自由人のエネルギー勉強会

第三回

2010年4月18日

学士会館302号室

討論「世界の中の原子力」

森永先生は原子力エネルギー、核兵器、二酸化炭素問題は密接にからんでいる。したがって国際関係も含め、これを一体的に考えないと判断を誤る。大鷹正元オランダ・チェコ大使も参加して活発な議論をした。

私は二酸化炭素 濃度は温室効果に影響するのかというお話しと軽水炉の原発のブラック・スワンを紹介。

講演「核拡散の構図」清水濶(ひろし)元陸将

清水氏は長年海外大使館付武官として情報収集に当たってきた。そのなかでパキスタンでアユブ・カーン氏らと生身の接触を通じて得たお話しをうかがった。

国連加盟192ヶ国、核不拡散条約(NPT)加盟189ヶ国。核保有国はロシア、米国、フランス、中国、英国。NPT発足後核兵器を開発した新興核保有国はイスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮。イラン、リビア、サウジアラビアは保有願望国。

1972年ブットが核兵器開発決意表明。リビア、サウジアラビア、イランが資金提供。フランスSNG社とプルトニウム再処理プラント建設契約するも米国の圧力で断念。

1976年、オランダのエンジニアリング会社FDO社から英独蘭合弁企業URENCO社出向中のカーン博士が呼び寄せられウラン濃縮工場用機材を合法的に調達。1980カフタ・ウラニウム濃縮工場完成。1984年3.5%濃縮ウラン生産。

1998年中国の支援でチャシュマのプルトニウム再処理工場完成。

 

懇親会

自由人の集まりの歌 詞:阿井植夫 曲:慶応応援歌

北帰行 作詞作曲:宇田博

宇田博の同期生を弟に持った人の話によると宇田博は奉天高校の校長の息子で旧制一高の受験に失敗。満州国新京にあった建国大学予科に入学したが、半年で退学、開校したばかりの旧制旅順高校の1期生となった。しかし軍事教練をサボってメッチェンとデートしていたのが見つかり、素行不良で退学処分となった。彼が、同校への訣別の歌として友人たちに遺した歌という。学校当局への反抗心が込められているため禁止されそうになったが、一部リベラルな教師の擁護によって禁止曲となることを免れ、旅順高校寮歌となった。その後、旧制一高・東大を卒業し、日銀総裁になった三重野氏にかわいがられたという。後、TBSの常務・監査役として平穏な人生を送ったという。

次ぎの歌詞の「北へ帰る旅人ひとり」は小林旭が三番までを歌ったので多くの人は北海道に帰ると思っているが、旅順高校を追い出されて奉天の親元に帰ることを歌ったのだという。このことは「建大 一高 旅高 追われ闇を旅ゆく」で説明される。「我が身容るるにせまき 国を去らんとすれば」は満州国を去るという意味か?

窓は夜霧に濡れて

都すでに遠のく

北へ帰る旅人ひとり

なみだ流れてやまず

建大 一高 旅高

追われ闇を旅ゆく

汲めど酔わぬ恨みの苦杯

嗟嘆(さたん) ほすに 由(よし)なし

三  省略

我が身容るるにせまき

国を去らんとすれば

せめて名残りの花の小枝

尽きぬ未練の色か

いまは黙して行かん

なにをまた語るべき

さらば祖国わがふるさとよ

あすは異郷の旅路

伏見廉治先生参議院出馬応援歌 詞:森永晴彦 曲:アムール河の流血

自由人のエネルギー勉強会へ

April 26, 2010

Rev. July 21, 2010


トップページへ