日本の政治・経済の不調の原因
知優先社会は暗黙知を失い国は亡ぶ
追補ー11
文系優位は農耕民族起源?
堀居氏から、尖閣騒動と22,000社といわれる中国進出企業に関して下記メールをもらった。
日本自体や個々の日本企業の将来を考えれば今は損をしてでもここで引くしかないのではないでしょうか!今後中国国内の景気の後退などに伴い中国共産党が弱
体化して中国国内が大混乱するリスクも大いにあると思います。(個人的にには大混乱して旧ソ連のように分裂して欲しいと思っています)
ところで、日本企業が付和雷同して中国に進出したのは日本企業には青木さんが主張されている「文系のトップが多い」というのと深い関係があるなーと思いま
すがいかがでしょうか?改めて「文系と理系」の違いをいろいろ考えてみますと、「文系人間」は「草食系動物」の生態に非常によく似ているのではないでしょ
うか?いずれもよく群れをなして生息し(肉食系動物の群れのような強力なリーダーがいなくて)群れの一部が次の餌場に向かって移動を始めるとアフリカの
ヌーのように大きな群れとなり移動するのに似ています。
また人間の生態系で言えば「文系人間」は「農耕民族」を形成する性格が強いのではないでしょうか!いや逆に見れば稲作を行いながら長い間「農耕民族」とし
て生活してきた日本社会の中に必然的に「文系人間」即ち「草食系人間」が育ってきたのかもしれません。みんなで同じ時期に種を蒔き田植えをし刈取りをする
という繰り返しの流れの中で収穫を得るという考え方が身に沁みついている結果付和雷同が多いのだと思います。思考様式で言えば行為の結果(=グラフの面
積、例えれば収穫高)を重視する「積分的思考回路」を持っている人間です。一方、この考え方で言えば「理系人間」とはあまり大きな群れを形成しない「肉食
系動物」であり、強いリーダーがこの群れを引率して生活する「狩猟民族」と言えるのではないでしょうか!思考様式で言えば行為の過程(=導関数、例えれば
獲物の通り道など)を重視する「微分的思考回路」を持っている人間です。
昨今のグローバル化の世界では好むと好まざるとにかかわりなく、多くの日本企業のような「草食系動物の群れ方式」では生き残れないというこかもしれないで
すね。
というものであった。これに対し、私の回答は
昔日本人が集団思考しかしないのは稲作に起因する文化だという説がありまして英国に3年滞在していた若き頃、
英国石油の回転機械担当トップのエンジニアに酒をのみながらこの説を話しましたらたら興味をもったようでした。この人はかなりの奇人で独身を貫き、居間に
ベントレーの高級車を置いているという噂でした。今回の米国の旅でも独身でR-66の案内書を
書いて生計を立てている画家に会いました。
大学の同門で三井化学の社長になった中西という男が会社の文系は毎日会議ばかりしていて時間を浪費している。しかし一旦話がまとまると団結力で会社をそち
らに持ってゆく。理系はみな一匹オオカミでバラバラだから文系にしてやられるといっていました。彼が社長になれたのはその文系を敵にまわさないという知恵
があったのだと私はにらんでいます。で三井化学はどうなたかって???ウッフッフッ!最近は同窓会にもでてこなくなった。
さて民主党は規制委員会に再稼働の判断をさせるとしていますが、実は委員会は理系で固めても事務局が文系官僚で固められていますから、かれら官僚権力
の裁量にまかせたというとんでもない制度です。ますます官僚独裁に近づいています。思い起こせば第二次大戦も軍官僚の独走でした。第二の敗戦が近いということではないでしょうか?
これを読んだ久保田先生から下記メールをいただいた。
また口を挟みますが、文系、理系論は、そう簡単に割り切れないないのではないでしょうか?
少なくと、今の日本の理系と言うより技術系のリーダーは、余りにも視野が狭いから、多少とも広い視野でものを見れる文系に牛耳られてしまいます。この10
月から施行される環境税には、それが如実に現れています。私には、信じられない環境税ですが、FIT制度と同様、理系の御用学者が、政治の都合だけを優先
する文系の政治家のいいなりになって、国民と国益を無視した政策推進の手伝いをしている。「エコ神話」が否定されない限り、この国のエネルギー問題は解決
されない。いまや技術立国自体が幻想として消え去るのではないでしょうか?
私は
ご指摘の通りなことは私も残念なことに思っています。しかし理系がこのようなざまになっているのは利益の配分、人事の采配権が組織の文系に握られていると
いう構造がなせるものではないでしょうか。大学で理系の視野が広くなるように教育したところで、組織にはいれば元の木阿弥ということになると私は自分の民
間企業にいた経験から悲観的になります。御用学者はすなわち村の住民は今後も続々とでてくることだろうと推定しております。
それから科学的真実についてですが、実は私も5年まえは環境税は必要と考えていたわけです。世に蔓延しているあらゆる出版物がそういっていたわけです。し
かし、インターネットのおかげで世界の裏側の学者のかく論文を拾い読みするうちに、もしかしたら99%の人は間違った科学的認識をしているのではと疑義を
もってからすっかり世の中が変わってしまったという経験をしました。しかしこの認識を世に普及するのは至難の業と思っています。
堀居氏は
日本では理系の勢力が弱い理由の最たるものは青木さんがご指摘のように官公庁でも学校でも民間企業でも歴史的に文系人間で組織が構築されているところが大
きいと思います。良し悪しはともかくとして、あの中国では共産党の大部分の人達は理系だそうですが、これは共産主義の理念として理系が歴史的に重要視され
てきたからだと思います。
「理系は視野が狭い」という久保田先生のご意見に対しては、勿論そのような人も理系の人の中にはいますが同じく文系にもいるのではないでしょうか?私は以
前に青木さんにメールさせて頂いたように、理系人間でも限りなく文系に近い人間もいるし、文系人間でも限りなく理系に近い人間もいると思いますので、積分
的思考回路を持っている人を総称して「文系人間」、微分的思考回路を持っている人を「理系人間」と個人的に定義しています。身の回りの人を見ても微分的思
考回路を持っている人の中には「理系」の人が多いように思います。
また「文系人間」は自分たちの群れに接近してくる者には比較的拒絶的であり、「理系人間」は自分たちの群れに接近してくる者に比較的寛容であるような印象
を持っておりますがいかがでしょうか? ・・とここまで書いたところで京大の山際寿一先生などは人間や動物の群れについてどのように考えているか下記の記
事があるのを思いだしました。どうも「文系人間」は主として利害関係を前提にした群れ(コミュニティ)を、「理系人間」は主として見返りをあまり前提とし
ない群れ(ファミリー)を形成する傾向が強いのではないかと思いますがいかがでしょうか・・・
私は
積分的思考回路=文系的
微分的思考回路=理系的
とか
理系でも限りなく文系に近い人間
文系でも限りなく理系に近い人間
「文系人間」は自分たちの群れに接近してくる者には比較的拒絶的
「理系人間」は自分たちの群れに接近してくる者に比較的寛容
は分かります。
最近朝日で哲学者国分功一郎の「暇と退屈の倫理学」で人間は普段、退屈と気晴らしが入り混じった日常を生きている。時折、そこに何らかが不法侵入してくるとにそういう時にものを考え始める。その状態は動物に似ている。気晴らしの享受を「人間的」、ものを考え始めることを「動物になること」と呼ぶと知り
文系的人間=「人間的」すなわち退屈と気晴らしが入り混じった日常を生きている人=王政復古時の貴族や聖職者
理系的=「動物になること」すなわちものを考え始めた人=ジュリアン・ソレル
ともいえると考えました。
October 6, 2012
Rev. Dec. 23 2021