日本の宿痾

Japan under Siege


Abstract
Japan is now under siege of mal-functioning government. The purpose of this article is to investigate the way to free Japan from this trap.

要約
日本はいま、うまくいっていない。人々はどうすれば良いか方向感覚をうしなっているように見える。本論は日本と世界の歴史をさかのぼり、問題がなにで、どうすれば治癒するのかさぐった結果である。

キーワード
進化、多様性、アクセス開放型、アクセス制限型、皇国史観、製造業の空洞化、人口減少、原発問題、債務問題、国際関係、社会契約、官僚制、既得権益、縦社会、バランシング、バンドワゴニング

目次

はじめに
1. 社会の多様性を維持する個の共有資源へのアクセス可能性
2. 日本が西欧型に転換した過程
2.1 明治維新から太平洋戦争敗戦まで
2.2 戦後の復興から世界の工場まで
3.中国の勃興と日本の沈滞
4.日本の製造業の空洞化
5.都市への人口の集中
6.日本の人口減少の理由と対策
7.教育
8.食料生産
9.エネルギー資源
10.原発事故後の迷走
11.隣国との関係
12.アメリカとの関係
13.債務問題
14.世代間の社会契約の回復法
15.官僚と政治
16.まとめ













日本の宿痾

    住する所なきを、まづ花としるべし
    世阿弥 「花伝」第七別紙口伝


はじめに

人間社会は進化のロジックから逃げられない。環境が変わればそれに適合するように社会の制度や文化を変えなければ新しい環境に適合できなく なり、衰退するのは自然の摂理ということになる。進化を可能とする制度や文化が機能していれば、その社会がそうでない社会を抑圧して栄えるのは歴史が証明 している。生物の進化とは遺伝子が突然変異をしたとき、たまたま環境に適合したものが栄えるという原理だ。社会もその文化なり制度に多様性があれば環境に 適合した文化なり制度をもった社会がそうでない社会を出し抜くことができるだろうと推察できる。適応に失敗すれば衰退か、際限ない膨張の後の破裂や戦争と いったカタストロフィーを避けられないことになる。

本考察ではわれわれの社会の進化を阻害している要素―宿痾をいくつか探し出し、その阻害要因を取り除く方策を考察することを目的とする。そしてその阻害要因の背後にあるより根本的が原因は何であるかも考察したい。
  
1.社会の多様性を維持する個の共有資源へのアクセス可能性

社会制度や文化の多様性は突然変異によって出現する。そしてその突然変異は社会を構成する個によってしか起こせないため、個の自主性をゆる す寛容さと自由を保証する社会が成功することになる。それができない社会は絶滅に向かう。また生物が有性生殖で遺伝子を交換するように、個が社会の共有資 源にアクセスできる可能性が大きいほど多様性が増し社会は進化する。

社会が共有資源にアクセスできる「アクセス開放型」になると、社会を構成する個人に思考と行動の自由が与えられ、数多くの個人が活性化し、共有資源に自由 にアクセスして、情報を共有しつつ交換し、いままでにない新機軸が心に浮かぶ。すなわち社会は突然変異して、結果として多様化し、沢山の可能性を持ち、環 境への適応が用意になると思われる。かくして「アクセス開放型」は西洋の勃興の主要な要素であったとみなしうる。

英国は歴史的にコモンローの国である。コモン・ローでは、当事者にそれぞれの真相を明らかにする十分な機会を与えれば、正義が最もよく達成されると考え る。英国が1689年の名誉革命で獲得した「権利の典」では国王は「君臨すれども統治せず」とされ、1215年のマグナカルタの前文とともに英国憲法と なっている。

ヨーロッパ諸国は大陸法が支配的で日本の法体系もドイツにならい大陸法に近い。大陸法は制定法といい、裁判所は外から与えられる規範への適合性を判断す る。大陸法の起源はローマ法にある。ローマ法はもともとローマ市民(ただし奴隷と属州民は含まず)にのみ適用される「市民法」であった。ローマ法において は市民としての一個人が個人として尊重され、個人の意思から出発し、法主体間の平等を基本とする私法を中心とした法体系が発達したのである。

法体系は異なれど、両者とも個を重視する「アクセス開放型」の法体系法であることにかわりはない。強いて違いをあげれば英国のコモンローは進化が容易で、大陸法は硬直化して弊害があったというくらいである。

英国では1689年の「権利の章典」を獲得した名誉革命から社会は契約によって形成されるという認識が生じ、人々は、といっても有産階級だが、国王による 束縛から解放され、輪作と囲い込みによる農業革命へとすすんだ。契約は国家の信用付保に寄与し、帝国運営のための巨額の戦費を賄うことができたため、帝国 の拡大から産業革命という好循環が生じた。

一方アジアの「アクセス制限型」には個と社会との契約の概念はなく、中央集権的政府が被統治者の同意を得ず、情報も公開せずして運営するため、沸騰するよ うな社会とはならず、低成長に留まった。中国の王朝は紀元前221年に秦の始皇帝が黄河流域の平原にある都市国家を統一し、漢字の字体と読み方を統一して 通商ネットワークを構築し、通商の安全を保証するかわりに税を徴収するというシステムを作ったことにより始まる。それ以前は都市国家がバラバラに存在した に過ぎない。しかし300年も経過すると戦争と疾病のため漢人の人口が減った空隙に、北方の遊牧民が移住して隋、唐、元という遊牧民の王朝が打ち立てられ た。その後も中国王朝のパターンはこの繰り返しで、社会の仕組みに大きな進歩はなかった。一時期、明という漢族による王朝にもどるが、結局北の遊牧民を支 配できず、万里の長城を建設したのである。明の三代永楽帝のとき、北京に遷都し、イスラム教徒の宦官である鄭和を重用した。鄭和は1421年に新大陸を発 見したとされる。しかし永楽帝の死後、漢人の支配層の邪魔となる鄭和の栄光の記録を抹殺する目的で彼の残した報告書は全て灰になってしまった。こうしてコ ロンブスとアラゴンの女王が漁夫の利をしめるのである。このように「アクセス制限型」社会は折角の進化の芽をみずから摘んでしまう。清という遊牧民の王朝 が明を引き継いだが、西洋の制度を取り入れた日本に負けて王朝の歴史は終わり、共産党独裁国家が中国にできた。しかし基本的な支配―被支配構造に変化はな い。

キグリーは1979年に文明は拡大するための道具を備えているから成長すると指摘した。軍事、宗教、政治の組織が余剰を蓄積し、それを生産的な革新に投資 するからである。文明が衰退するときには、新しい方法に余剰分をあてなくなる。余剰を管理している社会集団が既得権益を持って、余剰の使途を非生産的で利 己的なものにあてるからである。人々が自分の資本を食いつぶしていくうちに、文明は世界国家の段階から衰退の段階へと移行してゆく。衰退はやがて侵略期に つながり、野蛮な侵略者に無防備な姿をさらけだす。侵略者はしばしばより若く、より強力な別の文明からやってくるのだ。

低成長はなにもアジアの専売特許ではなく、西欧においてもカトリック支配下では個人は束縛され、思考と行動の自由はなく、低成長にとどまった。西洋の成長 はプロテスタントの登場をまたねばならなかったのである。折角新世界を発見しながら、カトリックのままだった、スペイン、南米の停滞をみれば分かる。

過去一世紀の日本、そして過去半世紀のアジア・中国の成功はアクセス開放型になったためではなく、西洋社会のキラーアプリケーションすなわち「経済競争」、「科学革命」、「現代医学」、「消費者社会」、「労働倫理」をそのままダウンロードできたためだ。
  
2.日本が西欧型に転換した過程

2.1 明治維新から太平洋戦争敗戦まで

同じ中華帝国の影響下にありながら、なぜ日本は中華帝国の轍を踏まずにすんだのかという疑問にたいしては、藩が自治権をもっていたことと、商人階級の勃興 があったことが大きいとデビッド・S・ランデスは指摘する。その幕藩体制は幕末には商品経済の発達による社会各層での貧富の拡大とそれに伴う身分制の流動 化などを背景に、ゆらいでいた。黒船来航を契機として幕府は戊辰戦争にやぶれ瓦解した。こうして明治新政府が樹立された。新政府は欧米の諸制度を積極的に 導入すると、廃藩置県、身分解放、欧米にならった法制整備、国家インフラの整備など明治維新と呼ばれる一連の改革を遂行した。不平等条約の改正をするた め、地主など高額納税者の選挙による帝国議会の設置し、大陸法であるプロイセン憲法を下敷きにしつつ、日本独特の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治 ス」とした天皇主権の明治憲法を制定した。ただ憲法草案をドラフトした伊藤博文はドイツのアドバイスにしたがい、英国式の責任内閣制度の採用はさけた。殖 産興業と富国強兵を国策として推し進め、近代国家の建設は急速に進展した。その後、日清戦争と日露戦争に勝利を収めた後、列強の一角を占めるようになっ た。国際的地位を確保していく中で欧米の帝国主義をまねて統治や韓国併合を行った。米騒動を契機とする大正デモクラシーと呼ばれる政治運動の結果、政党内 閣がアジアで最初の普通選挙法を成立させ、納税額にかかわらず、25歳以上の男子に選挙権が与えられたが、婦人参政権は与えられなかった。天皇機関説が勝 利し、内部的には明治憲法もこの考えにしたがって運営されたとされるが、機関説はタブーとなり、公表されることはなかった。次第に権威主義的な治安維持法 が制定され、国体を変革することを目的として結社を組織する社会主義・共産主義団体等への取締が行われた。

有司専制とは、明治政府の政治が、政府内の特定藩閥政治家数名で行われていると批判した言葉で。1873年に起こった政変後の大久保利通の主導権が確立さ れた時期から、明治憲法成立までの時期を指す。だが「有司専制」の悪弊は明治憲法制定後も残り、戦前くりかえされ、言及された国体という言葉に残り、太平 洋戦争の敗戦まで継続された。昭和時代と呼ばれる。大正期から続いた不景気に世界恐慌が直撃し、社会不安が増大した。明治憲法にビルトインされていた「陸 海軍は天皇に直属する」という明治憲法の規定をたてに政党政治に代わって軍部が政府を無視して暴走しはじめた。これが「統帥権干犯問題」というものであ る。関東軍は独断で満州を占領して警察国家満州国を樹立し、これがアメリカやイギリスの反発を招いて、日本は国際連盟を脱退した。その後、上海事変等によ り中華民国との戦争状態(日中戦争・支那事変)に発展した。日本は枢軸国の一員としてナチス・ドイツ、イタリア王国と三国同盟を結び、陸軍は北進論を主張 し、海軍は南進論を主張して国家予算の取り合いを行った。最後は真珠湾攻撃でアメリカ合衆国と開戦して第二次世界大戦に突入した。

戦争ではランチェスターの法則が作用する。すなわち戦闘力の損耗率は算術級数的ではなく幾何級数的であるため、兵力を集中しないと勝てない。一つの戦線に 兵力を集中するのが勝利を得る要諦で英国海軍はこれで世界を睥睨したのである。日本海海戦も同じランチェスターの法則で勝った。しかるに日本はなぜロシア に勝ったかもわからず次の太平洋戦争では陸と海の二方面戦線に逐次投入して体力を消耗し、負けるべくして負けたのである。先制攻撃により優勢だった日本軍 はアメリカ軍の物量と通商破壊に圧倒され、各地で敗北を重ねた。戦争末期には主要都市を軒並み戦略爆撃で焼け野原にされ、無条件降伏の受諾をためらって時 間を浪費し、広島と長崎には原子爆弾を投下されて敗れた。このように明治革命は武士階級内部の革命に終わり、市民革命ではなかったため、統治側に都合のよ い憲法しかつくれず、軍部・官僚複合体の独裁に陥り、内部崩壊した。

戦中に作られた国家総動員法は総力戦体制を確立すべく、人的・物的資源の動員が議会の承認を経ずに勅令で行えるようにした法律であった。首相直属の企画院 に集められた革新閣僚による経済政策を許す目的をもっていた。これは戦後の官僚主導政治の源流にもなったもので「アクセス制限型」であり、国民の活力を高 めるものではなかった。
  
2.2 戦後の復興から世界の工場まで

権威主義的体質のマッカーサーの占領下で天皇の権威を温存する型で主権在民の新憲法が制定された。サンフランシスコ講和条約により主権を回復した後、急速 に戦後復興を進め、冷戦下の西側陣営として日米安全保障条約を締結した。サンフランシスコ講和条約11条約には極東国際軍事裁判の判決を受け入れることが 明記されている。独立後の日本は西側諸国の中でも特に米国寄りの立場をとった。日本国憲法第9条を根拠に、軍事力の海外派遣を行わなかった。戦後の日本 は、サンフランシスコ講和条約発効直前に発生した韓国による竹島軍事占領を除き、諸外国からの軍事的実力行使にさらされることなく、自民党と社会党の保革 55年体制のもと、平和の中の繁栄を謳歌した。1972年には日中国交正常化と沖縄返還が行われた。

高度経済成長により日本のGNPは1966年にフランスを、1967年英国を、1968年には西ドイツをそれぞれ追い抜き、米・ソ超大国に次ぐ世界第3位 に躍進、先進国の仲間入りを果たした。オイルショック後の安定成長期には重化学工業から自動車・電機へと産業の主役が移る産業構造の転換が進み、日本企業 の輸出攻勢は米国の製造業を空洞化させた。日本はプラザ合意を発端とするバブル景気と呼ばれる好景気に沸いた。

戦前・戦中に弾圧されていた思想や研究が解禁され、歴史学の古代史や考古学の研究が進展した。歴史教育で皇国史観が取り上げられることはない。しかし社会 のなかにはこの皇国史観が通奏低音のように鳴り響いていて、政治家は自己中心の歴史認識に基づき、リベラル史観を自虐史観と揶揄して近隣諸国のプライドを 傷つけている。
  
3.中国の勃興と日本の沈滞

バブル景気が崩壊すると、その後の長期にわたる不況は失われた10年、失われた20年と呼ばれ、造船をはじめ、家電産業は製造部門が空洞化した。日本の製 造業の対GDP比は20%にまで低下したが、これに代わる産業の育成に失敗した。産業の構造改革は掛け声だけで、ほとんどなされていない。また、社会不安 が高まる中で阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件、東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故などの大規模な災害が発生したが、危機管理はいまだ道半ばであ る。

21世紀に入り、BRICSなどの新興国が台頭。日本を含む先進国の産業空洞化、国家財政や年金会計における債務超過、通貨危機、中流階級の貧困層への転 落などの傾向が顕著になり、従来世界経済において圧倒的に大きな影響力を持っていた日本や欧米の経済的・政治的存在感は弱まりつつある。特に日本の没落は 顕著である。2013年の中国のGDPは日本の2倍に達した。世界の粗鋼生産量の48%は今や中国産である。日本は7%にすぎない。
  
4.日本の製造業の空洞化

日本企業は戦後、(1)官民一体、(2)年功序列、(3)垂直統合クローズシステムの組み合わせのビジネスモデルで成功し、世界の工場となった。日本に製 造業でとってかわられた米国の製造業は空洞化したがA.規制緩和、B.権限移譲と抜擢、C.水平分業オープンシステムの組み合わせで産業構造を変革し、国 家の産業としては新規分野で世界のリーダーとしてシブトク生き残った。米国の産業構造変革をリードしたのはシリコンバレーだが、フィンランド政府も企業家 育成に熱心で北欧のシリコンバレーを持つに至った。イノベーションのためには米国式のベンチャー組織が望ましい。しかしこれを育てるベンチャーキャピタリ ストは日本には育っていない。政府が代替しようとしても官僚に見る目がないから失敗する。

(1) 戦後、官民一体が有効に作用したのは戦中に国家総動員法の下に働いた革新官僚たちが戦争直後の復興期に計画経済的手腕を発揮したことが重化学工業を復興さ せる端緒を作ったためである。しかしその後、創意工夫が重要となる自動車やエレクトロニックス産業の勃興期には官僚の政策、予算編成、規制はむしろ阻害要 因でこそあれ、有効だったことはない。この官僚の阻害要因については項を改めて論ずる。

(2) 年功序列は企業内で職人を育てるには有効であり、組織が個人のローヤルティ―を確保するには有効であるが、人材抜擢の阻害要因となり、古から「名馬にくせ あり」といわれるように名馬は嫌われ、命令に従順な人間の仲良しクラブとなる。例えば、東芝はフラッシュメモリー開発の元祖であるが、その重要性を理解せ ず、開発者の舛岡富士雄をうるさいと追いだした。そして案の定、半導体市場のコントロール力を失って久しい。あまつさえ、旧式の技術と米国が捨てたウェス ティングハウスを買収して甘い汁を吸われている。事故時の保証など巨額のリスクを背負って、一かバチの太平洋戦争のようなリスクを背負ってしまった。この ように人々が自発的に考え行動することはなくなる。こうして変動期に役立つ人材はそだたない。そして無能で不用な人間を抱え込む結果となり、コスト負担で 国際競争力に負ける原因となっている。

(3) 垂直統合クローズシステムは製品企画から販売までの全てを企業内で担当する方法である。これは結局多様性を発揮することにおいて優れた米国式のC.オープ ンシステムに負けるべくして負けた。オープンシステムはアップルのような新規で魅力的な最終製品の構想を行い、ブランドを維持するマーケティングを行う企 業が担当するが、それに必要となる半導体部品の設計はクワルコムのような設計専門会社に任せる。そしてその半導体の製造は台湾セミコンダクター・カンパ ニーのようなファウンドリーと呼ばれる委託製造会社がローコストで行う。そして最終製品組み立ては人件費の安い中国で行うというものである。ところが日本 企業は経営層の判断の遅れで垂直統合クローズシステムにこだわった国際競争に負け、日立のように半導体部門をほとんど失った。日本企業のマネジメントの怠 慢さを表現するジョークとしてNATOという言葉がある。これは北大西洋条約機構ではなくNo action talk only という意味である。なぜ経営層が動かないのか?それは「赤信号みんなで渡れば怖くない」という「ビートたけしの呪縛にかかっているからである。「他社は やっていないと」新しい芽をつぶしまくるのである。イノベーションを技術革新と訳したのも間違い。ビジネスの革新こそ大切。製品という物よりその製品がも たらす魅力を商品に仕立てあげるイノベーションが大切。物の製造など発展途上国に任せておけばよい。とはいえ全てオープンにする必要はない。大切なキーテ クノロジーは徹底して守るのだ。よく外国人を雇えば何とかしてくれるのではと考える向きがあるが、これも間違い。外国人も日本では日本のやり方にすぐ染ま り、日本人となる。このように日本企業は外的要因でやぶれたのではなく、内部統治に失敗して敗けたのである。

製造業は農業と同じように、多数の単純労働で支えられるため、雇用には有効な産業である。製造業が失った国家収入を埋めるには海運業、商業、金融業があるが、日本語という孤立した言語を使う日本では高度な教育レベルが必用とされるし、雇用も大きなものは期待できない。
  
5.都市への人口の集中

農業革命から産業革命に移行するに従い、農村から都市への人口移動は世界規模で生じる。この人口移動は日本を含む先進国ではほぼ完了し、中国では目下進行 中である。アフリカではまだ農業革命すらできていないのに、都市への人口移動が発生して、深刻な飢餓が生じている。この流れはとまらず、人口の都市への移 動は今後ますます高まる。物理学者のジェフリー・ウエストは「都市は・・・豊かな生活を生み出す源泉である。都市は富の創出、創造性、イノベーション、発 明の中心だ。都市こそが刺激的な場所だ。それは「人々を吸い寄せる磁石」なのだという。そして都市ではネットワーク効果が大きい。

都市化の問題点はこの他に経済のバブル化と同じようにいつか必ず崩壊をもたらすという脆弱性を持っていることである。地震・水害・など自然災害に加え、原 発事故はその崩壊の原因となりうる。都市への人口集中といっても郊外はむしろ過疎化し、都心高層ビルが過密となる傾向にある。そこに貧富の差が将来都市の 維持管理を困難にする事態もありうる。

抗脆弱性維持に失敗すれば、間違いなく衰退か革命か戦争になる。その弊害を緩和する抗脆弱性とはなにであるか?国家から独立したマクロ・ミクロリンクの無い市民社会という制度ではないか?
  
6.日本の人口減少の理由と対策

識字率があがれば経済は発展し、人口は減少に転ずる。このように人口減少は豊かな国に現れる共通な現象である。しかしフランスを中心とする欧州では人口が増加に転じた。国が養育手当をつけただけでは説明できない。

フランスの人類学者トッドは日本、韓国、ドイツは直系家族型(権威主義家族)、イングランドや仏北部は核家族型。これを男女間に拡大解釈すると、直系家族 型では親がパートナーを見つけてくれる。核家族型では自分でさがさねばならない。ハリウッドはこの恋愛という面で世界に貢献した。

子供を作るにはまず男女が出会わなければならない。しかし思春期に男女別学校に学ぶという時代錯誤がいまだまかりとおっている。そしてダンスなどができ、 男女が自然に出会いできる場を、警察は風俗営業法を錦の御旗にして規制するという亡国の行いを繰り返している。婚活は露骨すぎる。対策はまず男女共学を義 務化するからはじめなければ。

 人口減にも関わらず政府は保育所整備もせず、人口減少国家は男女共同参画が性差偏見を払しょくする望ましい政策であるのに、いまだに性別役割 分業を説くアナクロニズムの御用学者がいる。こうして人口減少傾向が加速し、今世紀終わりには明治維新の人口の3,000万人レベルまで減少すると予想さ れている。

人口減少への対抗策としての移民の受け入れは製造業が発展途上国に出向いてしまって空洞化したため、職場がなく、意味がない。男女差別をやめ、女性の管理業務への登用等人材発掘が大切になる。そのための保育施設が貧困なことも一因だろう。
  
7.教育

個人は親から能力を均一に授けられてはいない。したがって能力と適性に応じた教育が大切になる。ところが義務教育を担当する公教育は悪平等を旨としている ために、落伍者を生む。落伍者が出ないようにと文部省はゆとり教育という政策をとった。こうして若者のレベルは極端におちた。大学ではなにも出来ない中学 生のような学生をゼロから教えなおすという壮大な無駄をしているのだ。文部官僚の弊害これに極まれり。

大学は産業界からレベルの高い専門家を育てよと言われる。しかしゼロから教えているから時間が足りない。というわけで教養学部をやめてしまった。こうし て出来上がる学生は専門バカとなり、専門以外の広い教養がないため、社会で屑物になる。そうして原子力村のような××村が形成され、悪さをするというわけ である。

日本の学校は「正しいこと」を先生から一方的に教わる。出来上がる人間は自分で考えることをしないで教わったことだけを守る。片や米国の教育は個人の考え と関係なく、主張を入れ替えてディベートすることを学ぶ。この過程で感情的になって自説にこだわることなく「何が正しいか」を考えることを学ぶ。

ヨーロッパで産業革命が成功した3つの要因は(1)自律的知識の探求、(2)文化、国家を越える学問上の約束事の統一、と基準言語の創造、すなわち科学的 方法、(3)発明という概念の誕生だといわれるが、(1)自律的知識の探求の習慣と(2)文化、国家を越える学問上の約束事の統一、と基準言語の創造、す なわち科学的方法が教育の最大の目的だろう。政治家が教育を語る時、この目的を阻害することが目的のように見える。

教育を文部役人とその出先機関の教育委員会事務局の監督下にある公立学校だけに任せておけば倫理倫理とさけぶばかりで時の権力者の好みの権威に従順な人間ばかり育てることになる。自分で考えることをしないので、突然変異せず、一様で閉鎖 的な社会となり国際環境に適応できなくなる。若者は安逸に時を過ごし、きつい留学をしたがらないため、国際的に通用する人材はそだたない。教育を市民社会 が取り戻さねば日本の宿痾は治癒しないだろう。
  
8.食料生産

約1万年前に人類が遊牧をやめて定住し、農耕をはじめたことにより余剰生産物を獲得した。土地の私有化に伴い有輪犂、二圃制農法、三圃制農法などの技術革 新があった。これに次いでヨーロッパ人が南北米大陸とオーストラリアという広大な空間に植民し、農耕地を拡大させた。さらに囲い込みによる大規模化で農業 人口人当たりの穀物の生産性を向上させた。そして空中窒素固定法の発明のおかげで、余剰農産物がありあまるようになった。こうして現在の60億人を超える 世界の総人口を支えていることになる。

戦後の製造業の躍進にともない日本の農業人口は激減し、農業の持続性は失われ、野菜を除き、主要穀物は輸入依存となっている。戦後のマッカーサーによる農 地解放後、農業人口人当たりの穀物の生産性向上は上がらなかった。フランスの「ソアソンの花瓶」に象徴されるようにヨーロッパの私有財産制がヨーロッパ農 業の活力の源泉だったというわけで、農地改革が行われたのだが、規模が零細すぎて農業機械の稼働率が低く、囲い込みによる規模拡大もできないため、日本の 稲作は高コスト構造になり、国際競争についてゆけなくなった。また農業人口の高齢化により世代の交代ができなくなっている。農政が効率化を妨害し農業を食 えなくしたのである。このように日本の農政は世界の流れに掉さすジェット・エンジンの逆噴射を行った。愚かと言わざるを得ない。

アフリカ諸国は農業革命がはじまる前から資源立国となり、農業は破壊されている。アフリカの輸出資源が枯渇すれば穀物輸入ができなくなり、アフリカは飢餓に襲われるだろう。これが大規模になると地球規模の食料の奪い合い、すなわち戦争の可能性があるのである。

今後日本の製造業の競争力が失われると果たして穀物輸入を工業製品の輸出という見返りで継続できるか、気がかりとなる。人口が減りつつあるため、直近の問題ではないが、少ない人口で食料を確保する長期的な国家目標が必用となろう。
  
9.エネルギー資源

原子力はそもそもウラン資源が有限のため、世界のエネルギーのほんの一部しか賄えない。そして原子力は事故が生じたとき、居住不可能地域が発生し、貴重な 国土失うおそれがある。原発事故は、航空機事故がなくならないと同じく、今後もなくならない。それに原発はテロに脆弱である。もし日本を敵視する少人数の グループが首都の人口過密都市の風上の原発、たとえば浜岡原発を攻撃すれば首都を放棄し1,000万人の難民を生み出す。今後、原発事故が世界のどこかで 発生するたびに原発利用は国際的に禁止する機運が高まると予想される。巨大都市への電力供給のために過疎の地方にこのような迷惑施設を補助金と言う麻薬と 引き換えで押し付けることが正義であるかという問題もある。民主主義国家は市民が共通善に向かって協力して生きてゆかねば社会は分裂し立ち行かなくなると いうことに思いを馳せる必要がある。

核分裂廃棄物は10万年に亘って有害放射線を出し続ける。この核分裂廃棄物を10万年にわたって保管するためにフィンランドが18億年前にできた花崗岩体 の地下500mに建設した最終処分場オンカロのトンネルの壁から地下水がもれているのをみれば、銅製容器が10万年腐食に耐えうるのかというという疑問に は誰も答えられない。まして日本の花崗岩は列島が受けるストレスで褶曲し、割れているから地下水の流れない巨大な岩体を見つけることは殆ど不可能だ。アル プスを歩いていればわかること。

電力の恩恵をうける都市が核分裂廃棄物を過疎の地方に押し付けることに正義があるかという問題もある。最大消費地の東京都の中心の皇居の地下に廃棄物保管 施設を作る覚悟があるのだろうか?正義はさておいても過疎の地方は食料生産の適地である。食料を汚染してしまってはそれに依存する都市は成立しないという 矛盾もある。

10万年という長期間もれないように保管する負担を次世代に押し付けることは許されないのではという世代間の公正の問題もある。

日本は地熱と水力を除き、エネルギー資源を持たないと思われている。しかし国土の1.8%に太陽電池を設置すれば、少なくとも電力の自給はできるのである。太 陽電池の問題は高価格と出力の平準化であるが、石炭火力と天然ガス火力で出力の平準化は可能である。石炭火力は原発より安価であるのでこれも実は問題では ない。原発が安いと強弁する官僚は原発の発電単価計算に80%という高い稼働率を想定して試算しているに過ぎない。実際には60%代なのである。また使用 済み燃料処分の費用を含めていない。原子力推進派はウソを平気でつく倫理感のかけたグループである。

有限の化石燃料は資源の枯渇にともない、価格は上昇傾向であったにも関わらず、米国におけるシェールガス開発とパナマ運河の拡張工事完了やロシアの北極海 のヤマル半島の天然ガスの輸出計画により価格上昇はとまっている。在来型の石油・天然ガス資源は貯溜岩から採集していたのであるが、その下にある根源岩か らの採掘技術が開発されたため、世界の資源量は10倍になったのである。

人為的温暖化仮説が国際政治を動かし、二酸化炭素放出を制限しようという動きがある。ところが二酸化炭素排出が国際政治問題化された後、温暖化はこの10 年間止まっている。これをハイエイタスという。原因はいまだ解明されていないが、海洋の対流振動である大西洋数十年規模振動(AMO Atlantic Multidecadal Oscillation)による温暖化を人為的温暖化と混同した可能性もある。したがって当面は国際的体面維持のための排出量規制などはせず、ドイツと同じく炭素税と排出 権取引で対処すれば経常収支に影響しないで国際協力を果たせる。そして石炭ガス化発電と天然ガス発電を再生可能エネルギーの出力平準化に使えばよい。火力発電は設備費が低廉のため、再生可 能エネルギーの出力変動の平準化目的に使って稼働率が下がっても、電力コスト上昇にはならない。太陽電池も風力も地域毎に、出力が変動するが、日本全土を 太い送電線で結べば、地域によって異なる日射と風を平準化できるようになる。地熱発電の再生可能エネルギーの平準化利用には地熱利用を阻害する規制の緩和 が必要だ。こうして再生可能エネルギー利用を拡大すれば化石燃料消費もおさえられ、一挙両得である。すなわち化石燃料は資源がある間はこれを輸入して使 う。高価な石油は自動車燃料やジェット燃料に使い、天然ガスは発電と都市ガスとして使うことに加え、圧縮天然ガス(CNG)として自動車燃料につかう。

水素エネルギーという言葉が躍り、日米政府はこれを開発しようとしているが、水素エネルギーは資源ではない。電力とおなじエネルギー流通手段にすぎな い。そして水素は液化貯蔵するにも、高圧ボンベで輸送するにしても高コストである。メタンのままCNGとして貯蔵・輸送するのが安価である。もし今後も石 炭価格が石油・ガスより安価で推移し、燃料電池車が安くなれば安価な石炭から水素を製造し、燃料電池車の燃料として使うこともオプションとしてはあり得 る。

先に製造業の空洞化を論じたが、鉄鋼業などのエネルギー多消費型産業はエネルギー資源のない日本では成立しえなくなり消えてゆく運命だろう。このように産業構造が省エネ型に変換されればエネルギー資源問題はなくなる。

来世紀に化石燃料が枯渇した時、再生可能エネルギーの貯蔵の問題がクローズアップするだろう。そのときは電力を水素に変換したらすぐアンモニアかメタンに 変換することになろう。原料としては大気中の0.04%しかない二酸化炭素を回収してメタンにするより、大気中に80%ある窒素を使うアンモニアに変換し て貯槽、輸送して発電用または自動車燃料に利用することになろう。
  
10.原発事故後の迷走

沸騰水型原子炉(BWR)の事故確率は高い。そしてBWRは米国と日本に多い。ドイツにもBWRはあるが、脱原発方針である。ヨーロッパはフランス・英 国・ロシアは賢明にも加圧水型原子炉(PWR)を採用している。そのフランスでも古いPWRはベント・フィルターをもっている。そしてフランスでは重大な 原子炉事故は未だない。ジヨージ・スティグラーが洞察したように、電力会社のように規制される主体が強力なときには、監督者と被監督者が馴れ合いになって しまい、結局は監督する側が取り込まれてしまうという、「規制当局の捕囚」ということが生じる。

日本の学者の大部分は公務員のため、「学者の捕囚」が生じる。政府に楯突けば教授にもなれず万年助教で終わる。もっと英米のように私学が強くならなければ 日本国家は官僚と学者に私物化されたままとなる。フランスが原発推進方針をかえないのも官僚も学者も国家公務員であることと関係ある。ドイツも国立大が強 いが、首相が科学者であるため、後述の「シラードの証言」のパラドックスに陥らずに脱原発を決めることができたのだろう。

原発事故は「有司専制」という腐敗した政治的権力構造を表面化させた。日本が近代国家として出発した時、行政を主導する立場にある法科系事務官に対し、技 官、技師は脇役的な立場に置かれていた。そこで彼らは大正デモクラシー下に技術者運動を起こし、地位向上のための政治的動きを開始した。しかし、彼らの国 政への参画という夢は実現していない。内務省は国民の政治参加を限定し、抑圧する地方行政と警察の省へと変貌。特別の学術技芸を要する行政官というポジ ションも用意されたが、法科官僚のような様々なポストに任命されて法律の立案・運用のジェネラリストに鍛え上げられ、高い管理的地位に到達するという機会 からは遠ざけられた。すなわち日本人技術官僚は文官の利権に参入することを阻止され「文官任用令」と「文官試験規則」でお雇い外人の代替者にとどめおかれ た。これが小人闍盾オて不善をなすということになっている。戦後、科学技術庁ができるが、その成果ははなはだこころもとない。昔の軍人のように原子力村な るものを形成して徒党を組んで団結して抵抗する。ちょうど、戦前の軍人のようだ。いっぽう法科系官僚は権力を誇示するが、能力不足で自分で考え判断する基 盤がない。いきおい捕囚となった学者のおもねる意見を聞くことになる。おなじことはフランスのCorps des Minesの弊害に観られる。

国から地域独占権を与えられた電力企業の本社はマネーフローしか関心がなく、発電所が安全上必要な改造を提案しても予算をつけなかった。そこで現場はその ような要請を上にあげても無駄だとなにもしなくなる。東電の土木技師たちは福島第一は津波に対して脆弱だと気が付き、社外にも公表したが、発電所内で予算 を本社に要求しようという判断はなされなかった。事故後、地下水が原子力建屋に流れ込むのは現場では構内に降った雨水が原因だと報告書を作っても雨水の浸 透防止の地表舗装は本社承認の対策にのぼらず、凍結遮蔽壁建設にのみ国家予算がついた。それも3年遅れである。この間、トリチウムを含む汚染水は増え続け てしまった。対策の逐次投入という第二次大戦と同じ過ちを繰り返している。このような風通しの悪い体質は北海道JRにもみられる。
  
11.隣国との関係

隣の眠れる獅子がついに目をさました。この国は共産党独裁の下に資本主義経済を採用し、先進国の投資を受け入れて経済的にはテークオフしたが、民意が反映 されない統治システムという弱点を抱えたままである。歴史はこのような体制はかならず内部崩壊するということを教える。それがいつなのかは神のみぞ知るだ が。

サミュエル・ハンチントンは「文明の衝突」で中国の勃興後の諸国家がどう中国に対処するに2通りの方法があるとしている。すなわち(1)バランシング(勢 力均衡モデル)、ヨーロッパの流儀:自国のみで、あるいは他の国と提携して、新興勢力に対して勢力の均衡を維持して、自己の安全を守り、その力を封じ込 め、必要とあれば戦争して相手を負かそうとする。(2)バンドワゴニング(階層的権力構造モデル)、勝ち馬に乗る東洋の伝統:階層性を受け入れ、新興勢力に追従して、 それに順応し、新興勢力にとって二次的なあるいは従属的な立場をとり、自国の基本的な利害が守られることを期待する。

東南アジアとヨーロッパは常にバランシング戦略をとった。アメリカは中国に対しバランシング戦略で臨む。日本は急速な軍拡と核兵器を開発して巨大な中国に 対しバランシング戦略をとれるとは考えにくい。そしてアメリカが日本のために二次的なバランシングをとることを好まないことも確か。それでも日本はアメリ カが超大国でなくなるリスク、膨大な資源を浪費する戦争のリスクをとっても日米同盟を維持し、バランシング戦力をとるしか手はない。これは一見バランシン グのように見えて実はバンドワゴニングなのだ。すなわちバランシングは横の関係だが、バンドワゴニングは強きものにクリンチする縦の関係なのだ。長い日中 の朝貢システムで血となり肉となった考えで、これを日米の関係に応用したわけである。朝貢システムにもどっては日本の進歩はない。中国に安定した多元的な システムが出現することが望ましいのだが、そのようには見えない。日本が対中バンドワゴニングに追い込まれればヨーロッパの世界がさけてきた官僚主義的な 帝国、東洋的な専制政治に取り込まれてしまうおそれがある。

朝貢システムに遠因があるとすれば私有財産制にも原因があると言えるかもしれない。室町時代には西洋は南蛮船で長崎にやってきていた。ヨーロッパに積極性 をもたらしたものは何か?フランスでは「ソアソンの花瓶」の故事を引き合いに出して私有財産制にその積極性の秘密があると生徒に教える。私欲に絡んで自分 で損得を考えて命をかけて戦うという価値観が育つのだ。日本ではお上にまかせておけばうまくやってくれるだろうという空気で安眠をむさぼっては失望に変わ るという繰り返しである。こうしてヨーロッパの横思考ないしバランシング戦略、日本の縦思考すなわちバンドワゴニング戦略が根付いたのである。

どの国にも価値観を共有しない他者(日本の場合は中国や韓国、中国の場合は朝貢国)を軽蔑し、自分達を優越視し、自分達の考えを絶対化して信奉する人が居 る。彼らは一般には少数派である。しかしこういう少数派がサンフランシスコ講和条約11条に極東国際軍事裁判の判決を受け入れると明記されているにも関わ らずA級戦犯を合祀した靖国に参拝し近隣を刺激し、突発的なかく乱状態に落とす状況を生み出している。

西洋では英国、フランス、ドイツ、イタリアの歴史は互いに擦り合わされていて、大きな見解の差は少ないとおもうのだが、日本建国の昔から日本と朝鮮から満 州にかけての関係は国境などない時代のため、入り乱れて、複雑だ。解明不可能なところもあるが、互いに自尊心ばかり前にでて、真実を解明しようとしないで いがみ合うのは不幸だ。
  
12.アメリカとの関係

アメリカがベトナム戦で負けたのは、戦場がそのままマスコミにより家庭にもちこまれたため、戦線でバタバタ死んでゆく、息子たちを見て国民が厭戦気分に なったためである。こうして民主主義国は戦争をはじめないと言われる。世界で覇権維持を必要とする米国は反省し、湾岸戦争からは報道統制を採用して戦争を 維持した。これに次ぐアフガニスタン戦線では兵士の命を失わないドローンなどを活用して戦争を維持している。この延長上に米国は日本に特定秘密保護法の制 定を要請した。

しかしいくら特定秘密保護法の制定をし、内閣法制局という一官僚部局が集団的自衛権の解釈を変えたところで、第二次大戦開始責任を否定するような政府では米国民は日本を中国から救い出すために自分の息子 の血をみることは望まないだろう。冷戦時代ではなくなったという時代認識も持ちえていない政府機構はどうなっているのか?

日本の政治家と官僚は民主主義では物事は思い通りにできないと考えている。というわけで満州国で関東軍と革新官僚だけで全て決めたことが郷愁をもって思い 出されるようだ。このため特定秘密保護法を拡大解釈して政治の説明責任を回避しようとしている。当初の米国の要請目的を越えて官僚が秘密とする案件を決定 するという点で国家総動員法に酷似して「アクセス制限型社会」への先祖がえりを予感させている。政府の永続性は透明性によって担保されるということがまる で分かっていない。最近の政権は情報を非対称にして国民をメクラにしておこうとしているが、これは有司専制政府の悪癖に戻ろうとしているように見える。

日本人は、国家というものは与えられたものだという意識が強い。欧米では国家は人々が契約でつくるという意識があるが、日本では天武天皇の代に方便として 作り上げた万世一系という神話を明治期に復活させて憲法に書き込んだ。こうして国民を洗脳し、敗戦でこれを否定されても、リベラル史観を自虐史観と決めつ け、新憲法はマッカーサー憲法と蔑み、統治者にとって都合の良い憲法に変えようという勢力がいる。その考えは多様な市民をまとめて一本化して統治するとい う上からの目線にたっている。市民が互いに契約というルールにしたがって異なる意見を調整して共存してゆこうという視点は全くない。この明治に考案された 呪縛から開放されないと日本は自立できず傀儡国のままであろう。
  
13.債務問題

日本経済は1990年のバブルの崩壊以後、ケインズ的財政出動を継続したが、失われた20年と言われながら債務が積みあがっただけで経済が再浮上すること はなかった。日本の不調と好対照に好調であった米国も欧州も2008年の米国のバブルがはじけたリーマンショックという金融危機後、経済不振の立て直しに 金融緩和などの施策を採用しているが、ただ負債を積み上げているように見える。ならば日本もと、大幅な金融緩和をしたが、過去20年間に空洞化した製造業 は中国などの発展途上国にすでに流出しており、流出した製造業が戻ってくることはたいして期待できない。貿易収支は2011年から赤字に転じ、次第に赤字 幅は増大し、2013年には赤字は11兆円を超えた。海外投資に伴う利子・配当収益を含めれば経常収支はいまだ黒字だが、先行きは暗い。このため、為替は円安に転じた。大幅な金融緩和をしたから為替が円高になったのではない。たまたま金 融緩和を開始した時と一致するため、金融緩和が有効だったと誤認しているに過ぎない。

政府は財政出動も継続しているが、ただ債務を積み上げるだけで、海岸の堤防の高さが積みあがるだけである。せっかくの観光資源を無価値にしているにすぎず、製造業がもどってくるわけではない。こうして債務は積みあがってゆく。

ニーアル・ファーガソンの「劣化国家」によれば、過剰債務国が取れる施策は(1)技術イノベーション(突然変異)で成長率を金利以上に維持する。(2)公 的債務はデフォルトし、民間債務は破産で棒引きする。(3)通貨切り下げとインフレで債務を帳消しにするという3つしかない。(1)技術イノベーションで 新しい産業を起こすためにはイノベーションをするのは個人である以上、既得権益者がその権益にしがみついて個人の自由を阻害している社会では期待できな い。新しい産業を生み出せなかった過去の失われた20年がなによりの証拠である。したがって(2)、(3)が日本を待ち受ける運命のように見える。

日本を含む西洋の国家債務がGDPの250%という過剰債務国から脱却できないのは世代間の矛盾を統合できないという制度的欠陥によって生じていることに ある。その制度的欠陥とは現世代の有権者が投票権を持たない若者やまだ生まれていない人たちの金をつかって生きることができるという制度にある。いわば現 在の世代は未来の世代の了解もなく、未来の世代から借金してキリギリス生活をしていることになる。

こうした世代間の社会契約をどう回復するかが日本を含む西洋の目下の最大の課題である。特に日本は既得権益者がその権益にしがみついている社会のため、よりきびしい過程をへなければ変革できないと予想される。
  
14.世代間の社会契約の回復法

財政均衡憲法修正案は有効であろうか?不幸にして金融危機が不況時の景気刺激策として政府が赤字支出をすることに大義名分を与えてしまって憲法による方法 を閉ざした。クルーグマンが提唱したようなグラス・スティーガル法類似法の復活など金融危機防止のための規制は多分うまくゆかない。複雑すぎる規則が危機 を生むからだ。人間がつくる制度には「意図せざる結果の法則」が支配しているからだ。誰が監督機関を監督するのか?そして結局、システムの複雑性のカタス トロフィーに陥るのがおちだ。FRB議長を辞退したサマーズ氏もIMFで同氏が行った約16分間のスピーチで認めている。ナシーム・タレブは規制は抗脆弱 性のために設計されなければならないが、現実は逆だ。法の支配ではなく、法律家の支配になっている。規制では生ぬるい。処罰が必要となる。ヴォルテールが 指摘したように「時折提督を銃殺する必要がある」。
  
15.官僚と政治

1990年代に官僚弊害論が盛んであった。例えばビル・エモットは1996年に過去30年間、官僚は日本に大損害を与え続けてきた。日本を救うのは真のリ ベラリズムに基づく政府の権限縮小しかないのかもしれないと書いた。カレル・ヴァン・ウォルフレンは日本は偽装民主主義国家だとして官僚の悪智慧を指摘し た。霍見芳浩は日本は民主主義国家ではなく、官主主義(官僚専制主義)で現在の日本は清朝末期に酷似しているという。日本の企業も東電、北海道JRに見ら れるように官僚よりひどい。

伊藤博文時代に確立した法科出が中心となる官僚システムと戦中の国家総動員法で確立した官僚主導政治は縦割り構造と、頻繁な人事異動とエスカレーター式昇 進システムにより、素人のまま、能力に欠いたまま、権力を振り回して縦割り組織の利益ばかりを計っている。そもそも大学卒業時の成績で官僚としての一生の 最後に行き着く先が既得権として決まっているなどというバカげた制度がいけない。階段のワンステップ毎に成果で昇進が決められるシステムにしなければ、官 僚システムの劣化により国家は衰退するのみだ。それに各省次官の座席は東大法科出のみに予約されているというのも時代錯誤。ほとんど隣国の共産党による独 裁と変わらない。

これからの社会は技術への依存度が高くなる。原発依存は核武装に甘い期待をよせる技術を理解しない文系官僚の子供じみた考えだ。核兵器は使えない兵器なの だから、ここは米国の抑止力に依存するとして、国境線の自衛は核兵器はもたなくとも高度な無人監視システムと無人攻撃兵器を独自に開発し、傀儡政権的地位 からの真の自立をしなければ日本の宿痾は消えない。

初代米国原子力委員長リリエンソール回顧録に「シラードの証言」という一節がある。それは「世の中は関係する複雑な緒問題を直接知っている人間に実行の権 限を与えたりしない。代わりに直接的な知識を持たず、問題について人から聞かされたことだけを知っている人間にそういう権限が好んで与えられている。人は 聞いたことだけしか知らないとすれば、バランスのとれた決定をするに充分なほど物を知っているとは言えないものである」というのがある。これは日本でも普 遍的事実だ。耳学問の文系官僚それも法科出に政策の権限を与えるというのは時代遅れの欠陥制度である。自らの頭脳で不透明な技術的問題に洞察力をめぐらす ことができず、他人の判断を聞いて判断していると結局、自分の月給の継続性を最高にする判断しかしなくなり、昔の軍部、戦後の土建村、原子力村、気象村、 医療村、農協と同じく、兵器村という利益共同体の自然発生を防止できない。この茸は国家を腐敗して食いつぶすのだ。

欧米では政治家はLaw Makerと言われるように政策や法を作るのが仕事で、そのための自前のスタッフを抱えている。予算作成も同じである。そして官僚は政治家がつくった法律 と政策にしたがって粛々と実施するわけである。しかし日本では政治家は政策立案、法の立案からすべて官僚におんぶに抱っこである。そもそも終戦直後は政治 家は官僚上がりであったから自ら政策を作れたが、最近では国民の人気投票で選ばれるようになり、法とはどういうものかさえ分かっていない。だから官僚を監 督するはずの政治家は官僚に誘導されて彼らの思うままである。政党はまとまりが悪く、どの政党もおなじような政策を掲げて差がないので政策で選びようがな い。例えばどの党も脱原発は推進派、憲法改正と反対派の烏合の衆である。安定した政権を生み頻繁な政権交代により国家が衰弱する英国病防止目的で設計され た小選挙区制を採用しているために、代表民主主義制は市民の監視機能を失ったまま、市民の権利を剥奪する政策を掲げてかって来た失敗の道をひた走る。マス コミは中立と称して政治家・官僚複合体の宣伝のお先棒を担ぎ、政治家の政策におもねる経営者をその頭にいただく。結果として政治家・官僚複合体に協力して 自己利益を図るだけの村を作る助けをする始末である。
  
16.まとめ

政治家・官僚複合体が劣化する理由は小林慶一郎がするどく指摘している。それは「どんなに優れた政治家や官僚がでようと、絶対に越えられない限界があるた めである。為政者が相手にしなければならない政治とは、自分自身を内部に含むシステムである。そこには逃げられない自己言及のループがある。為政者(政治 家や官僚)の卵にどんな素晴らしい教育をさずけても、ほとんど意味がないのである。これは日本の長い歴史が証明している。

このループを断ち切るのは非為政者である市民の自主性が必須となるのである。こと政治に関してはエリートがリードする社会などは破綻するというのが理の教 えるところなのである。為政者の理性や能力には限界がある、という謙虚な認識から出発し、為政者の理性には限界があるから、個々の国民が、市場で自由に生 活を立てるしかない。そのためには、市場を出来る限りフェアで自由なものにするしかないというのが自由主義思想の筋道だ。自由な市場競争で社会が旨く回る という考えはシンドイと考える。かって日本では官僚は間違いを犯さないという『官僚無謬神話』が常識のように受け入れられてきた。だから彼らにまかせてお けば良いと。しかし、原発問題を見ればわかる如くそれはナンセンスだとやっと気がついた。それでもいい人が首相になれば、あるいは官僚組織を変えれば、市 場競争よりももっとよい政治が実現するのではないかと考えたくなるのは幻想なのだ。ここから出直すしかない。

ジェームズ・ロビンソン米ハーバード大学教授とロン・アセモグル米MIT教授は「国家が栄え続ける発展段階で、まず特定層のための中央集権的で収奪的な制 度ができ、それから創造的破壊を起こすために「全員参加型」の制度に変わっていく必要がある」、「既得権益層が居座り続ければ、国は衰退する」、「銀行や 官僚は収奪的になりやすい」、「公的部門は多くの国で強い実権を握り、かつ肥大化しており、政治に守られている」、「銀行は20世紀を通じて国家繁栄に大 きな役割を果たしてきたが、政治力が増し、リスクを必要以上に取るようになった」、「日本は欧米へのキャッチアップ型の発展を終えた後、創造的破壊を起こ せる全員参加型社会に向けての改革がうまくいかず、過去20年経済の停滞に苦しんできた」といっている。まさにそのとおり。日本は民主主義国だが、その代 表民主主義制が上手く作動していない。その理由は国民の稲作民族的気質にあるのではないか?遊牧民的価値観や行動は社会が嫌うのである。万世一系の天皇家 という通念が社会の通奏低音になっている所以だ。

ジャレッド・ダイアモンドはユーラシアの西と東が同じ自然環境にありながら、なぜ西ヨーロッパが勝ち、中国が負けたのかの説明はヨーロッパが小国乱立、中国が中央集権の統一国家であったためであるとしている。

ヨーロッパが新世界に浸透して世界を制覇できた理由はその遊牧民的な選挙による指導者選びにあると言える。中国王朝の2,000年の歴史を見ても、その 3/4の時間は北方の遊牧民出身の皇帝が支配していた。その理由はモンゴルのジンギス・ハーンのように遊牧民のリーダーはもっとも有能な者が選挙で選ばれ る。折角選挙で真のリーダーが選ばれても、皇帝になると定住民の皇帝の流儀にしたがい、血統か、指名がその権力行使の正当性ということになる。しかし、こ れでは確実に統治者の質の劣化を意味し、その王朝は遅かれ早かれ崩壊する。そして再び遊牧民のリーダーが新しい王朝を開くのだが進歩がない。

現在の中国も疑似皇帝が数代続き、すでに明らかに劣化している。創造的破壊が起こりやすい制度、すなわち選挙でリーダーを選ばないと、政権は崩壊し、隣国の日本にもそのとばっちりがくる。
  
参考文献

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January 28, 2014
Rev. December 22, 2014
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