も国語で出来る幸せを満喫してきた。しかし、米国の一人勝ち、インターネットによる一律な情報流通で英語が世界の普遍語として台頭してきた。

にもかかわらず、全ての国民が読み書きできるようにと、「読まれるべき言葉」が少しでも困難だといって読まさずにいて結果として愚民教育をしたのはどの国の役所だったのか。

これからは学問もすべて英語で読み書きしなければ世界に流通しない。英語で読み書きできない日本は世界の中で孤立化しつつある。満州事変から太平洋戦争にいたる過程には日本の「言語的孤立」がある。当時の駐米大使の野村吉三郎の英語力はひどいものだった。

すべての国民に同じ英語教育をしても無駄である。国策として少数の「選ばれた人」を二重言語者に育てなければ日本の「言語的孤立」を避けることはできない。格差社会は問題だが、少数の「選ばれた人」を選んで投資することが必要である。第二次大戦後の平等主義からの決別が必要なのである。そうしなければ日本は亡びる。

だがしかし、一般の人は少なくとも漢語が普遍言語で日本語が現地語であった時代から西洋語が普遍言語となって、独自に国語に変身した過去100年間の軌跡をとどめる複雑で重層的な日本語を読めるような教育をしていないで表音主義者たちがつくった方針により、国民皆が内容のない平易な口語文をかけるようにという教育方針をかかげる日本では遠からず、文化を背負った複雑な日本語を読める国民が居なくなり、結局、歴史でみがかれた意味のある日本語は亡びるであろうと哀切をもって予言している。

Rev. May 20, 2009


トップ ページヘ