山階鳥類研究所

賛助会員の集い 

 

グリーンウッド氏は高校の同期生が山階鳥類研究所の所長をしている関係で同研究所を支援しようと賛助会員になっている。 季刊の機関誌、「山階鳥類学雑誌」が送られてくるのと年一回の賛助会員の集いに出席して講演を聞き、旧交を温めるのがその特典である。

東京の集いには定期的に出席していたが、2007年1月、長野市のホテル犀北館で中部日本の集いが野沢スキー会の直前に開催されたため、出席した。 講演会は同研究所の標識研究室研究員 佐藤文男氏の「アホウドリの鳥島新繁殖地形成と小笠原移住作戦」であった。その要旨は;

「 120年あまり前まで地球上におそらく20数万つがいが繁殖していたアホウドリは、羽毛を取るために大量に捕獲されて、日本列島の南のいくつかの無人島にあった繁殖地からどんどん姿を消し、戦後は絶滅したと考えられた。しかし1951年に鳥島の燕崎(つばめざき)で10羽あまりが再発見された。

環境省の支援の下、東邦大学の長谷川博教授が燕崎コロニーでの砂防、植栽等の工事をした結果、繁殖成功率は回復し、1999年には推定個体数が1,000羽を超えた。

燕崎コロニーの植生は主としてラレセイタ草(羅背板草)という。これは我が家の南面の石垣の隙間にしつこく生える多年草である。生命力の強さにはあきれていたが、逆に鳥島の厳しさがよく理解できる。

1992年から山階鳥類研究所と長谷川博教授が共同で北西側の斜面で『デコイ計画』を始めた。95-96年のシーズンに最初のヒナが巣立ち、その後、繁殖つがい数がなかなか増えなかったが、2004-5年の繁殖期に4つがいから4羽のヒナが巣立し、コロニーは確立した。翌シーズンには16つがいが産卵、13羽のヒナが生まれた。 デコイ計画ではなぜか1匹のアホウドリがデコイに恋してしまい、4年間これが継続したという。さすが5年目には気がついて正しい選択をしたとのこと。

2-3月に親鳥の採餌海域を人工衛星で追跡したところ、伊豆諸島周辺から房総半島・鹿島灘沖の本州沿岸に集中していることがわかった。ここは、沿岸漁業の漁場である。本州の河川から大量のゴミが太平洋へと吐き出されている海域で、プラスチックやレジン・ペレットの混食の原因となっている 」

であった。

パーティーには秋篠宮殿下、島津理事長御夫妻、若林環境大臣、村井長野県知事、鷲澤長野市長など要人が参列した。

パーティー後、三金会の集会所「能乃家」で二次会 をする。能乃家に集まった面々は長野在住の宮下藤島、桑原、北沢など5名、東京在住の青木、西川、才口、宮崎の4名であった。紅一点を囲む野郎共の構図は山岸研究所長が指摘するようにデコイとアホウドリに似てなくもない。細田(欽)は中学の同期生で卒業以来の再会であった。

「能乃家」での二次会 宮崎(正)撮影

二次会後、桑原や西川と連れ立って飲み屋をハシゴし、アブサンや76度の強い酒などを調子にのって飲んで翌日のスキーに影響がでた。

January 30, 2007

Rev. February 10, 2007


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